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食べるより育てるほうがメインになっていた


豆苗と大根の葉を、続けて台所で育てた。緑があるっていいなと思った。



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私には緑の指が無いので、家庭菜園はもちろん観葉植物やお花の類とも疎遠で過ごしてきた。花瓶にさすタイプの花に関しては緑の指は関係ない気もするが、お花を買うお金があればスイーツやグッズ等を買ってしまうし、枯れてしまった後の片づけを考えるとなかなか手が出ない。


しかし、花は心を満たしてくれる。スイーツも同様だが、食べものは短期集中型であり、余韻はあるにしても「また食べたい」という渇望も同時に生まれる。つまり満たされているようで満たされていないとも言える。

その点、花は数分じゃ枯れない。うまくやれば数日間は目から脳、そして心へ癒しをもたらしてくれるだろう。


手始めにセリアで花瓶を購入した。これなら急な花欲が起きても軽率に購入できる。本来あまり良くないこととされる衝動買いを自ら誘っていく。そのくらい花との距離は遠い。豆苗や大根の葉とは大違いである。


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野菜、特に葉物類高騰の昨今、「最大限に利用しようぜ」という熱意が自分の中で高まっている。


豆苗に関しては、1袋98円といえども火を通したらキュッとなるじゃん……とあまり使ってこなかったのだが、2回分になると考えればお得なのかもしれないと思い直す。ビタミンも豊富だし。


それでいうと、大根の葉に関しては最初から嵩など求めていない。栄養素、そして「緑」要員である。いつもの料理に鮮やかな黄緑がちょろっと混ざるだけで安心を与えてくれる。栄養の音がするのだ。



しかし収穫を終えた今、このミニミニ台所菜園のクライマックスは生育過程だったと実感している。

ただのひょろ短い白、あるいはほとんど禿山のような丘から、ほんの少しずつ伸びてくる緑。暖房の恩恵をほとんど受けず、太陽の陽射しなんてまったく期待できない台所でも、彼らは健気に葉を伸ばしてくれた。

きちんと減っている水を見ては、今日も生きてくれていることに安堵する。そしてさらに大きくなれるよう、しかし溺れないよう適量を慎重に注ぐ。世話を忘れずにできている己を褒め、次も忘れないぞと気を新たに引き締める。


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どちらも胃に収めると、この数秒が癒しになっていたことをより強く感じた。大根は昨日収穫したばかりなのだが、もう少し生きてくれないかと未練がましく水やりを続行している。


しかし仮に残念な結果に終わったとき、その姿は悲しいものになりそうなので、潔くお別れしたほうがいいのかもしれない。




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三谷乃亜
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