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さよならアンドロメダに思いを馳せる (さよならアンドロメダ考察)
みなさん、アイドルマスター シンデレラガールズ7thライブ名古屋公演お疲れ様でした。様々な感想があると思いますが、私は今回「さよならアンドロメダ」という曲とモチーフになっているであろう「銀河鉄道の夜」についての個人的な見解を書き記そうと思います。 またこの見解は「さよならアンドロメダ」と「銀河鉄道の夜」の二つを自分の都合よく組み合わせて考えたものとなっており、不都合な点や矛盾する点が多くあるかもしれません。ご了承の程よろしくお願いします。
なぜこのような解釈を改めて考え、文章化したのかというとただ雰囲気が好きだったさよならアンドロメダをデレ7th名古屋公演1日目で見た時、曲中の僕と君で歌詞を分けて表示する演出に感動し、2日目が始まるまでさよならアンドロメダの歌詞の解釈について考え、自分なりの答えを見つけてから再び見た時その感動は倍以上に感じました。
そのため、他のプロデューサーの方はどのような感想を持つのかが気になりましたので、それを考えるきっかけになれるようにこのような形で筆を取りました。
それでは、文章を書くことが得意ではない私による「さよならアンドロメダ」と「銀河鉄道の夜」の解釈の旅にどうぞお付き合いください。
目次
1,「銀河鉄道の夜」のあらすじ
2,「さよならアンドロメダ」の歌詞と関連性
3,「さよならアンドロメダ」のキーワード
4,両方を含めた解釈
5,最後に
1,「銀河鉄道の夜」のあらすじ
「銀河鉄道の夜」は宮沢賢治の童話作品であり、未完の作品となっています。今回は第4次稿を基に話を進めていきます。ネタバレ等を好まない方はまず一読をお勧めします。青空文庫にて無料で読めます。
さて、この作品は2人の少年に大きなスポットを当てて「ほんたうのさいはひ(本当の幸い)」とは何かを考える事がメインテーマになっていると考えています。
スポットが当たっている1人目がジョバンニという孤独な少年です。
ジョバンニは病気で寝込んでしまっている母の代わりに学校の合間にアルバイトをして、貧しながらも生活をしている少年です。また、父は長らく家に帰る事がなく、それが原因で学校でからかわれています。
2人目がカムパネルラという少年です。
ジョバンニとは父親同士が仲が良かったため、小さい頃から仲が良かったのですが、現在はあまり会話ができていない関係です。
カムパネルラは母を亡くしていると推察されています。
全体の話は大きく割愛させてもらいますが、
銀河のお祭りが行われる日にジョバンニは祭りへ向かう際、クラスメイトに父の事をからかわれ、町外れの丘に向かいます。
そこで突然強い光に包まれ、銀河鉄道に乗っている事とカムパネルラが隣の席に座っていることに気が付きます。
ジョバンニとカムパネルラは銀河鉄道で色々な人と出会い、旅をします。様々な出会いを通してジョバンニとカムパネルラはみんなの幸せの為に頑張ろうと語り合います。
そして、旅の終わりにカムパネルラは突然消え、ジョバンニは激しい悲しみに襲われます。
ジョバンニが再び眼を開くと、町外れの丘に戻ってきていました。街に戻る途中カムパネルラが河に落ちたクラスメイトを助けたが、河に流されて姿が見えなくなったと聞きます。
ジョバンニはカムパネルラがどこへ行ったのかを察して様々な思いを胸に抱いて母のもとへ帰り話は終わります。
個人的な意見も含めたあらすじとなってしまいましたが、以上が「銀河鉄道の夜」のあらすじとなります。この作品は人それぞれで感じる物が違うと思いますので、ぜひ読んでもらいたいです。
2,「さよならアンドロメダ」の歌詞との関連性
関連性を考える前に「さよならアンドロメダ」に出てくる「僕と君」、「ぼくときみ」という表現についてですが、「僕=きみ」、「君=ぼく」という形で考えてください。また、「さよならアンドロメダ」の歌詞は「僕と君」による2人の視点から歌われている曲であると考えています。
それでは
「さよならアンドロメダ」の僕と君
「銀河鉄道の夜」のジョバンニとカムパネルラ
の関連性や物語について歌詞を引用しつつ考えてみましょう。
「いつだってそう僕は一人だった」
「目を覚ましたら君は隣にいて」
これらの部分から
孤独であったジョバンニが僕
気が付くと銀河鉄道に乗っていたジョバンニと共に旅をしたカムパネルラが君
