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「さようなら」と「こんにちは」|高垣先生を偲んで -2-

ぼくはこの文章を先生と「さようなら」するために書いている。

高垣先生は生前よく、「さようなら」と「こんにちは」の話をしていた。

「何かに『さようなら』する覚悟なしに、何かに『こんにちは』することはできない。きちんと『さようなら』しないと、何も新しいものは始まらないのだよ。」

先生に諭してもらったことのなかでも、特に印象深い話だが、それからもぼくは「さようなら」が苦手だ。

大事な人と「さようなら」をしても、忘れてはならない。忘れることは流すことだ。自分の人生で出会った、大事な人や、大事な出来事を忘れることは、自分の人生を流すことだ。きちんと「さようなら」をするためには、その対象を心に刻みつけなければならない。心に焼き付けなければならない。そうしてこそ、「さようなら」ができる。そして新しい世界と自分に「こんにちは」できる。そこには成長・発展と人生の物語がある。

(高垣忠一郎(2004)『生きることと自己肯定感』新日本出版,pp103-104)

「さようなら」は忘れることではない。出会いや体験を味わい尽くし、受け入れ、生かすこと。

喪失を直視できない時代は「得ること」のみを求め、自己を醜く肥大化させていく時代だ。「得ること」のみを求めて、「前へ」「前へ」と進むことを「前向き」だとか「プラス志向」と持ち上げる、一面的で陰影のない平板な時代だ。

(高垣忠一郎(2004)『生きることと自己肯定感』新日本出版,pp129)

喪失を深く悲しむ。そこから脱け出す物語りがどんなものかはわからないし、ないようにさえ思えるが、まず先生を失ったことを悲しむところからしか、新しい人生と「こんにちは」することも、いきいきと「生きる」こともないのだろう。

先生が最期を迎えられた自宅のベッドの正面の壁には、「人間の一番大事な仕事は老いること死ぬこと」と記した短冊が掲示してあったらしい。

「人生に死があればこそ、人生はドラマになり、『物語』になる。」と語った先生は、死を前にして何を思い、高垣忠一郎という物語にどのような「こんにちは」を見出したのだろう。

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ざわけん/大澤健
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