ビートルズ "Now And Then" -消えたBメロ・エンディングの解釈-
新曲 "Now And Then"、そしてニューアルバム "赤盤・青盤2023 Edition" が、バンド解散から半世紀以上経った2023年に世界のチャートを賑わし時空を歪ませている我らがビートルズ。
2023年にリリースされた彼らの音源の数々は、聴けばきくほど新しい発見があったり印象が変化していったり過去の音源が聴きたくなったりと、ファンに色々な感情を抱かせているのではないかと思います。
今日は、Now And Then を2週間ほど聴いて興奮と感動の隙間から見えてきたこと聞こえてきたことなど、今気になっているあれこれをまとめたいと思います。
消えたBメロ事件
まずは、気になる話題だけど私ごときが話す資格はなさそうだな…と思い封印したけどやっぱり話したい気持ちが勝ってしまった、新曲にまつわる「あの話」です。
『Now And Then. 消えた Bメロ事件』です。
失われたBメロとは
ビートルズを長く深く追っている方ならピンとくるかもしれませんが、"Now And Then" のリリース直後、界隈では「Bメロがない!!!」という驚愕と悲嘆にまみれた声があちこちから上がっていました。
でも、私は「一体何の事??」って感じで、というのも、私はジョンのデモver.の "Now And Then" を聴かずにリリース日の11/2を迎えたので理解できなかったのですが、「ビートルズver. の"Now And Then" には、ジョンのデモで聴けるAメロの後の特徴的なBメロが再現されていない」ということのようでした。
そこでリリースから数日後に、私もジョンのデモver. を聴いてみることにしました。
すると、本当に綺麗さっぱりデモにあるBメロがカットされてて、「なるほど、これが消えたBメロ事件か…。」と遅ればせながら理解したのです。
ちなみに、ジョンのデモのタイトルは"Now And Then" ではなく"I Don’t Want To Lose You" で、このタイトルのフレーズがその失われたBメロで歌われています。
この件についてはあちこちで話題になっているでしょうし、それぞれに熱い思いがあると思いますので、あくまでひとりの妄想家がふわっと考えていることとして聞き流す程度に読んでいただけえると幸いです。
ジョンのデモの感想
最初にジョンのデモを聴いて思ったのは、プロデューサー・ポールはここまで構成を変えるなら、いっそ思い切って "A Day In The Life" や "I've Got A Feeling" くらいやってしまえば良かったのでは?ってことでしたが、勿論そんな簡単なことではないのもよく分かります。
ジョンのデモver. を聴いた最初の感想としては、
・未完成のジョンver. から着地点を考えるのは難しそう
・ビートルズver. はシンプルな構成でいい感じ
・やっぱりリンゴのドラムは最高だな
・1995年に「ここ削除しようかと思うんだ」って言ったらジョージは何て言ってたかな?
・このデモの素材からビートルズver. "Now And Then" になるのほんとすごいな
・これ、ジョンの母ジュリアへの歌なのかな?
・ジョンのデモとビートルズの新曲は別のストーリーを持つ別曲という事でいいと思う!