という風に当てはめる事ができます。
次に物語の流れをなぞっていきます。
「叶わない約束が雨になって」
叶わない約束とは、お祭りに行くと母との約束をクラスメイトのからかいを受け、町外れの丘に向かった事を指しているのではないかと思います。そして、丘から見るお祭りをしている町の光景を見て、悲しい気持ちになったという一節から、雨=涙と捉えてもいいかもしれません。
「ぼくら 今夜 今夜 そう旅立とう
ずっと ずっと 遠くへ
星の海のむこう アンドロメダ
星座たちのダンスも 地球のまたたきも
きみに みせてあげる」
ここ以降の歌詞はジョバンニとカムパネルラが銀河鉄道で様々な景色や人と出会った事を指し示していると考えています。
「ねえもう少しさ
ねえあと少しだ
ねえどうして
どうして君は泣いているの」
そして、場面が変わるこの歌詞はジョバンニがカムパネルラに対して、「2人でどこまでも行こう。みんなの幸せの為なら頑張れる」と語り、カムパネルラが涙を浮かべながら同意する場面であると思います。
「そして 今夜 今夜 そうお別れ
きっと もう 会えないけど
ずっと ずっとさ きみを思っているよ
泣きはらした顔も 声も
ねえ いつでも きみはすてきだったよ」
「銀河鉄道の夜」ではジョバンニとカムパネルラの別れは一瞬の出来事でしたが、カムパネルラはおそらくこの歌詞のようにジョバンニを大切に思っていたのでしょう。
ジョバンニはカムパネルラとの別れをきっかけに銀河鉄道から町外れの丘に戻り、カムパネルラがクラスメイトを助けた事を聞き、カムパネルラの死を察します。しかし、その後のジョバンニの感情については明言を避けて書かれていません。
「さよならアンドロメダ」ではその後のジョバンニの感情を示している歌詞が以下の部分ではないかと思います。
「そして夏の終わり
雨が静かに降る夜は
君のことを思い出すから
空見上げて微笑むから」
ジョバンニは銀河鉄道の旅での出来事やカムパネルラとの別れを通して、孤独を感じていた頃から変わるきっかけをもらい、他人の幸せの為に尽くす事が本当の幸せに繋がると気づかされたのではないでしょうか。
3,「さよならアンドロメダ」のキーワード
「さよならアンドロメダ」は歌詞の中で何度も登場して、かつ重要な言葉が個人的に二つあると思っています。
それは「アンドロメダ」と「笑う」の二つです。
それぞれの言葉がどのような意味になるのかをこれまで関連性を見出してきた「銀河鉄道の夜」から考えてみました。
「さよならアンドロメダ」では僕は君と出会い、アンドロメダへ向けて旅立ちます。このアンドロメダは願いが形となって叶う場所とも歌詞中に出てます。
そして、曲のラストでたどり着いたアンドロメダから去っていく流れになっています。
おそらく、曲中の僕はアンドロメダで願いを叶えて帰ってきてると思われます。
では、曲中の僕は一体何を願い、アンドロメダは何を指しているのか?
そこで、私は「銀河鉄道の夜」から曲中の僕は「ほんとうのさいわい」を願い、アンドロメダは「ほんとうのさいわい」の答えを得る瞬間を示していると考えました。
このように考えた理由として、「銀河鉄道の夜」を読んで「ほんとうのさいわい」とは人の幸せの為に尽くす事が一つの答えなのかなと思ったからです。
これに関しては、人それぞれ答えが変わると思いますが、私はこのように解釈をしました。
カムパネルラはジョバンニに対して
「ほんとうにいいことをしたら、いちばん幸なんだねえ」
と決心したように言っています。
これをきっかけに、ジョバンニは「ほんとうのさいわい」について考え始めたのではないかと思います。
そして、銀河鉄道の旅の終盤でさそりの話を聞いたジョバンニは
「僕はもうあのさそりのようにほんとうにみんなの
さいわいのためならば僕のからだなんか百ぺん灼や
いてもかまわない。」
とカムパネルラに対して言いました。この部分で、私は「ほんとうのさいわい」=他者への献身だと思い、「さよならアンドロメダ」のアンドロメダはここのジョバンニとカムパネルラの会話のシーンを示しているのではないかと思います。
次に、笑うという言葉ですが、「さよならアンドロメダ」では笑えない僕に笑いかけてくれた君、願いが叶うなら君に笑えるかなというような形で出てきます。
では、笑えない僕に対して笑いかけた君と笑えるようになったら君に笑いかけたい僕はいったいなぜ笑いかけたいと思ったのか?
