このタイミングで新潟市へUターン移住した理由。(経緯、きっかけ編)#2
私は今年の春ごろに夫と新潟市へUターン移住しました。
移住というと、田舎とか地方を想像する方が多いと思いますが、新潟市は都会と自然がどちらもある住みやすい場所です。
なぜ新潟市へ移住したのか経緯やきっかけを元に理由をお話します。
移住に興味がある方、検討されている方へ、少しでも参考になれば幸いです。
1.転職活動とコロナ禍がちょうど重なった
埼玉に住んでいた私は東京で事務の仕事をしていました。
しかし働く環境が自分に合っていないと思い、「会社を辞めたい」と上司に伝えたあとに、日本にコロナウイルスが広がり始めました。タイミング悪いなあ・・・
当時、コロナウイルスがなんなのかさっぱりわかりませんし、転職にも影響でるのかな?と不安になりましたがやっぱり辞めるのを止めたいですとは言えず・・・
就職が決まることがどんどん難しくなりそうだと予感しつつも、職が決まるときは決まるし、先延ばししてもしばらくこの不安定な状態は続きそう・・・もはや自分次第だ!と思い、転職活動に専念しました。
2.就職先が決まり具体的な生活を夫と考えてみた
転職活動を始め、無事に就職が決まり実際どんな生活になるのか、これからのことについて夫と話し合ってみました。
就職先は家からドアtoドアで一時間半と結構時間がかかる距離。
今となってはリモートワークが広まりつつありますが、入社して間もないので原則出社になるとのことでした。コロナ禍ということもあり、これからこどもを産みたい私には、なるべく家の近くで働いた方が安心なのでは?と思いました。
家から職場が遠いなら東京へ引っ越せばよいとも思いましたが、念願のマイホームは私たちの家計には厳しい。賃貸にするにしても厳しい。。。
3.こどものこと、親のこと
近い将来こどもができたら、どんな風に生活してみたいかも話し合いました。公園や自然で遊ばせたい、自分たちも子育てと仕事の両立になるので、心と時間に余裕がある環境がいいのではないか。。
そのころ私の実家には弟が住んでいましたが、ちょうど仕事の関係で実家を離れることになりました。この先親に病気など緊急のことがあった際、すぐ対応できる人がいない状態になったのです。
また、転職活動中にしていたパート先に親が危篤状態になった先輩がいて、病院と職場と実家を行き来しなくてはならなかったらしく、仕事を急遽休んだり、病院に行ってから出社したりとても大変そうでした。
しかし、先輩は親の近くにいたからすぐ対応できてよかった、離れていたらもっと大変だったという話を聞いて、ますます親のそばに住みたいという気持ちになりました。
4.いつか新潟に帰って暮らそうと思っていたけど
親に病気など何かあったら、その時に親のもとに帰って暮らせばいい。でも実際引っ越すには自分と夫の仕事をどうするのか、自分のこどもには強制的に転校させることになるなど、どんな最悪の事態が想定できるのかこと細かく話した結果、いつか帰るのはとても大変だということがわかりました。
5.新潟に帰るなら今!!!!!!!
思い立ったが吉日!もう今しかないと思い、就職は辞退し、新潟への転職活動を始め、私と夫どちらか決まり次第引っ越そうということになり、今年に入り就職が決まり、無事引っ越して今新潟におります。
夫の実家の近くには夫の兄弟が住んでいることもあり、夫の理解があったからこそ新潟に移住できたのだと、夫にはとても感謝しております。
6.自分たちが幸せだと感じる軸が夫婦になって変わってきた
私たち夫婦にとって生活するうえで何に幸せを感じるのか。
付き合ってた時は東京に行ったり、ディズニーシーに行ったりいろいろなところに旅行したり、非日常を楽しんでいることが多かったのですが、夫婦になってコロナ禍になって、いつもの日常をともにする時間に大切さを感じてきました。
なるべく規則正しく生活して、一緒に美味しいごはんを食べて、朝に散歩して季節を感じる。普通の毎日をどれだけ余裕をもって大事に暮らせるかという軸に変わってきました。
それをふまえた上でも私たちが新潟に行けば実家も近いし、食べ物がおいしく程よく都会で自然のある新潟は、私たちにとって最良の環境なのではないかと考えました。
7.最後に
そんなわけで今新潟で元気に暮らしております!
Uターン移住は一度を離れたからこそわかることがたくさんあると思います。
実は新潟って暮らしやすいところだったんだなあとか、やはり埼玉はいろいろなところにすぐ行けて便利だなあとか、それぞれいいところ自分たちに合うところがありますが、私は今新潟にUターン移住ができてよかったと思っています。
読んでくださった皆様の何かのきっかけになれば嬉しいです。
ここまで読んでくださりありがとうございます!