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チャリティーについて考えてみる。

 1995年1月17日 未明。気がつくと家族が部屋の中心に集まっていた。

 当時、8歳の僕は床に布団を敷き詰めた寝室で家族とともに眠っていた。地面が揺れた。何が起こったのかは定かではない。僕は天井を見た。天井の角が円形の軌道を描いてまわっている。つまり立方体の寝室が箱ごと揺れているのだ。そして僕は思った。「終わった……」と。

 やがて揺れが収まった。家族にケガはない。ここからの記憶は断片的ではあるが、誰かの付けたテレビから倒れた高速道路が映し出されていたのを鮮明に覚えている。とても現実だとは思えない。まさに映画の世界そのものだと思って眺めていた。
 その日は小学校にも行った。通学時、自宅マンションの駐車場で地面を見ると、アスファルトが数センチの隆起している。ニュースではマンションが横倒しになった映像もたくさん見た。僕は背中が冷たくなるのを感じながら学校へと向かった。
 街はやや静かではあるが、いつも通り社会が動いているのを肌で感じた。そして校庭に集められた僕たちはすぐに解散となった。
 その時、僕は子どもながらに思った。「地震直後の通学はさすがに危ないのではないか?」と……。ともあれ、これが地震というものを初めて知った日の出来事である。

 さて、本題のチャリティーに関して知ったのは、冒頭の阪神淡路大震災からしばらくしたタイミングであった。Mr.Childrenというバンドが『シーソーゲーム~勇敢な恋の歌~』という楽曲の印税と売り上げのすべてを阪神淡路大震災の義援金として寄付するというのだ。
 同楽曲は、その後180万枚を超えるセールスを記録するため、CDの価格が千円だとしても億を超える金額が寄付されたことになる。当時、子どもながら凄まじい金額だと思った記憶がある。

 しかしながら、世間では高額な寄付を揶揄する声も少なくない。理由は定かではないが、お金という響きが不快にさせるのかもしれないと感じたことがある。 
 でも、思うのだ。チャリティーとはあわれみ助けること。それは、どのような形であっても揶揄されるものでは無いのだ。人によって出来る範囲やことがらに違いがある。
 しかしながら、億を超える寄付金もコンビニの募金箱に入れる一円玉も、何ならこの文章を書くという行為でさえも思いのうえでは平等なのである。そう、チャリティーを考えるうえで大切なのは、誰かを思い助け合う心なのではないかと思うのだ。
 つまり日々の情報を吸収しながら、誰を傷つけるでもなく自分の出来ることを精一杯する。すると思いがつながり、やがて優しい空気に包まれていく。これこそがチャリティーなのではないかと、改めて僕は思うのだ。

今回、僕にバトンを渡してくれたのはしらゆりさん。

しらゆりさんの文章は柔らかく奥行きのある表現が特徴で、特に心情表現においては繊細さと豊かさをあわせ持っているといつも感じている。
一方で、Xで交流すると意外な一面をちらほらと。笑

さてはて、僕からバトンを渡すのはBRILLIANT_Sさん。

BRILLIANT_Sさんは以下の企画でもご一緒させていただいており、いつも話をうまく装飾して、意外な展開へと導いてくれる方である。
また、NOTEでは人懐っこい表現も多く、楽しく拝読している。
今回は、バトンを受け継いでいただきありがとうございます。

なお、この記事はPJさんのリレーエッセイ企画に参加しています。
#ギネスリレー

以上

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