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『パーラー・ボーイ君』Vol.2「イーベン・リッヒ氏バットを振る」

 まだ、タバコの自動販売機も動き出さないような早朝に、白い息を吐きながら、ビーフ・チキン君は一生懸命バットを振って野球の素振りをしています。
 仕事に行くため、トレーラー・ハウスから出てきたお父さんが立ち止まって、ビーフ・チキン君にアドバイスします。

「ただ振るだけじゃダメだ、スタジアムを埋め尽くす超満員の観衆や、相手ピッチャーの存在をイマジンするんだ」
 ビーフ・チキン君は「うん」と、うなずくと、目をつぶって想像しました。

 満員のパーラー・スタジアム。埋め尽くされたスタンドから送られる自分への声援。
 スコアボードに記された0対0、9回裏、2アウトの文字。
 祈るような眼差しで『ホームランを打て』のサインを出す監督。そして、恐い顔の相手ピッチャー。
 ヒゲを生やした鬼顔ピッチャーが、思いっきり振りかぶると、その豪腕から160キロのストレートが放たれて飛んできます。
 ビーフ・チキン君は白球めがけて「エイヤッ!」と、命一杯バットを振りました。

「おうッ!!!」

 うめき声を上げて倒れたのはビーフ・チキン君のお父さんです。
 イマジンの世界で、ボールをとらえたビーフ・チキン君のバットは、現実の世界では、側に立っていたお父さんにジャストミートしていました。ボールはボールでも、とんだボール違いです。

 ビーフ・チキン君は、大人になったら、お父さんの夢を継いでメジャーリーグの選手になることを目標に、毎日素振りを欠かしません。ビーフ・チキン君とパーラー・ボーイ君に共通しているのは、将来はお父さんみたいな大人になりたいと思っていることです。
 それに比べて困ったのはハラルド君です。ハラルド君のお父さんは大人から見ればパーラー・ボーイ君やビーフ・チキン君のお父さんと比べてなんら見劣りする所はありません。
 まじめで、信心深く、収入の面ではビーフ・チキン君のお父さんの倍以上です。それなのに、子供から見れば、何だか野暮ったく見えてしまうのです。

 ある日、玄関先で、クツの裏にくっついたガムを一生懸命とっているイーベン・リッヒ氏を見つけて、パーラー・パパが声をかけました。
「やあ、リッヒ氏! 最近どうです?」
 リッヒ氏は肩をすくめて言います。
「アメリカ人はマナーが悪いね」
「そうだ! 今週の日曜日、草野球の試合があるんだけど、来ます?」
 パーラー・パパは、近所の人達が中心になって組んだ草野球のチームに所属しているのですが、いかんせん野球は9人1チーム、そのうえ審判や代打要員を入れると、つねに人が不足している状態になってしまいます。なので、この際、誰でもいいと思い、イーベン・リッヒ氏に声をかけてみたのです。

 しかし、イーベン・リッヒ氏は、
「う~ん……、残念だけどベースボールはやったことがないから。ヨーロッパではベースボールはまだまだマイナーなスポーツだし」
 と断ります。
「教えてあげるから大丈夫。やってみたら楽しいよ♪」
 パーラー・パパがそう言いますが、リッヒ氏は、“やめとくよ”と言った感じで首をヨコに振ります。

「・・・・・・」
 パーラー・パパは少し迷ってからこう言いました。
「それじゃあ、釣りに行こうよ。パーラー・ボーイ君とハラルド君も連れて」
 イーベン・リッヒ氏も少し迷ってから言います。
「・・・・・・それならいいけど、・・・・・・でもなんで? 野球は? 試合があるんだろ?」
「いいさ、あんなもの。ただのタマ遊びだ」
 パーラー・パパは、顔をしかめて答えました。

 ☆

 日曜日の朝、イーベン・リッヒ氏はサファリスタイルの帽子に、ポケットのいっぱい付いた釣りようのベスト、防水のズボンのスソを長靴の中に突っ込んで、用意周到、完全防備です。
 もちろんクーラーボックスとドイツ製の釣竿も忘れていません。
 斜め向かいの家から出てきた、ジャージ姿のパーラー・パパが手を振って言います。
「リッヒ氏! ボクの車の後に着いて来てくれたまえ!」


 ポコポコ言いながら走るパーラー・パパのオンボロの後ろを、リッヒ氏のドイツ車が追いかけます。
 パーラー・パパが河川敷で車を止めると、リッヒ氏は、「川釣りかぁ」と、つぶやきました。

 釣具を担いで川べりへ向かおうとするリッヒ氏に、パパが言います。
「リッヒ氏、そっちじゃないよ。コッチコッチ!」
 リッヒ氏が、パーラー・パパに言われるがまま、ノコノコ着いていくと、河川敷にある草野球場に出ました。
 野球場では、チームのメンバーがパーラー・パパの到着を待っていました。

