我々は何故『花束みたいな恋をした』に共感するのか
実は、以前もこの作品の感想を書いているんですけど。
最近もう一度観直したら、結構違う感想を抱いたので再度書いてみた次第です。
しっかりと映画館で観た作品でも、期間をおいて見直すと新しい発見があるものですね。
この映画、上映当時から『共感できる!』ってことが一番話題になっていた気がしていて。僕自身も、鑑賞当時はそう思っていました。
昔の感想にもこう書いていますね。
この感想は、観返した今も変わんないんですけど。
少し変わったのは、観客である我々が主人公二人に共感する理由なんですよ。
以前は、この作品の中で描かれているリアルさが共感に繋がっていると思っていたんです。
リアルな会話や人間模様、そして当時の世相や実在するエンタメ作品を小道具として使うことで、空想の物語を事実かのように錯覚させる演出。
それこそがこの作品の肝だと思っていた。
でも、33歳になった今観返すと。
多くの人がこの物語に共感できる理由は、多分世の中の大多数の人が麦くんか絹ちゃんどちらかに似た人生を歩んでいるからだと思うんです。
楽しさに重きを置いて、仕事にも自分の『好き』を求める絹ちゃん。
仕事はお金を稼ぐものだと割り切って、どんどん『好き』を切っていく麦くん。
考えてみたら、大人の大多数は彼らのような二つのパターンに分かれるわけです。
趣味と仕事の良いとこどりができている人なんて、あんまり見かけないもんね。
例えば皆さんの友人の中に、学生時代から同じ趣味を継続している人ってどれぐらいいるでしょうか。
参考までに、僕の周囲ではせいぜい一人か二人です。
それ以外の人は、否応なく自分の『好き』を切っていっている。
麦くんも、そんな人の一人です。
仕事を始めると、これまでと同じ熱量では好きなことに取り組めなくなる。
結婚したり子供ができると、優先順位がこれまでと変わってくる。
人間は、生きていると否応なしに変化していかなきゃいけない。
社会人の多くは、どちらかというとそんな麦くんに自分を重ねるんじゃないかな。
一方で、少数ですが大人になっても自分の『好き』を失わない人達もいます。作中で言う絹ちゃん派ですね。
麦くん派の人たちは、心の中で絹ちゃん派の人達に対して憧れと偏見を持っていると思うんですよ。
好きなことを好きなままでいれて羨ましい、という気持ちと社会人になったら甘さは捨てなきゃダメでしょ、という相反する気持ち。
そういうところを絶妙に突いてくるからこそ、この作品はこれだけの支持を得たんじゃないかなーと思う訳です。
なんか、見返した時の自分の年齢によっても感想が違ってきそうで。それも面白いですよね。
また、何年か経ったら再鑑賞したいと思います。