マリーはなぜ泣く⑥~風に吹かれて~
前回のあらすじ:「普通の男の子に戻る」という小柄な小籠包の決意のもと、お笑いコンビ『大小籠包』は解散が決まっていた。そこで小籠包と同じように小柄な主人公へ後釜となる話しが回ってきた。【これまでのお話https://note.com/zariganisyobou/m/m1008d63186fe】
結局、話は一旦持って帰った。芸人になるつもりはなかったが、なんとなくキッパリと断ることが出来なかった。
俺はまず、この話を伊東さんに相談した。大小籠包だけじゃない。俺たちだって立派なコンビだ。
伊東さんは声を出して笑ったあとに、
「いいじゃないか。やってみたら」と軽く言った。今考えれば、大学入学当初から俺のことを知っていて、もっとも近くにいた大人としては無責任過ぎる発言に思える。
「声がいいから」伊東さんは、初めて音合わせをしたときから、再三褒めてくれていることをこの時も言った。
「ロックやるにしても漫才やるにしても、その声は武器になる」
「問題はそこなんだよなぁ。漫才がやりたいわけじゃないんだよ」
「やりたくないなら、やらなけりゃいい。――ただ、やりたいことをやる機会なんて実はそうそう無いんだよな。人生の大半ってやりたいことは出来なくて、やりたくないことばっかりして過ごさなきゃならないんだよ」急に伊東さんが、俺よりもうんと人生経験を積んだ人間であることを思い出した。
「俺は楽しいよ。哲ちゃんと出会って、好きな音楽やって。ラジオにも出て。こんなラッキーなことはそうそう無い」伊東さんは、彼の汚い部屋にあるには不釣り合いな、高価なギターを手に取り弄りだした。真面目な話をするのが照れくさくて、手元が落ち着かないようだった。
「ただ、週に六日。一日九時間、やりたくないことやってるんだよな。――哲ちゃんにも、もう迫ってるんだよ。どうやって生きるか決めなきゃいけない時が。そういう時って、あれこれ考えて出した結論よりも、風に身を任せてみた方が上手くいくかも知れないよ」そこまで言うと、『答えは風の中』という歌詞が何度も出てくる、ボブ・ディランの曲を爪弾きながら口ずさんだ。
年内に解散すると言っていた大小籠包だったが、正確には年明け一月三日の舞台が最後となった。小籠包に花を持たせるため、出来るだけ人の集まる場所でと、愛媛にあるショッピングモールの初売りイベントで祝い餅つきやらの催しと抱き合わせでおこなった。人は多かったが、大小籠包を見る目的で来ていたのは、俺と小籠包の奥さんしか居なかっただろう。
あの日喫茶店で、冷コと紅茶のシフォンケーキを奢ってくれたことを加点して、この日から俺が大籠包の新しい相方になった。これを機に「大豆と小豆」という新しいコンビ名に改名するのはどうかと提案されたが、ダサすぎるので小籠包の名前をそのまま受け継ぎ、俺は二代目ということになった。
初売りイベントの後、帰省で地元へ帰るという大籠包と先代の小籠包夫婦が仲良く大阪行きの高速バスに乗るまでの間、一時間ほど喫茶店で一緒に時間を潰した。この時に大籠包が、
「実は最初は、『大中小籠包』っていうトリオやってん」という、今まで知らなかった事実を口にした。
「中籠包はどこへ行ったんだよ」と聞くと、大籠包は立てた人差し指を上に向って昇らせた。
「死んだのか?」
「いや。他のヤツとコンビ組んで、そこそこ売れてる。テレビにも結構出てんで。もう雲の上の存在や」と言った。おどけた仕草で説明したが、大籠包からも、先代の小籠包の表情からも、中籠包だった男へ対しての感情は読みとれなかった。
「とりあえずは、打倒、中籠包やな! あんじょうおきばりなはれや!!」取り繕った鼻息の荒さで言う先代に対し大籠包は、
「これからは、その胡散臭い関西弁聞かんでいいと思うと、清々するわ」とちゃかした。