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うどん兄弟VSそば姉妹

配達、飲酒、読書、思案、この4つでやらせてもろてます。よろしくお願いします。

数日前、職場でダラダラしていたら30kgの米が61袋置いてあるのを見つけた。こと配達においては積載上限があるので一人で片をつけるなら3往復くらいは必要になる。いや、4……5回かも。ただでさえ人員不足、全身を痛め窶れた我らにこんなものを配達などしていられない。8日の指定だったけどその日は人が全然いないから勝手に電話して今日の配達にさせてもらった。毎年米の来る人だから特別に対応してもらったのだ。それぐらいのことは課長連中にやってもらいたいものだ。

すぐに後悔した。去年異動したての私は上司に連れられて61袋の米を配達していた。思い出した。ただ米を置けばいいのではなく物置みたいなところにめちゃくちゃ高く積んでいかなければならなかったのだ。30kgの米を自分の頭より高く持ち上げるなんて狂気以外のなにものでもない。うわあ、明日休みだからなにもしないで放っておけばよかった。

結果、4ぬほど疲れた。あまりにも疲れすぎて配達を終えたらビールが貰えた。もう、秋なのに額から汗無限湧きだった。新米の季節なんか始まったばかりだし、これからエレベーターのないマンションの5階にめちゃくちゃ米配達することになるんだろうなあ。嫌だなあ。みんな4ねばいいのに。

夜の段取りをした。

夜の配達は誰が残業して誰がどこ配達して……と頭からつま先まで決めておかなければならないのだ。そして私はまだ1年目。私ならこれくらいの数配達できますけどという前提に基づいて決めてたら有り得ないくらい文句言われた。私は総理大臣なのかしらと、国会答弁なのかしらと錯覚した。かなりのムカつきが、あったぜ。

情動に身を任せ餃子を28個食べた。ラー油もたくさんかけた。


からやまの生姜焼き

鉄板の上にキャベツと生姜焼きが添えられている。なぜキャベツが下にあるのか分からなかったが鉄板の余熱でキャベツに加熱を、さらに生姜焼きで落し蓋的なことをしていると気づいて目からウロコがボロボロ落ちた。やっぱり商品開発をしてる人はしてない人より賢いや。当たり前だが。ただマヨネーズは余計だと思う。自らの味つけに、ビビるな!お前ら……!(ヤンクミ!?)


それはなか卯のハーモニー、車載器デストロイ

なか卯って最高だよな。現世という地獄の一丁目で唯一輝きを保つオアシスはなか卯だけだ。安い、早い、美味い。しかも、見よ。味噌汁に揺蕩うなめこの蠢きを!ありがたいよね~。栄養満点だもん。玉子も美味しいし、日本だけでも9兆店くらいは出店しといてほしい。出店ルンリッター。どういうことだ?(桐生一馬)

ああん、もういやんなっちゃったわん。

元同級生との不倫🍮によって私にも人並みの恋心が、あるいは情慾がありそれを共有できるとわかってしまったのが不仕合せの始まりだった。そんなことは知らなければよかったのだ。知らないということは個々人の世界が経験と脳髄に帰結するという前提において存在しないと定義できる。それが叶わない恋であり、許されざる恋であり、そして僅かな期間手にしたインタラクティブな愛というものを知らずにいれたらと思ってしまうのだ。部族がコカ・コーラを、ブータン王国の人々がSNSを、アイアン・カーテンの外で行われている自由経済資本主義社会を、知らなければ仕合わせであったのではないかと訝しんでしまう。知らぬが仏、知れば地獄。私は近頃無知で白痴でムイシュキンのようである事が幸福への近道なのではないかと思っている。識る、とは墜落であり、忘れる、とは揚力であり、思案するとは奈落へと螺旋階段だと感ぜられる。ご覧、数多の哲学者達は狂気の智慧と智識によって発狂したのだ。その墓からは夥しい血が滲んでいる。嘆きの鐘に呼応して。

何も知らず、何も判らず、愚かで無知で宗教に傾倒して流されて疑問も抱かず素直である白痴こそが僕ら希う最高幸せなのではないか。並ば今や情報の濁流に流され寄る辺もない私たちは。

いっそ、頭蓋に杭でも打ってみればいい。別に前頭葉がなくても人は生きていける。


これ、神です

全て忘れて欲望のままに生きて、まるで人間を辞めてしまって動物のようであればこれほど幸せなことは無いだろう。

彼女たちほしいなああああああああああああああああああああああああああ

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