ってことでした。
そして色々情報を見聞きした今も、その思いは変わっていません。
多分、ずっとジョンのデモver. を聴いてきて、ビートルズの"Now And Then" でどんな風に生まれ変わるのか楽しみにしてきた方とは、抱く印象も感情も違うだろうと思います。
構成はいつ変更されたか
ジャイルズ・マーティンやポール自身のインタビューを読む限り、このビートルズの"Now And Then" の構成を決めたのはポールなんだろうと思いますが、リリース前に公開された12分のショートフィルムの一番最後に、ポール・ジョージ・リンゴがこの楽曲を試そうとしてるんじゃないかと思える会話が聞こえます。
ポールが「バース3 はイントロに戻るみたいなのはどうかな?」って言って
リンゴが「また最初に戻るってこと??」みたいに反応しています。
ジョージの「この後に僕たちの演奏が入るってことね」というような声も聞こえて、それぞれの会話の文脈や前後関係ははっきりしませんが、"Now And Then" のセッションを示唆していると思われる編集となっています。
それを踏まえると、アンソロジーの時にスリートルズで多少は構成を考えていたということも考えられ、もしかするとその当時からポールはこのBメロはそのまま残さなくてもいいかも?と思っていた可能性もあります。
あくまでも推測ですが。
不適切な歌詞
Bメロがカットされた理由のひとつとして、英語圏のファンたちの間では、Bメロの歌詞に 【 abuse 】という「罵る」とか「虐待する」みたいな意味の単語が使われているからカットしたんじゃないかということが言われていて、でもここは「lose / abuse / confuse」のようにジョンもどちらかというと韻重視で単語を置いているような気もするので、そこは "I Saw Her Standing There" でジョンがポールの ”never been a beauty queen” という歌詞を "you know what I mean" に直してくれたように、今度はポールがジョンに「いや、その歌詞はこうやって変えた方がいいぜ」って変更することもできたはずなので、そこまで重大な理由ではないようにも思えます。
"Free As A Bird" もジョンの未完成の歌詞をスリートルズが完成させているわけなので、単語ひとつがバース全部に影響を与えるということはちょっと考えにくい気もします。
ポールの音域の問題
あとは「ポールの高音が出ないから」という説も見かけます。
ジョンのデモのBメロは転調を繰り返し、かなりキーが高い部分があるため、「20代のポールなら難なく出ていたけど80代のポールにはちょっとキツそう」ということなんですが、それもなくはなさそうですが、"Now And Then" でポールは自身の現在のボーカルを惜しみなく披露していますし(ペン・ジレットは「ポールは声を若がえせた」なんて言っていましたが!)、そんなネガティブな理由でカットしちゃうのはポールっぽくないかも…という印象です。
ポールの真意??
そこにきて、ポールが雑誌MOJOで語ったインタビューの内容が紹介されているのをSNSで目にしました。
ポールはこのBメロを無くしたことについて、『Bメロはちょっとややこしいと思ったし、自分はジョンに 「ここは無くした方が良くなるんじゃない?」って言うだろうと思った』と語っているのです。
それを読んで、すとんと腑に落ちるというか、あれこれ勝手に妄想してたけど結局ビートルズってそういうチームだし、そうやって楽曲を完成させてきたんだよな、と妙に納得させられました。
今回のビートルズの新曲は、半分のメンバーが失われている状態でのリリースですし、歓迎の声もそうでない声もあって当然でしょうし、ビートルズらしいとか全然そんなことないとか、それぞれが抱く感想は千差万別だと思います。
しかし、少なくとも今この世で「ビートルズの新曲です」と言って楽曲を提示できるのはポールとリンゴ以外はいないということは火を見るより明らかですので、改めてこのビートルズとしての完成版 "Now and then" をありがたく聴き込もうと思いました。
和田唱さんの熱量
今回この話題に触れようと思ったのは、NHK FMの『ディスカバービートルズ』(毎週日曜13:00-)という番組でMCを務めるトライセラトップスの和田唱さんがこの件について非常に熱くお話されていたことがきっかけなのですが、Bメロカット反対派の唱さんは番組の最後に ビートルズver. の "Now and then, I miss you" のサビの部分をカットして、ジョンのデモのAメロとBメロで構成するという斬新な発想で新しい "Now And Then" を演奏するという離れ業を披露され、それはとても美しくて感動しました。(2023年11月19日放送回)
とても美しくて感動しましたが、やはりそれを聴いて、ビートルズの "Now And Then" はリリースされた形が2023年の時点では最適解だったんだな、という思いを強くしました。
ビートルズ版ナウゼンの正義
理由はやはり、シンプルであること。
曲の構成、歌詞がシンプルなことによって、楽曲のテーマが引き立つ。
耳に残り、思わず口ずさんでしまう。
