言語と苦手意識
高校生の時、英語が得意だった。
授業してる先生に恵まれたのもあるし、アメリカ人の友達できたこともあって、英語喋るのも勉強も楽しかった。大抵相手もゆっくりの会話になってくれて、ゆっくりジェスチャーとか混ぜて、おしゃべりした。
大学に入ってすぐ、留学生と仲良くなった。英語とその人の母語を話す人が多かった。とくに臆せず話せた。
英語科の先輩たちはぺらぺら喋って、留学生同士でも英語をぺらぺら喋って、ついてけなくなった。二人ならゆっくり喋れるし伝え合えるので、少し劣等感もあったけど、なんとかなったし、私は話せるという意識はあった。
台湾に留学したとき、いろんな国の人が来ていて共同生活をした。すぐにいろんな人に話しかけて仲良くなっていって楽しかった。中国語で話すことが多かったけど、英語と混ぜたり、伝わることがたくさんあっておしゃべりが楽しかった。
話せる言葉数の違いはあって、中国語がぺらぺらの子同士、同じ国から来た人同士、趣味が似てる、とかにグループが分かたり重なり合ったりしていった。
しばらくして、英語圏からきた人のグループが、特定の国から来た人の英語を、その国のなまりの英語だって揶揄してたのをみて、疎遠になった。
日本で会う中国人には、台湾なまりだねって言われていやになることが多い。どういう意味なの???
日本人は英語が苦手ってよく聞く。4月に知り合った欧米人にも言われた。
いま思い返すと、留学中は、あなたたちの中国語もたいしたことないじゃんって反撃したいし、欧米の人にはあなたの日本語下手じゃんねって言いたくなる。うるさい、言葉はどこの人もなまるわって思う。自分の言語力を見てから言え、おまえらの倫理観大丈夫か。
問題点は別のとこにあると思うけど、同じ土俵に上がりたくなる。
結局誰にも何も言えなかったし、言えてない。
ずっとその場にいる自分がいる。
自分の話す英語も中国語もなまりがあるとか、下手とかなんか言われるんだろうなと身構えてひとに話さなくなってしまった。
かなしい、、、自分の倫理観ない土俵に上がって言い返したい気持ちを受け入れてから別の道が見つかる気がする
最近読んでる本で、障害者が介助者に対して思ってることを要求できないっていうこと、介助者も相手の立場のことわかってる責任感から、問題解決のためにその場に止まってしまうこと書いてあって、言語への苦手意識と人間関係のことがつながる感じがしてる。
お互い言語がそんな上手くなくて、どっちかが留学生だったりして、相手の立場を思うと、言語的に強者にいるかもしれない自分が相手に伝えたら傷つけるかも、って問題の前に止まってるのが、似てる。結局離れて終了するパターンも同じだわ。
ここ数ヶ月のトラブルこれが多いな、、
いやな気持ちはそのまま顔に出していいし、は?って言ってもいいよ
関係性は結局壊れたんだから、その場で表現したほうが気が楽になるんじゃないかな
でもこれがむずい
楽しい☺️ってなってる時にボディブローくるんだもん
いつも落ち着いて話したら、会話楽しくないと思ってる気持ちがばんばん前に出てくる
会話楽しくないなら相手のことたいして好きでないのでは、、、、おちつこ、、2回目からでもいいし、正直に言お、、、
落ち着いて場の流れを見極めるくらいの警戒した方がいいのかも、
もう熟成しすぎて傷つけてやりたい気持ち、、、、