「パーラーさん、遅いよ。ちゃんと助っ人連れて来てくれたんだろうね?」
 パン屋の店主が心配そうに言います。
「大丈夫、大丈夫。リッヒ氏に来てもらったから!」
 パーラー・パパは無責任にイーベン・リッヒ氏の背中を“ポン”と、たたきました。
「ちょっ! ちょっと! ich(わたしは)釣りをするつもりで……、野球なんてできないよ!」
 ドギマギするリッヒ氏をよそにメンバーは、
「よかった、よかった。これで9人ちょうどだ!」
 と喜びます。

「パーラー・パパ! これはあまりにも勝手すぎるんじゃないか!」
 イーベン・リッヒ氏は怒りますが、パーラー・パパは、
「大丈夫、大丈夫! やれば楽しいよ」
 と、悪びれる様子もなく言います。
「Vater(パパ)・・・・・・」
 ことの成り行きを見守っていたハラルド君が心配そうにつぶやきました。

クルマ茶色

 まだ、作ったばかりのパーラー・パパたちのチームは、ユニホームもなく、ジャージやらTシャツにトレパンやら、好きなメジャーリーグ・チームのレプリカユニホームやら、みんなバラバラの格好ですが、その中でも長ぐつ姿で“ブスッ”と不機嫌にしているイーベン・リッヒ氏は際立って異様です。
 相手チームは、その姿を見て遠慮なく“ゲラゲラ”笑います。
 それにつられてパーラー・パパまで“クスクス”と忍び笑いをしたので、これには温厚なイーベン・リッヒ氏も頭にきて、
「お前は笑うな!」と、持ってきた釣竿をムチのようにしならせて、パーラー・パパの事をシバきました。

 相手チームは、清掃業の会社の社員が中心になって作ったチームで、その中にはビーフ・チキン君のお父さんもいます。
 お父さんに付いて試合を見にきたビーフ・チキン君がハラルド君を見つけて言います。
「お前のおやじダセーな」
 そう言われてしまうと、本当の事だけにハラルド君は何も言い返せずにションボリと黙ってしまいました。
 代わりにパーラー・ボーイ君が、
「でも、あの釣竿ドイツ製なんだよ」とフォローしてあげました。

 試合が始まってみると、一方的で、元マイナー・リーグの選手だったビーフ・チキン君のお父さんの投げる球を、寄せ集めのパーラー・パパ達のチームの人は誰も打てません。
 たまに速すぎてキャッチャーがボールを取り損ねたスキに、せこせこと振り逃げするのが精一杯です。
 おかげでパーラー・パパ達のチームは意気消沈して、しょげかえるのを通りこし、早くも「今日の晩ゴハンは何かなぁ~」と言った話題に華が咲いています。

 ビーフ・チキン君はお父さんの活躍をみて、「スゴイ、スゴーイ!!」と大喜びですが、一方のハラルド君はうつむいてタメ息ばかり。
 それに気づいたイーベン・リッヒ氏は、この際どんな手を使ってでもハラルド君にいい所を見せたいと思い、攻守交替の時に、ビーフ・チキン君のお父さんがトイレに立ったのを見つけ、後を追いかけました。

 トイレの中でビーフ・チキン君のお父さんを捕まえイーベン・リッヒ氏は言います、
「子供に、どうしてもいい所を見せたいんだ」
 ビーフ・チキン君のお父さんは皮肉を込めて、
「そうかい、それなら野球じゃなくて釣りでもしたらどうだ。でかい魚を釣れば子供も喜ぶだろうよッ」
 と言います。
 イーベン・リッヒ氏はポケットから100ドル札を取り出してチラつかせました。

  ☆

 トイレから戻った、イーベン・リッヒ氏は自分の打順が回って来ると、ハラルド君に、
「パパだってな、やろうと思えば野球ぐらい出来るんだぞ!」
 と自信ありげに言い、打席に向かいました。
 さっきまでと様子の違うイーベン・リッヒ氏のことをチームのみんなは、注目して見つめます。

 打席に立ちバットをギュッと握るイーベン・リッヒ氏の手に、ジンワリと汗がにじみました。
 ビーフ・チキン君のお父さんが投げた球は、それまでの豪速球と違い、まるでスローモーション。おそい球がど真ん中に飛んできました。
 イーベン・リッヒ氏は全身の力を込め、“エイヤッ!”とバットを振ります。

 すると、あまりにも力みすぎていたせいで手がすべってしまい、ボールではなくバットがすっぽ抜けて飛んでいってしまいました。
 イーベン・リッヒ氏の手から、ロケットみたいに飛んでいったバットは、マウンドの上のビーフ・チキン君のお父さんの下腹部に激突して、ビーフ・チキン君のお父さんは、
“おうッ!!”
 と悲鳴を上げて倒れてしまいました。
 
 悪巧みというのは案外上手くいかないものです。

あの釣竿


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