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【短編小説】九月が灰になる頃に
「ありがとうございました」
定型文を聞いて自動扉を出ると、真上から日差しが照り付けてきた。そして、煙草と弁当を手に持って自宅に逃げ帰る。
これは、最近の田中小太郎が社会と接する唯一の出来事であった。彼は一か月前に会社を退職し、社会復帰を目指す二十四歳。しかし、小太郎の意思は乏しく、ただ日々を垂れ流すだけであった。
サビついた階段、光を濁りと共に反射する郵便受け。これが小太郎の住処である。ふと、彼は郵便受けに目を向けた。すると、珍しく郵便物が刺さっていた。
小太郎は、それを取り階段を上る。二階にある扉を開くと、窓とテレビ、そして布団だけが見えてくる。しかし、小太郎は何も感じない。ただ無感情に日々を過ごす。それだけだった。
郵便物を床に置き、テレビをつける。すると、昼のワイドショーが誇らしげに騒いでいる。小太郎は煙草に火をつけ、郵便物を眺めた。
それは、カレンダーであった。それも、九月の日付のみが印刷されている変わった代物である。小太郎は、テレビの音源により今日の日付を確認した。どうやら、九月二日らしい。
隔絶された部屋に住み着く小太郎は、当に日付の感覚を失っていたのだった。
近くにサインペンが見えた。封筒に文字を書くために購入したのだ。隣には、書きかけた履歴書が置かれている。
小太郎はサインペンを手に取りカレンダーを見た。九月一日は防災の日、九月二日は宝くじの日だそうだ。
彼はサインペンを手に取り、九月二日を塗りつぶした。特に意味は無い。単に、過行く時の流れを感じたかっただけかもしれない。
すると、またワイドショーが騒がしく音を鳴らしている。しかし、その音は不可解な驚きを含んでいた。
小太郎は、テレビに目を向けた。すると、女性リポーターがニュースを読みあげる。
「全国で宝くじが売り切れました」と。
この時、小太郎は何も感じなかった。世間に半ば興味を失っていたからである。そして、次の日も、また次の日もカレンダーの日付を消していった。
すると、不思議な出来事が起こった。九月十日、その日もテレビを見ながら日付を消すと、いきなり画面が白黒になったのだ。
小太郎は、テレビの故障を疑った。しかし、カラーテレビが白黒になる故障など聞いたことがない。彼はすぐに考えるのを止めた。時間が経てば元に戻るだろうと思ったからである。案の定、翌日にはカラーで映し出されていたのだった。
九月十六日、小太郎は競馬の中継を見ていた。残り少ない金を使って馬券を購入し、一獲千金を狙ったのだ。
彼は塩をつまみに焼酎を飲み、煙草を吸った。そして、カレンダーの日付を黒く塗りつぶしたのだった。
すると、画面に映る景色が白く染まっていき、競馬場が白で埋め尽くされる。突然の大雪、それによって小太郎の望みは露と消えたのだった。
もう気力も金も無くなった。小太郎の手元にあるのは、焼酎、塩、煙草、そしてカレンダーとサインペンだった。
テレビは、今日が秋分の日だと伝えている。しかし、小太郎には関係がなかった。明るい景色も歪んで見えてくる。
そして、彼はカレンダーの日付を塗りつぶす。もう、どうしようもない。そんなことを考えながら……。
すると、窓から光が消えた。まだ、昼だったに違いない。先ほどまでは、まばゆいほどの光が差し込んでいたはずだった。
小太郎はライターの火を頼りに窓を開けた。しかし、そこには何もない空間が広がっている。街灯も、信号も、太陽の光ですら何もない。ただ、闇が広がるだけだった。
頬をつねってみた。残念ながら痛みがある。それは、小太郎の絶望を加速させる。唇が小刻みに揺れ、手に力が入らない。もし、ライターの火が消えれば音も光も無い世界に導かれる。そう思った。
小太郎は必死に状況を整理した。闇に包まれる直前の行動。テレビを見た。塩を舐め、酒を飲んだ。煙草の火を消した。そして、カレンダーを……。
カレンダー。そう言えば、以前にも疑問に思ったことがある。小太郎は、ライターの火を頼りに九月のカレンダーを詳しく見た。
サインペンで塗りつぶされた日付が並んでいる。しかし、薄っすら日付ごとの行事が書かれていたのを思い出した。小太郎は必死にそれを見た。理由は分からない。ただ、すがりたい。それだけだった。
すると、あることに気付いた。
宝くじが売り切れた日。つまり、九月二日にカレンダーの日付を消したら、ニュースが流れた。他にも、九月十日はカラーテレビの日。九月十六日は競馬の日と書かれているように見える。
小太郎は確信した。このカレンダーは日付を塗りつぶすと、書かれたイベントごと消えるのだと。
では、秋分の日とは何だ?
彼は目を瞑って、深く息をした。すると、遠い記憶が呼び起こされる。学生時代の忌まわしき記憶。社会人になって体験した漆黒の記憶。その削除したい記憶の先に、幼少期に見た図鑑の記憶があった。
そこには、秋分の日は昼と夜の時間がおおよそ同じになる日だと書かれている。さらに、秋分の日を境に夜の時間が長くなるとの記載もある。
では、秋分の日を消すことで昼と夜のバランスが崩れて、闇に加速したのか?全く理屈は分からない。しかし、現状は代えがたい真実なのだ。
寒気を感じた。太陽の光を失い、気温が下がり始めたのだろうか。小太郎は、燃えるものを探した。炎が少しでもあれば、まだ何かできるかもしれない。そう思ったのだ。
すると、足が何かにぶつかった。ライターの火を向けてみると、それは灰皿であった。灰皿、ライター、……カレンダー。
小太郎はカレンダーを手に取り、ライターの火で燃やした。カレンダーは、見る見るうちに燃えていき、日付が灰に変わっていく。
炎は、九月二十二日を灰にしようとしていた。すると、日付が灰になるにつれて、闇は光を取り戻す。
やがて、外は光を取り戻した。窓からはまばゆい光が差し込んでくる。小太郎は、それを見て安堵した。
彼は窓からの景色を見た。太陽の日差しが、こんなにも有難く思ったのは久しぶりだったかもしれない。
ふと、床を見ると、書きかけた履歴書と封筒、そして燃え尽きそうなカレンダーがある。
小太郎は、九月のカレンダーと共に心の闇も燃え尽きた。そんな気がしたのだった。
☀この記事はクロサキナオさんの企画参加記事です☀
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