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自分の意思で「好き」といえるおたくになりたい。(オタク論)

こんにちはこんばんは。
今晩は自分の「おたく論」を書き綴ります。

「おたく論」なんてかっこよくキメて書いているのだが、単純に自分が普段おたくをしていて思うことを書くだけ。

まず「オタク(ヲタク)」をインターネットで調べていくと「自分の好きな事柄や興味のある分野に傾倒しすぎる人への呼称」、「ポップカルチャーの愛好家」といった解説が出てくる。
オタクの定義が自分ではわからないが、どの界隈でも積んだお金や歴は関係ないと言う者もいる。
オタクか一般人かであるかの境目や定義は親や友達といった自分以外の第三者が決めるものではないと自分はいつでも思っている。
どれだけお金や時間を使っていても本人が「私はおたくじゃないよ」と言えば違うと思う。
おたくそのものの定義自体が曖昧で、だから自分は自ら「アイドルオタク」「アニメオタク」「二次元オタク」等と名乗っている今日この頃だ。

というのも、自分は小学生の頃からおたくだった。
近所の後輩に見せられた動画をきっかけに、当時は画期的であったボーカロイドの存在を知り好きになる。
小学生高学年頃に当時好きだった子が少年モノのアニメを見ていて、同じアニメを見たことでアニメの面白さや声優の存在を知る。
同時期に流行りだったゲーム機や親のスマホを借りたことでニコニコ動画の存在を知る。そこからアニメやボカロのパロディ動画や歌ってみた、踊ってみた、MAD等の存在を知った。

その合間(小学高学年〜中学生の僅かな間)に、今もよくテレビに出ている男性アイドルのおたくをしていた時期が一時あった。今思えば周りがやたら薦めてきて錯覚したのだろうと思う。
しかし当時はライブにこそ行かなかったものの、グッツを買ったり年会費が高額のファンクラブに入ることも考えたくらいだった。

しかし、楽しくないのである。

何故楽しくないのか。
曲も沢山聞いた。レギュラー番組も録画やリアタイなどあらゆる手段で見た。推しやメンバーが主演のドラマや映画も見た。過去の動画もYouTubeで漁った。

最初は今まで二次元しかしっかりと推したことがなかった(現実で声優や踊り手、投稿者も推していたがどこか二次元と混ざったような存在だった人が多かった)ので戸惑ったのだとばかり思った。

現実のキラキラと二次元のキラキラは、言い表せないが違う。何がと言われるとわからないし、目にも見えないから根拠もない。
手が届かない点は同じだと思う。たとえ現実にいようがいまいが、住んでいる世界は違う。だからこそアイドルや推しと推しているおたくの丁度良い距離感というものが保たれるのだと思う。

話が逸れてしまったが、何故楽しくないのか。
推しているのは楽しいはずなのに、どこかで推している自分を躊躇している自分がいた。
推していく程、自分の心はそのグループから離れていっている気がした。

中学生になったばかりのうぶな自分が出した結論。

それは

周りに言われるがまま推していたから。

話を合わせるために推していたから。

だった。

今思い返しても恥ずかしい話だが、自分は当時人の話にばかり合わせていた。友達のあらゆる話に入っていたかった。

自分が知らない話題だと置いていかれてしまう。

何より周りが話している話全てが「楽しそう」「面白そう」「私も入りたい!」という気持ちになってしまう。

元にアニメ好きになったのも

「好きな人と共通の話題を持ちたい!」

という幼い恋心からだった。

そうしたことによって自分はアニメにハマることになる。
(当時の好きな人とは未だにつながりがあり、恋心こそないものの友達であって且つ良き相談相手として仲がいいが、未だにお互いアニメの話をする)
(当時色々な漫画やアニメを紹介してもらえたことでアニオタ、ニジオタになれたので感謝しかない)

偶然出会ったアニメというジャンルと自分自身が相性が良かったのだ。

喩えが下手かもしれないが、人に「これ美味しいよ!」と言われて食べた物が、美味しすぎて好物になってしまうような、そんな感じだ。

しかし、男性アイドルを推すことと私は相性がよくなかった。
突然、いとも簡単に冷めてしまったのである。
冷めてからの行動は早かった。
集めたグッズ(主に写真や本)などは無償で友達にあげた。こっちがもういらないと「手放したい」と思った物だ。仲の良い友達からお金を巻き上げる訳にはいかないので無償でだ。
今でこそ便利なフリマアプリやTwitter等で取引という選択肢があるが、当時はそれらがあまり普及していなかったし、自分がそういったものは無知だったので考えていなかった。

勿論ファンクラブに入ることも頭から消え、録画した永久保存のつもりだった番組も消して行った。

「愛が軽かった」のか「初めから愛などなかった」なのか未だにわからない。

錯覚だったと思っている。

友達に合わせるために自分が自分についた嘘。自分自身に宛てた嘘はどんどん自分を飲み尽くし、洗脳していった。

この経験で学んだことがある。

「好き」は自分で見つけなければならない。

周りと合わせるために中途半端に好きにならない。

ということだ。

これを読んでくれている方や身近な方には、人に薦められておたくになった、新しいジャンルを好きなったという方も多くいると思う。
それならそれでいいと思う。
自分もアニメを好きになったきっかけが人だし。

しかし、たまに問いかける。

「本当に自分の意思で好きと言えているのか」

未だにそう問いかけてしまうこともある。
でも、今の自分は自分で「好き」を見つけている。
人と合わせる話題作りのために推している人たちなどいない。

今、自分はニジオタ(二次元オタク)、アニオタ(アニヲタ/アニメオタク)をしつつ、主に男装アイドルを推すドルオタ(アイドルオタク)をしている。

ライブに通ううちに共通の話題を話せるオタク友達もできた。
そういった繋がりの友達には感謝しかない。いつもありがとう。

好きなもの、人を自分の意思で推せるって楽しい!

胸を張って好きだと言える!!

話題作りのための「好き」ではなく、自分で決めて「好き」だと言っているんだ!!

そう思うと怖いものなど無くなって、自分の言葉で「自分が好きなものはこれだよ!」と言える。

オタクをしている方皆が、自分の意思で「好き!」と言えていますように。

では。

(長文読んでくださった方ありがとうございます)
(自分の記事へのスキ!もお待ちしております)








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