今までのWWAを振り返り
ザラキです、アドベントカレンダーの2日目を担当させていただきます!
あまり文章は得意ではありませんが最後までお付き合いください
こちらの企画になります
さて、WWAは1996年から始まり今日に至るまで多くの人に愛されてきました。私も中学生辺りからWWAにハマり、一時期活動を休止していましたがたかネコさんとの交流を通して活動を再開して、WWA FanSquareさんのコミュニティのお陰で今でもWWAクリエイターを続けさせて頂いています(最近は作品を出せていないけど)
WWA歴だけは長いため、自分語りを交えつつ今までを振り返れば面白い記事が書けるんじゃないかと思い、記事にしてみようと思った次第です
WWA以外のことも触れますので昔を知っている人たちは当時を思い出し、そうでない人も昔はこうだったと知っていただければ幸いです
※しばらくザラキの自分語りが続きます、興味のない人は目次の今までのWWAを振り返りまで飛ばしていただければと思います
WWA人生の始まり
WWAとの出会い
まず、当時実家にパソコンが設置されたのは私が中学一年生の時で当時はWWAを全く知りませんでした。
友達の家に遊びに行き、一緒にパソコンを触った時も『赤い部屋』やドラえもんを初めとした面白flash、スーパー正男をプレイするのが殆どでWWAのWの字も出てきませんでしたw
そんな中で実家にパソコンが導入された時はマジでテンションが上がりました。なんせ今まで友達の家でしかできなかったものが自分の家でできるようになるんですからね。
正男をやりまくりました、色んなflashゲームも触りました(ワンナイ便器ゲームとかイライラ棒とか)
シフトアップネットさんのゲームやぱんぞう屋さんなど、今思い返すと凄い懐かしいですね
当時の少年時代を支えていたコンテンツ、今でも現役なんですね
んで、正男を探していた時とうとう出会いました
正男を公開していたサイトにWWAが置いてあって、試しにプレイしたら面白い面白い
正男も面白かったですが、次第にWWAにのめりこむようになりました
初めてプレイしたWWAは確かケーブダンジョン2のヴァンパイアが主人公で動いている人(敵)を倒しながら進むというものでした。電子の海に沈んでもうプレイはできませんが…
皆さんは何を通してWWAを知ったでしょうか?
WWAとの出会い2
WWAに初めて触った後取った行動は勿論公式サイトにアクセスすることです
公式サイトに行き、ケーブダンジョンやファンタジーアイランドをプレイしてWWAの魅力に触れ、リンクページから他作者様の作ったWWAをプレイするようになり、益々WWAが好きになりました
サイトの数だけWWAが存在するため飽きはきませんでしたし、プレイした後は別のWWAをプレイしての繰り返し、まるでファミコンのカセットを差し替えしてるような感覚でした
他にも
・ゴーレムを育成するWWA
・学校を舞台にしたホラーWWA
・クリスタルを題材にした島を冒険するWWA
等、好きなWWAを挙げていったらキリがありません
そうしたWWAをプレイするうちに自分の中である考えが頭をよぎりました
自分もWWAを作ってみよう!
~サイト設立からの軌跡~
きっかけとハードル
多くのWWAをプレイするうちに自分も作ってみたい、そう思うようになりました
当時存在していた『WWAの森』さんの『学校の闇』シリーズに感動して、WWAでこんなものを作れるんだと大きく感銘を受けました
このホラーWWAとの出会いが自分をプレイ専からクリエイターになるきっかけとなりました
画像やリンク貼りたいけど電子の海に消えちまったよ…
しかし、自分のサイトを持ってWWAを導入するという行為はハードルが高く、しばらくは他サイトで作ったWWAを公開させていただいていました。
『俺のゲームの家』さんには大変お世話になりました画像やリンク以下略
昔はヤフーや楽天で無料のホームページ作成サービスがあり、ジオシティーズやインフォシークといったもので簡単に個人サイトを所有できた時代ですが、それでも当時の私には敷居が高かったです
それに、サイトを作ったとしてももう一つ大きな壁があります
FFFTPです
現在はプリシーさんのサイトに登録し、データをアップロードすれば簡単に作品を公開できますが、当時はFFFTPをダウンロードし手動でファイルを送受信し自サイトに貼り付けて公開する必要がありました
サイト作成だけでも骨が折れるのにFTPを駆使して…という一連の流れが難しく、しばらくはWWA作成ツールをいじってるだけの日々でした
サイト作成から更新終了まで
四苦八苦しながらもジオシティーズでサイトを設立し、作品を公開することに成功しました、確か自分が高校一年生くらいの話だったと思います
手探りではありましたが、しっかり掲示板やアクセスカウンターを設置して見栄えは良くしていました
ここから『ROGU‘S BLUESKY』の管理人『ログ』として5、6年近く活動することになります
最初に公開した作品はWWAの森さんの素材を使用したホラーだけどヘンテコな世界観の『デリートダスト』でした初めての作品がコマンドバトルとか正気か?
自分にはダンジョンを作る技術が始めた当時は無かったため、最初は『謎の研究施設~脱出~』や『POISON』といった脱出ゲームやコマンドバトルを作っていました。中でもWWAの森さんに影響されて作ったホラーゲーム『デッドフロア』はそこそこ評価されていたのではないのでしょうか?
