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ビートルズを支えた男、マルの壮絶な人生❶
✔︎ ビートルズを愛し寄り添い支えたマル・エヴァンズは、
なぜ40歳という若さで人生を終えなければならなかったのか。
ビートルズをお好きな方でしたら、一度は “マル・エヴァンズ” という名前を聞いたことがあるのではないかと思いますが、彼はビートルズを一番近くで支えたローディーの一人です。
2024年に出版された『マル・エヴァンズ もうひとつのビートルズ伝説』を元に、これから3回に渡ってその “マル” の生涯とビートルズとの関わりなど、私が新たに知ったことや感じたことをまとめていきたいと思います。
Part.❶:マルがビートルズに果たした役割
Part.❷:マルの人生、そして哀しい最期
Part.❸:マルとビートルズのエピソードの数々
という感じで「一番近くにいたマル目線の "もうひとつのビートルズ伝説” 」を紹介できればと思います。
マルの「ビートルズ回顧録」
残されたビートルズの記録
ビートルズには、彼らの身の回りのこと、望むことをほぼすべて何でもやってくれた縁の下の力持ちが二人いました。
一人はポールとジョージのリバプール・インスティチュートからの友人で、ビートルズのデビュー前から最初はバイトで運転手として彼らのサポートを始めたニール・アスピノール。
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そして、ビートルズがまだリバプールとハンブルクを行き来している1961年初頭に彼らに出会い、キャヴァーンクラブの用心棒を副業で始めたのち、1963年夏に正式にビートルズのローディーとして雇われたマル・エヴァンズです。
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ビートルズの一作目の主演映画 " ハード・デイズ・ナイト / A Hard Day's Night " の中でも、マルとニールはそれぞれ「シェイク」と「ノーム」というキャラクターで再現されています。
それくらいマルとニールはビートルズにはなくてはならない存在で、常にビートルズと行動を共にし、最も近くで活動を見守り、彼らが音楽活動に専念できるよう下支えしていました。
ビートルズを世界に売り出したマネージャーのブライアン・エプスタン、そしてビートルズの音楽の可能性を最大限に引き出したプロデューサーのジョージ・マーティンとともに、ビートルズがあれだけの成功を収める上で必要不可欠な人材でした。
『マル・エヴァンズ もうひとつのビートルズ伝説』は、マルが1976年に40歳で突然この世を去ってしまう直前に出版を計画していた「ビートルズと過ごした日々についての回顧録」や、1963年からマル自身がつけていた日記、そしてその他のビートルズ関連本や著者のケネス・ウォマック氏が新たに関係者にインタビューした内容で構成されています。
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インタビューは、マルの家族親族や当時の仕事仲間や友人はもちろんのこと、ピート・ベストやメイ・パン、トニー・ブラムウェル、メアリー・マッカートニーなどのビートルズ関係者、映画 “Let It Be” のマイケル・リンゼイ=ホッグ監督、ドキュメンタリー “The Beatles : Get Back” のピーター・ジャクソン監督 、さらにビートルズ研究家の第一人者マーク・ルイソン氏など、かなり多岐に渡る人選がなされており、非常に読み応えがあります。
書籍化までの道のり
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マルが生前出版の準備をしていた『ビートルズの伝説を生きて:あと200マイル -Living The Beatles’ Legend / 200 miles to go -』という回顧録は、彼の急死後の混乱でその草稿や資料は、長らく所在不明となっていました。
そして長年ニューヨークの地下倉庫で眠り続けていたその資料を、倉庫の整理を担当していた派遣社員リーナ・クッティさんが偶然見つけ、その重要性を認識した彼女は「この資料一式は家族のもとへ返さなくては」とその旨を記した手紙を持って直接オノ・ヨーコの住むダコタハウスを訪れました。
それを読んだヨーコはニールへ連絡し、彼らとアップルの敏腕弁護士の尽力により、失われていた資料は1988年に無事マルの家族の元に戻されました。
その後また数年の沈黙を保ったのち、過去にもビートルズ関連本を出版しているケネス・ウォマック氏が執筆を担当し、満を辞して2024年に世に出ることとなりました。
マルが残していた資料は、日記や原稿以外にもビートルズの写真や歌詞のメモ、レシートなど膨大で、その原稿や日記の中身、イラストやコレクション・未公開写真などをまとめた第二弾の書籍がこの後出版されることになっています。
もっともビートルズに近い場所で彼らの活動を目の当たりにしてきたマルの暮らしや書き残したもの、保管していた資料の内容を知ることで、ビートルズの姿を一層立体的にリアルに感じることができそうです。
実際第一弾のこの書籍だけでも、随分新しいビートルズの顔に出会うことができました。
書籍おすすめポイント
『マル・エヴァンズ もうひとつのビートルズ伝説』のおすすめポイントをいくつか上げると、まず、マルの人生はビートルズとの関わりを抜きに語れないため、ビートルズのデビューから解散、さらに解散後のメンバーの初期の活動がざっくり時系列で分かります。
ビートルズの回顧録という性質上、マルとビートルズの関係性やマルの果たした役割、そしてビートルズの側近だったマルの記憶や記録から、ビートルズの活動の舞台裏も細かく知ることができます。
そして何より、マル・エヴァンズの人生をよく知ることができます。
「優しくて力持ちのビッグ・マル」という印象の彼ですが、基本的にそのイメージは本を読むことで変わるどころか強固になり、ビッグなのは肉体だけでなく心だな…と思ったり、想像していなかったような一面も垣間見ることもでき、彼を深く知ることで感謝と憐憫の気持ちが大きくなりました。
注釈や索引もしっかりしていて、日本語版にはそれぞれの章にいつの時期の出来事か分かり易いよう年代が入っていて、非常に読みやすい作りになっています。
重量もビジュアル的にもなかなかヘビー級で800ページほどあり、大男 “ビッグ・マル” に見合った書籍になっていますが、迷っているビートルズ好きの方は怖がらずにお手に取ることをおすすめします!
