無縁仏と私@お盆編
20代後半、スピリチュアルな世界に興味を持ったばかりの私は意欲的だった。
言い方が悪いかもしれないが、見えない世界に関わることが好きな人、生業にしている人が世の中にこんなにも溢れていることを知らなかった。
昔から妖精や神様のことは好きだったけど、それは心の中にしまっておく秘め事のようなものだったのだ。
変な人だと思われる、いつまでも子供染みていると、そう思われるのが嫌だった。
みんなと同じが良い、みんなと同じでも十分に楽しめるのだから、わざわざ変な方向に行く必要がない。そう思っていた。
メディアで取り扱われる霊能力者は、いつも怖い顔をしていて「ここに悪霊がいる」そういって数珠を振り回していた。ノスト◯ダムスをはじめ、恐怖で支配するような、強くて怖いもの。
うさんくさい、こわい…だけど目が離せない。
見えない世界は私にとって、見てはいけない舞台裏のようだった。
騙される、大金を取られる、変人扱いされる。
「信じるものは、搾取される」
そんなネガティヴそのもののスピリチュアルの世界。だけどなぜか、好きなのだ。
私の信じる世界は、柔らかくてふわふわしていたが、外から発信される世界は丸腰で崖肌にへばりついているような、ギリギリの厳しくて怖い世界だった。
そんな私のスピリチュアルへのイメージが、とあるサイキッカーとの出会いをきっかけに変わっていった。
詳細は省くが(いつか機会があれば書く)、そこをきっかけに「怖い」から「おもしろい」へ、「見てみぬふりをすべき」から「自分の感覚を信じて良い」へ。
今まで生きていた世界線とは別の世界線へ、踏み外したと言うべきか、一歩踏み出した言うべきか…ともかくそんな変化の時期に、無縁仏との縁(?)があった。
スピりたてホヤホヤの私は、ふわふわで知識も乏しかった。(今も色々やっちまってはいるが)
そんな私の体験を、どうか同じような事にならないでねと注意喚起も込めて書き残していきたい。
**********
その日は、楽しみにしていた演奏会だった。
クリスタルボウルという、水晶を砕いてボウル型に作った楽器の演奏会。
お盆の時期の夕食時、お寺で開催すると言う、スペシャルな演出に心躍っていた。
皆境内に寝転がり、それぞれ楽な体勢で演奏を聴いた。クリスタルボウルのボワンボワンという音と見慣れない煌びやかな室内。
非日常というか、いかにも特別というか…とにかく私は浮かれていた。
そしてその浮かれた気分のまま演奏会は終わり、自由に室内を散策する時間が設けられた。
正直私は、お寺にはそこまで興味がなかった。
手持ち無沙汰のままウロウロして、なんとなく時間を潰していた。
(はやく解散にならないかな…)
演奏が終われば、そこはもう私にとってはなんの意味もない場所だった。
帰って良いよの言葉を待ちつつ、引き続きウロウロしていると、なんだか雰囲気の違う小部屋があったのだ。
気になってチラッと覗いてみる。
殺風景な棚に、ところどころに箱のようなものが並んでいた。これはなんだろう。
「ここはね、無縁仏の場所なんですよ」
振り返るとお寺の住職さんがいた。
いきなり後ろから声がしたので、心臓が飛び出るかと思った。
彼はとても熱心に無縁仏について教えてくれた。
誰とも縁のない仏様、忘れられた仏様。
話を聞いていくうちに、涙が止まらなくなってしまった。一瞬、本当に一瞬だけ「無縁だなんて、かわいそう」と思ったのだ。そこから涙が止まらない、そのうち身体がガタガタと震え出した。
むちゃくちゃ寒い、なんだこれは。まずい。
その部屋を出ようとしたのだが、入り口を塞ぐように住職さんが立っているので出れない。
奥歯がガチガチとなり出すくらいの寒気、そして自分の気持ちとは関係なく流れてくる涙。
(これは絶対まずい、泣いているの私じゃない)
知り合いが異常を察知して、広間に出してくれた。
