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バックパッカーズ・ゲストハウス(54)「年寄りに話しかけて無視をされる生活」

 まだイタリアンのバイトを辞める前、慣れない環境と仕事に疲れが溜まっている感じがして、たまには浴槽に浸かろうと、休みにひとりで上野の銭湯へ行った。

 愛媛ではこういった施設は温泉と相場が決まっているが、東京の銭湯はただの熱いお湯だった。それでも酒を飲むのと同じぐらい、手軽に出来る気分転換になった。
 三月二十三日で、WBCの決勝戦が脱衣所のテレビで流れていた。風呂上がりにフルーツ牛乳を飲みながら見ていると、イチローのヒットで延長十回の表を勝ち越して、その裏を守り切れば終了だったので、そのまま居座って最後まで見た。優勝が決まった瞬間、私と同じように居座ってみていた老人と目が合ったので、「優勝しましたね」と言うと、無視された。

 東京の人間は、たまたま隣に居る知らないヤツと気安く話さない。それが東京の人は冷たいといわれる要因のひとつだと思う。バイト先にしろ、ゲストハウスにしろ、そいつが己の隣に居る理由みたいなものがちゃんとあれば、実際にはスマートな社交性を持っていることをみせてくれる。


 ヨシノブやヨンから少し開いて、ゲストハウスには更に人が四人続けざまに入って来た。本人の居ないところで、「さよなら高田パーティー」なる焼きそば会が開催されていた高田は、みんなの願い虚しく図太く居座り、もはやゲストハウスはほぼ満員だった。
 久米という男が、空になっていた、前は犯罪者と呼ばれるカップルがいたベッドに入っていた。
 ここに来る前は、ホームレスに生活保護を受けさせ、自分たちの管理する寮に入居させて、寮費と食費という名目で、受給した生活保護費の殆どを取り上げる団体のカモにされていたという話を、最初に顔を合わせたときに、自己紹介に続けて教えてくれた。

 よく喋る男で、仲良くしようとしてくれているのが伝わった。ホームレスになる前に、精神的に健康ではない人間が暮らす施設にいて、そこでオセロの作り方を覚えたので、
「オセロがやりたくなったら、いつでも声を掛けてください」と厚紙で作った手製のオセロ盤を見せてくれた。
 大量の薬を今でも服用していて、一〇〇均で売っているようなビーズを種類ごとに小分けにして仕舞っておけるケースを使って、薬を几帳面に管理していた。

 久米と同時期に三階に入って来た藤沢という男は、真逆であまり喋らなかった。その代わりにいつもニコニコとしていて、よく喋るが神経質そうな久米よりも、明るい印象を受けた。ヘッドフォンなしでAVを見るので、ヤバい奴だとみんなに思われていたが、ただの害がないバカだった。

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