09/09の日記
今週末は手紙を書こうと思っている。娘の誕生日に送る手紙だ。毎年いつも、書くのが遅くなってしまう。誕生日はもう三ヶ月も過ぎてしまった。
一年が早いのか娘の成長が早いのかわからんが、とりあえず誕生日が来るのが早すぎる。
え、こないだ誕生日回やったばっかりだよね!?と思うのだが、そのこないだが一年前なのだ。
そんなこんなの言い訳で、僕はいつも誕生日の当日に手紙を準備することができない。来年こそは当日に手紙を、と思うのだが、そうなるともう次は9ヶ月後だ。心の準備もあったもんじゃない。
そもそも9ヶ月なんて考えることも書くこともたいして変わらんだろうに、なんて思ってしまうもんだから、きっと来年も3ヶ月遅れて手紙を書くことになるだろう。
どうして手紙を書くことにこだわるのか。
手紙をもらうと嬉しいよね、とか、いつか大人になったら読むのかな、なんて思いも勿論あるが、いちばんの理由はつまるところ自分のためでもある。
娘ないしは息子の成長を通じ、自分の心の機微をすくうのだ。この一年どんなことを感じて、思って、信じてきたのか。そして何より、一年前から変わらない、大事なものは何なのか。それを確認する作業でもある。
手紙の書き方はもう知っている。その日はうんと早く目を覚ます。まだ薄暗く太陽の出ていない時間から布団を抜け出し、子供部屋をチラリと覗く。もちろんスヤスヤ寝ている。それからリビングの机の上に、真っさらな便箋とペンを置く。
誕生日おめでとう、の一言から始まって、ここ最近の娘の話を書く。楽しい。嬉しい。驚いた。なんでも書く。思いつくままに褒める。愛を伝える。少しくらい難しい言葉だって使うのは、大人になった時に読んでくれてるかなという淡い期待があるからだ。最後にはいつも感謝を書く。ありがとう、ありがとう。結局はこの一言に尽きる。
書き方がわかっていても、こうしてズルズルと遅くなってしまうのは、自分の心が整っていないせいだ。たいして重要でもないことに、あれこれと気を巡らせ、本当に大切なことを後回しにしている。でも今週末なら、書ける気がする。なんとなく。
まぁそんなことを言いながら、兎にも角にも、土曜の早起きにかかっているわけで、明日は早く帰って寝ようと思う。飲み会も華金もないない昨今なので、きっと大丈夫だとは思うけど。
お蕎麦屋さん開きたい。