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執着心とコロッケ



夢での出演を日々願うくらいにはコロッケが好きなのだが、残念ながら現実世界では、いつでも両手を広げて受け入れることができていない。だからこそ、夢での逢瀬を期待している節はあるのだけど。


どうやら私は食に対する執着心が比較的強い方らしく、そのせいで変な拘りというかマイルール的なものが存在する。気分によって緩急はあるが、「急」になってしまった場合は自分でもかなり面倒くさい。「緩」をバレないように少しずつ拡大していくという戦法をとっているが、現在は「急」に押され気味だ。



先日のコロッケもそうだった。



夕飯前に母とセブンイレブンを訪れた際、揚げ物を2つ買うと安くなるキャンペーンを開催していることに気が付いた。コロッケの文字と写真がポスターに大きく載っているのを見た私は色めきだったが、その日に食べる想定はしていなかった。なぜなら、そのときには既に夕飯が用意されていたから。


しかし、母は私が店内をフラフラしている間にコロッケを買っていてくれたのである。


夢でコロッケをたらふく食べたいと毎晩のように聞いていた母は、キャンペーンを知ったこの機会に買ってあげようか、という気になってくれたのだろう。それは本来、本当にありがたい話だし、冷静になった今は感謝の念の方が大きい。しかし、当時の私はものすごく困ってしまったのだ。



『コロッケを食べる際は、それがメインディッシュであるか、主食やメインディッシュの量が少なめな場合である』という概念が、知らないうちに自分の中にできていた。

小学生の頃はスポーツ系の習い事が終わったあと、隔週で中華まんかコロッケを食べて、そのあと夕飯を食べる、なんてこともしていたのに、いつの頃からかどちらも「おやつ」として食べることに抵抗感を覚えるようになっていた。


こうしてコロッケとの接触はどんどん減っていったのだが、大学時代の一時期にコロッケを毎日のように食べていたことを今、思い出した。



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当時の私は大学の食堂で毎日昼食を摂っていたのだが、『これだ』と自分で思ったメニュー構成を飽きるまで続けるということをしていた。その中に、コロッケが入っていたバージョンも存在していたのだった。

詳細は覚えていないが、確実に主食は無かった。コロッケはジャガイモだし、パン粉だし、炭水化物! という理論で、コロッケに主食としての役割を任せきっていた。

周りの友人がお弁当や丼を食べている中、コロッケ・サラダ・豆腐みたいな歪なお盆を広げている私は、他人の目からはどう映っていたのだろうか。



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そんなことをしていた記憶なんてすっかり頭の奥にしまいこまれていたのに、もう何年も経った今、ほとんど同じことをしている自分に気づき、やるせなさに見舞われた夕食のひと時。母にも夕飯のみなさんにもコロッケにも申し訳ない気持ちでいっぱいである。


食に執着しすぎると、食に対して失礼になる。このことを胸に刻んで「緩」軍を強化していきたいところだ。

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三谷乃亜
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