私は笑いかけるという行動は人を助けたい、幸せにしたいという気持ちの表れなのではないかと思います。
皆さんは、目の前に泣いている子供がいたらどうしますか?きっと、子供の前にしゃがんで笑いかけながらどうしたんだいと尋ねると思います。そのように思う気持ちこそが、「笑いかける=人を助ける、幸せにする」を成立させてくれるのではないでしょうか。
だからこそ、笑えない僕に対して、君は助けたいと思う気持ちから笑いかけたのではないでしょうか。
だからこそ、助けてもらった君のために僕は君を幸せにしたいから笑いかけたいと思ったのではないでしょうか。
この「笑いかける=人を助ける、幸せにする」というのは「銀河鉄道の夜」での「ほんとうのさいわい」=「他者への献身」にも繋がると思います。
4,両方を含めた解釈
これまで多くの事について語ってきましたが、ここで私の「さよならアンドロメダ」の解釈を述べたいと思います。
私はこの曲を僕(ジョバンニ)が君(カムパネルラ)の想いを引き継いで、この先も生きていく前向きな歌だと考えました。
この曲の解釈として、別れや失恋の歌、僕と君は今と未来の自分の姿の可能性など、様々な解釈があります。当然人それぞれ解釈は異なると思いますので、ここからは先は特に私の一意見として受け取って、読んでくださっている皆様も考えてみてください。
なぜ私は上記のような解釈を行なったのかという一番の理由となる歌詞を引用させてもらいます。
「ねえ ねえ
ねえどうして
どうしてきみは君なんだ」
これはラスサビ前のCメロ部分の歌詞になります。
正直この部分の解釈によってこの曲全体の解釈が決まると思うぐらい重要な部分だと思いました。
この歌詞は君から僕に向かって言っているセリフや抱いている想いであると考えています。
この歌詞通りに考えると僕=君という形になり、最初は僕は今の自分、君は未来の自分という解釈を考えましたが、このセリフは未来の自分側の君が言っているのを考えると僕が過去の自分であると分かっていないのは少し不自然かなと思いました。
ここからはかなり飛躍した考えとなりますがついて来てください。「どうしてきみは君なんだ」という歌詞の中には表記されていない言葉が込められているのではないかという考えが浮かびました。
なので、表記されていない言葉を含めた歌詞は
「どうしてきみは君(と同じ想いを持ってくれる人)なんだ」
さあ、かなり無理やりなこじ付けになってまいりました。まあ聞いてください。
このように考えた理由は、また登場「銀河鉄道の夜」にヒントがあると思いました。
「銀河鉄道の夜」はジョバンニの成長の物語であるのと同時にカムパネルラの最後にやり残した事をやり切る物語なのではないかなと思いました。
カムパネルラは銀河鉄道に乗った時点で既に現実世界では死んでいる事を確信しています。そのため、この銀河鉄道に乗ってる時間が最後に残された猶予だと思ったのでしょう。
「誰だって、ほんとうにいい事をしたら、いちばん幸なんだねえ」
おそらくカムパネルラは銀河鉄道に乗った時点で「ほんとうのさいわい」=「他者への献身」という考えを持っていたのではないかと思います。
でなければ、現実世界で河に落ちたクラスメイトを自分の身を犠牲にしてまで助けようとはしないのではないかと思います。
そして、最後の時間である銀河鉄道では親友ジョバンニを良い方向へ導く事を決心したのではないでしょうか。
ジョバンニは銀河鉄道の旅を経て、
「僕はもうあのさそりのようにほんとうにみんなのさ
いわいのためならば僕のからだなんか百ぺん灼や
いてもかまわない。」
「僕もうあんな大きな闇の中だって怖くない。きっと
みんなのさいわいを探しにいく。」
このように考えるようになりました。そしてカムパネルラはそれを聞いて涙を浮かべます。この涙の理由はジョバンニが成長して、自分と同じような考えに至った事を嬉しく思ったからではないかと思います。そして、カムパネルラはジョバンニを導くという役目を終えて、消えていったのではないでしょうか。
故に、
「どうしてきみは君(と同じ想いを持ってくれる人)なんだ」
というような隠されたメッセージがあるのでは無いかと思いました。
そのため、全体の解釈をするならば、
笑わない僕の前に笑顔(幸せ)にしたい君が現れ、様々な旅をする。次第に僕の心は成長していき、君と同じ考えを持つようになる。そして、アンドロメダにたどり着く時に僕が君と同じ思いであると君は理解する。君は僕を笑顔をする役目を終え、消えていく。
僕は君から教えて貰ったことを忘れずに生きていく。
5,最後に
長々と書き綴って来ましたが、ここまでお付き合い頂きありがとうございました。私自身、このような解釈を自分が思うままに書くことが初めてでしたので、分かりにくい部分が多くあるかもしれません。
ただ皆様にはこれが1意見であるということを忘れずに自分はこうじゃないか?やこう思う!という気持ちを忘れずに持ってほしいです。解釈は人それぞれがどんなものを見て読んで、どんな人生を歩んできたかで変わってきます。
そして、最後の挨拶となりますが、ここまで読んでくださった方本当にありがとうございました。
イノタク is God