マリーはなぜ泣く⑨~Run-Around ~
前回のあらすじ:住み慣れた愛媛を離れ拠点を大阪へ移した大小籠包。小籠包こと哲ちゃんは漫才もバンドも器用にこなすが、それだけでは足りない、爆発的な何かが必要だと焦る。【これまでのお話https://note.com/zariganisyobou/m/m1008d63186fe】
二十八になったときに、傍からはどう見えていたか分からないが、自分では芸人としてもミュージシャンとしても、何かを作る人間としては波乱が少なすぎる。圧倒的に人生経験が足りないと思った。迷走していた俺は、付き合って五年目に突入していた彼女と、将来の目処なんかなにも立っていないのに、なにか経験値が上がることをしたいという考えだけで結婚してみた。
満里(まり)は俺よりひとつ年下だった。はじめて出会ったのは、俺が大阪に出てきて一年も経たない頃。若くて見た目がそれなりに良いアイドル化された芸人がウケる苦手なイベントに出演したときだった。ジャニーズやモデルで芽が出ず、笑いに流れてきたようなヤツらに混ざって、俺たちがいるのは、どうにも場違いな感じがしたが、どういう分けかちょくちょくブッキングされるイベントだった。
どうせ十代の女子中心の観客にはウケっこないと、大籠包はそこでは他ではやらないような気持ちの悪いキャラクターを演じイロモノに徹した。時折、客席からは笑いではなく悲鳴がおこることがあった。
その日、他の誰も笑わないか、悲鳴を上げる場面で一人だけ爆笑する女が居た。それが満里だった。彼女は途中で笑っているのが自分だけだということに気づいて気まずくなったのか、笑いを我慢しだした。最後の方は笑いを堪えすぎて過呼吸のようになっていた。
「ひとり、おったな」
舞台から捌けると、大籠包が言った。彼は、
「ひとつの劇場にひとり、俺たちのことをめっちゃ面白いと思う人がいるとするやろ。それがひとつの街、ひとつの市、ひとつの県、全国っていう風に考えたら、世の中にめっちゃいっぱい俺たちのことをおもろいって思う人が居るはずやねん」と、ひとりでも笑ってくれる人が居たら、その舞台は成功論を語った。
満里との再会はすぐに訪れた。小さな劇場での公演が終わった一時間後に、俺たちは美園ビルにあるライブバーに出演する予定だった。さっきまではアウエーだったが、ここでは俺たちはエースで四番格だった。すでに他の芸人のネタが始まっている中で、遅れて合流した。どうしても腹ごしらえをしたいと言った大籠包に付き合って寄り道した店で、餃子がなかなか出てこなかったのが遅刻の原因だった。
ステージと呼ぶのもはばかれるようなスペースで、先輩の芸人がおでこでピアニカを弾いていた。それを見て爆笑する声に聞き覚えがあった。満里だった。楽屋もないライブバーの隅で待機しながら、他の芸人のステージと客席を眺めながら、自分たちの出番を待った。彼女は、とんでもないゲラだった。俺たちのことを、めっちゃ面白いと思う劇場の女神にかかれば、全ての芸人が愛おしく面白いみたいだった。
ライブバーではトリをつとめた。狭い店の中で客のひとりひとりがよく見えた。彼女は特別可愛くも美人でもなかったが、愛嬌のある顔をしていた。観客の数は少なかったが、この日はよくウケた。
出演者全員で来場者のお見送りをしたあとに、大籠包が言った。
「あの子たち、あっこにあるゲームバーに入っていった。俺らも行こう」彼の言葉としては意外だった。
「なんでだよ」という返事に、
「あのゲラの子、哲ちゃんのこと好きやわ。俺には分かる」と到底信用できない観察眼を披露した。
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