「さようなら」と「こんにちは」|高垣先生を偲んで -2-
ぼくはこの文章を先生と「さようなら」するために書いている。
高垣先生は生前よく、「さようなら」と「こんにちは」の話をしていた。
「何かに『さようなら』する覚悟なしに、何かに『こんにちは』することはできない。きちんと『さようなら』しないと、何も新しいものは始まらないのだよ。」
先生に諭してもらったことのなかでも、特に印象深い話だが、それからもぼくは「さようなら」が苦手だ。
「さようなら」は忘れることではない。出会いや体験を味わい尽くし、受け入れ、生かすこと。
喪失を深く悲しむ。そこから脱け出す物語りがどんなものかはわからないし、ないようにさえ思えるが、まず先生を失ったことを悲しむところからしか、新しい人生と「こんにちは」することも、いきいきと「生きる」こともないのだろう。
先生が最期を迎えられた自宅のベッドの正面の壁には、「人間の一番大事な仕事は老いること死ぬこと」と記した短冊が掲示してあったらしい。
「人生に死があればこそ、人生はドラマになり、『物語』になる。」と語った先生は、死を前にして何を思い、高垣忠一郎という物語にどのような「こんにちは」を見出したのだろう。
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