アダルトチルドレンから回復したい
父親と縁を切ってからここ数年、姉とアダルトチルドレン、トラウマの話をすることが増えた。
幼少期から親に受け入れられない、否定され続けると、自己肯定感が持てなくなるという記事を今日姉に紹介された。
否定されたことを思い返すにもあまり思い浮かばないので、書きながら整理したいと思って書いている。
3〜5歳くらいの頃、食べ物を吐いたとき、もったいない、と言って叱られた。どんな経緯で吐いたのか思い出せない。吐いたご飯を食べれる部分を選んでお母さんが食べた記憶がある。
多分これがきっかけで、ぐちゃぐちゃした食べ物を食べれなくなった気がする。カレーライスのカレーとご飯を混ぜたやつとか混ぜまくった納豆おか、意識するようになった。
こどもながらにお母さんがこどもの吐いたものを食べることがショックだったんだと思う。
喘息の発作のたびに、父親の家系や私の前世の不徳、お金がかかることを叱られた。薬を煎じたり、病院に連れてったりしてくれたけど、小学生時代は、基本喘息の発作時、お母さんはずっと怒ってた。呼吸困難なのにそのうえ叱られることが理不尽でしょうがなかった。
年に一回とかの発熱の時はすごく優しくて嬉しかった。
喘息の原因が食べ物にあると言って、弁当を持って学校に通っていた。動物性のものを食べることを禁止された。
友達たちの弁当ってすごく凝っててかわいかったりおいしそうだったけど、私の弁当は質素ですごくいやだった。友達と給食食べたかった。動物性のものが、本当にアレルギーだったのかどうか、わたしには分からなくて、どんどん不信感が募って、弁当やめたいって言うたびに喧嘩になってだめだった。
母親がベジタリアンだから、私もベジタリアンにしたくて、アレルギーだって主張していたのではないかと、ずっと思ってた。
でもこのことを人には言えないし、ベジタリアンであることを恥ずかしく感じてたから、お母さんのことをはずかしめることになると思ってた。
毎朝弁当を作ってくれてることもありがたいけど、原因が納得いかなくて、友達に気を使われるのもしんどかった。
結局、中学3年生4月、我慢ならないと言って、母と大喧嘩した。父や姉も怒り狂った。
弁当生活をやめた。
父親に味方になってもらったからだった。姉は家族を壊すのか、あと一年我慢しろと言ってた。味方になってくれなかったのがショックだった。
父親はやっぱり怒鳴り散らして、お母さんに弁当をやめさせるように言うことを聞かせた。
晴れて弁当をやめられた時嬉しかったけど、散々だった。しばらく親とは不仲だった。
食べ物について、お母さんを父親の支配下にさせたこと、父親を味方につけたところで、私の立場はお母さんと似たところにあって父親の支配下にあること。お母さんが怒鳴られることへの申し訳なさ。家族の崩壊を嫌がる姉への申し訳なさと同じこどもの立場なのに私の苦境を理解してくれない怒り。色んな気持ちでぐちゃぐちゃだった。
書いてて思い出されて、何年も悲しみを放置したままだったみたいだ。
食べたいものを食べれないこと、友達と給食を共有できないこと。私のしたいことがずっと否定され続けてた。
喘息の発作のたび、苦しさがお母さんに受け入れられなかったこと。こどもの世話がお母さん一手に引き受けさせられてたこと。父親の不介入。
二人ともいろんな事情があることを知っている。こどもであることの自分の非力さも、知っていた。
優しかったり楽しかったりすることもたくさんあった。
告発は難しかったし、大人たちは大人の味方だった。
長期間の否定が続いたから、こんなに私の自己肯定感は低かったのか。ちょっぴりふにおちた気がする。
とりあえず少しすっきり。