が、私の涙も寒気も止まらない。
(かなしい)
(泣いてくれるんだよね)
(私のために泣いてくれるんだよね)
(私の代わりにないてくれるんだよね)
とうとう立っていられなくなり、うずくまって泣きじゃくるまでになってしまった。
しばらくうずくまっていると、シャン!と鈴の音が聞こえた。
私はつっぷしたまま周りが見えていなかったが、ダダン!と力強い足音が何度か聞こえ、そして私の周りをぐるりと何周かしている。
シャン!シャンシャン!たくさんの鈴の音が聞こえる…。
しばらくすると「戻った」感覚になって、体を起こすことができた。
「大丈夫ですか?」
今日の演奏者さんだ。そうだ、普段は神様への舞を舞われると言っていた。
手に持っていたのは巫女鈴。そうか、お祓いをしていただいたんだ。
お盆、お寺、夜
そして「可哀想」という強い同情。
いろんなことが重なって、その日私は「イレモノ」状態になってしまったのだ。
悲しく人恋しく、誰とも関われない、行く場所もわからない不安で仕方がない霊達に同調してしまった。
助けられるわけでも、何かできるわけでもないのに、声をかけてしまった。
助けてくれるの?
悲しんでくれるの?
ついていっていいの?
良いわけがない。
迷子を保護しても、親も居なければ警察もいない、施設もない。引き渡し先がない。
そんな状態で保護したら、憑れて帰るしかなくなる。
霊側も必死なのだ。
薄暗い中でやっと見えた光、掴んだかもしれない蜘蛛の糸。
そりゃあ必死で乗っかるよね。
たとえ何の能力もないただの人間でも、自分の代わりに泣いてくれたら、自分のかわりに◯◯してくれたら…それだけでまた「生」を感じられる。
ずっと迷子だったから、優しさと、愛に飢えている。
********
「もし、次に自分が嫌だなと思う場所に行ったら、柏を打ってみて。それだけでも寄れなくなるから。あとは、同情しないこと。私には何もできません、と宣言すること。」
演奏者さんからアドバイスを頂き、その日は解散となった。
私は力一杯のお礼を伝えて、心のダッシュで車に向かった。(実際は早歩き)
一刻も早くこの場を離れなければ…!その思いでいっぱいだった。
するとどうだろう、住職さんが駐車場まで追いかけてきたのだ。
「なんだか大変なことになってしまったけど、またきてくださいね。そうそう、◯◯は〜」
おい待て、なぜここで世間話を始めるんだ!
落ち着いていた奥歯ガチガチが蘇る。
さむい、今ここで柏を打ってよいだろうか。
見てたよね?え、見てたよね?私おかしくなってたよね???なぜ引き止めるよ…おい
むしろあの状態で
真っ先にお祓いするべきだったのって
住職さん、あなたなのでは???
ねぇー!!!ちょっとー!!
引き止めないでー!!!!!!!涙
奥歯がガタついて、うまく喋れなくなったところで、知人がうまいこと切り上げてくれて脱出。
今思うと、住職さんにもなんかくっついていたのかもしれない。
「こんなおいしいイレモノ、逃すわけにはいかないんだよ」と、無数のナニカに操られて引き止めてきたのかもしれない。
じゃないとただのデリカシーの無いおじさんに絡まれた可哀想な女性の話になってしまう。笑
それから色々な体験や出会いを経て、私は私自身が「もらい体質」であることを知ったので
危ない場所へは近づかないし、気持ち悪いと思ったら即柏を打つ。
あと、霊は下ネタが嫌いと聞いたので(ごめん根拠までは調べてない、たぶん生命を感じるからだと思うけど自信がない)あぶないなと思うところでは脳内エロガッパを召喚するようにしている。
今でも「私は何もできません」は、自分を守る言葉だし、心を寄せないというのは守っている…つもり…だったのだけれど。
時を経て、またしても無縁仏との関わりを持ってしまうのだ。
それはまた、次のnoteで。