楽曲のテーマは、ラジオや雑誌のインタビューでのポールやジャイルズ・マーティンの発言からも明白なように、"Now and then, I miss you" に尽きるでしょう。
ジョンからポール、ジョージ・リンゴへ。
そしてポール・リンゴ・ジョージからジョンへ。
さらにポール・リンゴ、そして私たちビートルズファンから、ジョン・ジョージへの ”I miss you” が詰まった楽曲だと思って、私は聴いています。
それをより明確にするためには、逡巡しているような歌詞や複雑な構成は排除した方が伝わり易いでしょう。
そしてこの楽曲が担う役割、つまり、これからビートルズを知る世代にも響く音楽であるためにも、シンプルな構成や歌詞であることは重要な条件ではないかと思います。
繰り返しますが、あくまでも個人の感想です。
ポールのBメロ・オマージュ
そんなビートルズver. "Now And Then" ですが、聴いていて震える感動的なパートがいくつか発見されています。
番組の中で和田唱さんも仰っていたのが、2回目のサビ後の、ポールによる ジョージ・トリビュートのスライドギターの部分で、『キーは違うけどジョンのデモのBメロのコード進行が10小節分再現されている』ということでした。
唱さんはそのコードに見事にジョンの "I don’ wanna lose you" の歌詞を載せて歌われ、「おぉ、さすがポールの仕事だな…」と思いました。
そしてそういう耳で聞くと、スライドギターの隙間を塗って "I don’ wanna lose you" のフレーズが聞こえてくるような気がします。
もしかしてポールはがっつりピアノでBメロのメロディを弾いているのかもしれない…と思ったりもしています。
ポールのジョージ愛
それともうひとつ、「ポール、やりよるな…」という部分があって、 "Now And Then" のエンディングは、ビートルズ時代のジョージの名曲 "Here Comes The Sun" のオマージュじゃないかと思わされるのです。
これは、YouTube動画のコメント欄に書き込んでいただき、改めてその意識で聴いて電流が走った内容なのですが、私は今はもう、そうとしか聞こえなくなっています。
エンディングでポールの演奏する印象的なスライドギターのフレーズは "Here Comes The Sun" のマイナーコードで、さらに最後の "タンタ・タンタ・タンタ" という1泊半のリズムとジャーンって終わる感じとか、ポールが大好きなジョージのヒアカムをフィーチャーしたと言われてもおかしくない気がします。
きっともっともっと聴き込んでいくと、"Now And Then" にはこんな風な隠し味(結構濃いめ)が色々散りばめられているんじゃないかと思います。
なぜ完成が今になったのか?
"Now And Then" は、1995年のアンソロジー・プロジェクト当時は「ジョージがジョンのデモテープの音の悪さを理由に新曲としてのリリースを拒んだ」と言われてきましたが、最近のインタビューで、リンゴが「この楽曲に取り掛かる時、ジェフリンが求めるドラムのスタイルと自分のそれが違っていて、それもセッションが続かなかった理由のひとつかもしれない」と語っています。
さらに、ジャイルズ・マーティンは「楽曲に取りかかることで、ポール・ジョージ・リンゴの3人は、改めてジョンの不在を再認識することとなり、それに向き合いながらさらに楽曲をどうするかということに対処しなければならないのはとてもハードなことだ」と思いを寄せています。
1995年の時点では、当時の技術的にも、スリートルズの心情的にも、"Free As A Bird" と "Real Love" の2曲を仕上げることが限界だったのかもしれません。
それが今、ビートルズの解散から50年以上、ジョンのデモ制作から40年以上、アンソロジーから30年近く経って、MALの技術によって "ビートルズの最後の新曲 Now And Then" としてリリースされたということは Fabulous という以外に形容する言葉が見つかりません。
まとめ
こんな風に30年近く、長らく棚上げされてきた "Now And Then" が2023年にリリースされたという経緯やストーリーを追っていくと、ポールとリンゴが様々な思いをひっくるめて渾身の演奏で仕上げてくれた ビートルズver. の"Now And Then" は、考え尽くされて、色んな奇跡と出会いが組み合わさって出来上がった楽曲なんだとより一層思え、ますます感動が増します。
そして解散から半世紀以上経っても今なお、たくさんの人がそれぞれの熱い想いを持ってひとつの楽曲の誕生に対峙しているというのは、ビートルズというバンドだからこその現象だろうなと思うと、そういうことも全部分かった上で、全部まとめて引き受けて、諦めず楽曲の完成を見せてくれたポールに改めて感謝の気持ちが湧いてきます。
そんなことを思いながらピーター・ジャクソン監督のMVを見てまた泣く、、みたいなループがしばらく続きそうですが、この歴史的な瞬間に立ち会えたことを誇りに、これからもビートルズ妄想街道を邁進していきたいと思います。
それではどなたさまも、引き続き素敵なビートリーライフをお過ごしください🍏
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