勉強しないといけないわけ
中学や高校の勉強が社会に出てから役に立つとは到底思えない。
なぜ勉強しないといけないのか。しごく当然の疑問だがこれに答えてくれる大人はあまりいない。
実の所彼らも「なぜ勉強しないといけないのか」はわかってないのである。ただ周りの家庭と同じようなことを子供にさせようとしているだけだ。
子供の学歴をママ友同士のマウンティングに使う親もいる。ひどい話である。
とはいっても勉強に意味が全くないわけではない。
幼少期から勉強ばかりしていた(させられていた?)筆者なりの考えをまとめようと思う。
•努力の証明
まずなんといってもこれだろう。
就活などを考えていただくとわかりやすいが、初対面の相手がどう言う人間であるかを確認するのに、学歴はうってつけである。
高学歴の人は、多かれ少なかれ勉強を頑張ってきた人たちである。言ってみれば、「私は努力をできる人間ですよ」というアピールになるのだ。
•自分を知ること
勉強というのは自分の弱さと向き合う行為でもある。
ついついサボってしまう自分に鞭打ち、習ったことを忘れてしまうことに絶望し、どうやったら効率的に学習できるのかを試行錯誤する行為である。
まだ未成年の時にこういった経験をできるのは大きい。
•新しいことを学ぶ姿勢
新しいものに拒否反応を示す老害にイラついたことは誰しもあるだろう。だが他人事ではない。
今は激動の時代である。呑気に構えていてはすぐに世の中に置いていかれてしまう。
大人になったらもう勉強しなくていい訳ではない。むしろ逆だ。
社会に貢献し、若者たちに置いていかれないようにするためには常に学ばなければ行けない。それができないものから「老害」になっていく。歳は関係ない。