【小説】日曜日の夕飯
家に帰ると窓からは白く光る矢木山の鉄塔が見えた。明日はくもりか。
秋田庵は荷物を下ろすと台所に立った。窓からの日差しはなく、台所の小さな蛍光灯だけが手元を照らす。日頃から1日に1度しか食事をしない秋田にとっては、今日という1日を終えるための儀式のような時間だ。
なぜ多くの人は規則正しく1日に3度も食事をとるのだろうか、という疑問が生まれると同時に、それは規則正しくあろうとするからだ、という答えに秋田は至った。
日本人が1日に3度食事を取るようになったのは、江戸中期からだという話を何かで聞いた。菜種油が安価になったことにより日没後も活動をするようになったことがきっかけだとか。
食事の回数が消費エネルギによるのだとしたら、私は1日に1度で充分だと秋田は考えたのだった。
牛挽き肉に焦げ目がついてきたところで火を弱め、豆板醤、豆鼓醤、大蒜そして生姜を加えた。牛肉の油が、加熱によって甘い香りを立てる。そこに豆板醤の刺激的な香り、豆鼓醤の熟成された甘みのある香りが添えられる。
秋田は素材から料理をするのが好きだ。レトルトを使うことはない。素材から料理をしない人は、作った料理から素材の味を感じることができるのだろうか、と秋田は思う。
水、醤油そして砂糖を加えたところで絹ごし豆腐を鍋へと加える。それまで赤茶色だった鍋が一気に華やいだ。麻婆豆腐における豆腐の役割はなんだろうか。答えが見つからないまま、火を止めて水溶き片栗粉を注ぎ込んだ。
麻婆豆腐における豆腐の役割について、自分の納得できる仮説が浮かばないまま、秋田はそれをコメと一緒に口へと運んだ。
皿に盛られた料理の全てを口へと運んだ頃には、秋田の頭の中には豆腐の存在意義という問題は既に残っていなかった。