『私の愛した能登半島』能登半島地震体験記⑩〜公費解体〜
お久しぶりです。ディーケーです。
ここ最近多忙により更新できておりませんでしたが、最近の近況をご報告できたらと思います。
①公費解体
私の実家は、震災以降住める状況ではなく、公費解体を申請しておりました。
報道では、公費解体の遅さが報道されていたので、いつになったら着工するのか不安でしたが、思っていたより早く、7月下旬から解体作業が始まりました。
②実家が更地に
8月上旬、仕事が一段落したところで、実家に訪れました。
実家があったところは土台やガレキが残っているだけで跡形もない状況でした。
「実家ってこれぐらいの広さだったのか。」
と土地の大きさはそこまで感じませんでした。
でも、実際に住んでいると広く感じていました。
やはり家というのは、何か土地の広さだけでなく、家の温かさを与えてくれる場所だったのではないかと感じました。
③今後は?
今後実家の跡地をどうしていくのか?
両親と話し合いをしていますが、まだそこをどうしようという段階ではありません。
未だに倒壊したまま、道路にはみ出した家屋、隆起した海岸、港。
復旧がまだ進んでいない段階ではないと思います。
能登半島の復旧、復興はいつになるのか?
そんな不安も感じる公費解体でした。