デッドフロア以降からBGMを付けていたんですが、当時はWWAとは別に音楽をサイト内に貼り付けなければ鳴らすことができませんでした。また、曲を複数用意するには別ウインドウでページを作り、URLゲートを使いこなさなければいけませんでした。面倒くさいですね
色々制作していくうちにWWAコンテストや自作の画像に興味を持つようになり、下手ながらもドット絵を打ち『妖精の森』でWWAコンテストに初参加。画像、ストーリー、何もかも中途半端といった厳しい評価を受けつつもかわいいドットですねというお声も頂いてなんだかんだ参加してよかったなと思いました。
ここで厳しい声を頂いたからこそ今の自分があるかもしれませんね。
そこから毎年WWAコンテストに参加、一位も最下位も経験するというある意味貴重な体験をさせていただきましたw
WWAコンテストの話をすると長くなるのでこの辺で…
『pavilions of eyes』という探索ゲームを制作して以降、しばらく更新が途絶えることになります。
その後にWWAコンテストに参加はしたものの、自サイトには載せていなかったはずです。
更新停止、からの再起
クリエーターとしての復活
最後のWWAを投稿して以降自サイトの更新は途絶えましたが、ある転機が訪れます。
WWAWing、Plicyの登場です。
FFFTPのサポート停止やジオシティーズを初めとした各無料HP作成のサービス停止といった向かい風により、WWAは一気に衰退をたどるようになったと感じています。
たかネコさんを初めとした周りの方々の後押しもあり、活動を徐々に再開していましたがPlicyの登場により一気に視野が広がりました。
今までサイトを所有し、FFFTPを介してアップロードを行わなければいけなかったものがファイルをアップロードするだけで投稿できるようになるという非常に画期的なサービスでした。
それのお陰で今でもWWAクリエーターとして活動できており、今日に至ります。
その縁もあってか、ニンテンドースイッチで販売されている『WWA COLLECTION』の制作にも携わらせていだたいて感無量です!
今までWWAを作ってきて良かった早く新作作らないと
自サイトの最後の更新、からの消滅
繰り返しになりますが、ジオシティーズで作られた『ROGU'S BLUESKY』は2018年1月の更新を持って更新終了を宣言。確か2008年に設立したので10年は続けていたのかな。
そして、2019年3月末をもってジオシティーズはサービス終了。インフォシークは既にサービス終了していたので無料HP作成サービスの最後の砦ではなかったのではないでしょうか?
それに伴い自分の所有していた個人サイトは消滅、10年の活動に幕を下ろすことになります。
その後にプリシーさんで作品を公開するようになりました。
万が一プリシーさんが無くなってしまったら今度こそ引退すると思います
以上、自分のWWA歴でした
今までのWWAを振り返り
さて、自分語り終了ですw
お付き合いいただいてありがとうございます。
ここからはWWAは当時どんなものだったのかを自分視点で振り返ってみます。
こんなことを言うと失礼ですが、WWAは当時のユーザーにとってはサイトを作るというハードルを越えれば多くの人たちにプレイしてもらえるドル箱のようなコンテンツでした。ゲームをつくったからには誰かに遊んでもらいたいという思いは誰でもあるはず
実際私もサイトを立ち上げた際にアクセスカウンターをトップページに載せていましたが、1日に数千アクセスは当たり前でした
自分のゲームを作ってみたいという少年時代に沸き上がった欲求を満たすのにマッチしたツールといえるでしょう。
当時は様々なジャンルのWWAが存在しており、育成系のWWAやカービイやポケモンといった版権ものの作品も多かったです。
模様替えのWWAや箱庭系のWWAなんかもありました。時代を感じますね
今はダンジョン系WWAの方が主流になっていますが、昔は体感的に
ダンジョン3:その他5:版権もの2
くらいの割合で作品が存在していました。
豊富なジャンルのWWA、製作者の数が多い分尖った作品も多く黎明期特有の面白さがありました。ニコニコ動画なんかもリリース当時が一番面白かったですからね。
懐古厨と言われてもいい
また、当時はSNSが存在していなかったためユーザー同士の交流の手段は掲示板やブログでした、
活発なサイトほど掲示板に管理人が出没していてゲームのヒントや雑談などをしていたものです。私もログ名義で活動していた時は掲示板に顔を出し、色々とやりとりさせて頂いてました。今思い返すと作品のヒント出しすぎてたかな…
ゲームをプレイすることは勿論、そのサイトの管理人や周りのプレイヤーと掲示板でやりとりする、これもWWAの1つの醍醐味だと考えています。
最高の承認欲求のツール
黎明期故の何でもありの面白コンテンツ
掲示板を通して交流し、一種のSNSのような使い方ができた
今までを振り返るとこの3点が最高に面白い部分であり、自分にとってのWWAです。
現在はSNSの発達によりこれらの面白い部分が薄れてしまっていますが、プリシーさんの登場により作品公開のハードル自体はだいぶ下がっています。
WWAコンテストも毎年開催されていますので、新規の方々も気軽に参入してWWAが盛り上がっていけたらと思います
明日はヒラリラーさんの『Plicy新作WWA通知機構』です、お楽しみに!