マルのお仕事
マルはローディーというより、ビートルズのなんでも屋、フィクサーの役割を担っていました。
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マルがビートルズのためにしてきたことを、今ぱっと思い出せるだけ羅列してみます。
初期からツアー期には運転、用心棒、機材の管理、ライブのセッティング、食事の調達、買い物代行、ライブ後のジェリー・ベイビーの片付け、衣装の管理、殺到するファンの整理、ツアー中ホテルでビートルズの夜の相手をする女性の選別、ビートルズのサインの代筆、マスコミの対応、マダムタッソー蝋人形博物館のビートルズ人形にギターの小物を取り付けるという作業、映画 “HELP!” のスイマー役、マリファナの調達をし、スタジオでせっせとジョイントを丸めビートルズがマリファナを吸っているのがバレないように匂いを消すために隣で葉巻を吸うこと、休暇中はメンバーの旅行に同行、レコーディング期にはスタジオで提供する紅茶やサンドイッチ、スクランブルエッグ作り、ちょっとした楽器の演奏、作詞の手伝い、ポールの家政婦、ポールの犬マーサの世話、ゲット・バック・セッションでは金床を叩いたり警察の対応、解散後にはそれぞれのメンバーの仕事やプライベートに付き合うなど、もはや仕事なのか友達なのか家族なのかも分からないような業務のすべてをこなしていました。
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マルはビートルズのドラえもん的な存在で、ジョン・ポール・ジョージ・リンゴの「あれが欲しいな」という要求や気分に何でも答えられる「ドクターズ・バッグ」と呼ばれる鞄を常に持ち歩いていました。中にはピック、ギターの弦など楽器関係の小物だけでなく、アスピリン、ガム、懐中電灯、ポテトチップス、クッキー、テッシュ、タバコなどの日用品が入っていて、それでも要求に応えられない時はすぐに調達に向かって走っていました。
ビートルズがボブ・ディランにマリファナを教えてもらった後には、さらにドラッグ用の「ドープ・バッグ」がマルの荷物に加わり、小さなマリファナグッズショップ並みの品揃えだったそうです。
ビートルズがアメリカツアーの途中でマルの憧れのエルビス・プレスリーの元を訪れた時、ピックを必要としているエルビスに、プラスチックのカトラリーでピックを作って渡した話も興奮します(いつもは必ず持ち歩いているのにその日はポケットにもなく、ドクターズ・バッグを持っていないという痛恨のミスを気転と器用さでカバー!)。
だいたい何でも持っている・持っていないものは作ってでも与える。
マルはそんなスーパー・ローディーでした。
マルのローディーとしての適性
本を読んでいると、マルとニールふたりのローディーがいたからこそ、ビートルズはあの狂った8年間を乗り切ることができたんだろうなとつくづく思います。
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ビートルズのローディとしてのマル適性は、まずその体格でしょう。
190.6センチの身長、さらには自転車と水泳で磨き上げた肉体と体力は、力仕事の多かったビートルズ前期に大いに役立ちました。
3人で運ばないといけないようなでかくて重いアンプも一人で軽々と運んでいたという証言や、ファンに追われるジョンを肩に担いで走って逃げたなどのエピソードを持つマルは、さながら漫画のヒーローのような活躍を見せています。
また彼の温厚な人柄も、特にピリピリしていた中期以降のビートルズのチームには欠かせないものだったでしょう。
仕事仲間からのマル評判は「常に笑顔と陽気な振る舞いで周囲に伝染するような明るさだが、いざと言う時は一瞬にして真剣な表情になる」というもので、もともとの性格とマルの努力によって形成されたプロフェッショナル感が伝わってきます。
ビートルズの周りに湧いてくる面倒な人たちの捌き方も強硬一辺倒ではなく、時には上下関係をはっきりさせるために高圧的な態度も取りはするけど、基本的には陽気な柔らかい物腰で、ビートルズが悪く思われることが無いよう配慮して対応していました。
その姿はマルをローディーの師匠として仰ぐケビン・ハリントンも絶賛しています。
メンバーが欲しいものをなんでも用意できる対応力や柔軟性、寛容な心、道化を演じることでメンバー間の緊張をほぐし団結させるような空気を読む力、そしてなによりジョン・ポール・ジョージ・リンゴとビートルズへの深い愛が、マルを唯一無二のビートルズのローディー兼友人としている所以でしょう。
マルのお給料
そんなマルには、ビートルズのローディーとしてどれくらいの給与が支払われていたのでしょうか。
本を読む限り、マルの経済状況は常にギリギリだったように見受けられます。
ジョージが明かしているツアー期前 1963年のビートルズのチームのそれぞれの取り分は、
ビートルズのメンバー:週給 400万円
マネージャーのブライアン・エプスタイン:週給 200万円
ローディのマル・ニール:週給 2万5千円
だったそうで、あまりの格差とマルとニールの薄給具合に驚愕してしまいます。
翌年もう一人運転手のアルフがチームに加入した時に3万円に昇給したとはいえ、マルとニールの仕事の内容や拘束時間、ビートルズの稼ぎを考えると全然まったくちっとも足りない気がします。
ブライアンはケチ臭いな!と怒りが湧いてきます。
ちなみに、マルがまだ正式なローディになる前、病気のニールに変わってビートルズをロンドンへ送り届ける業務を請け負った時、その報酬は3日間でなんと4万5千円だったらしく、ブライアンは外面が良くて釣った魚には餌をやらないタイプなのかな?と勘繰ってしまいます。
もう少し彼らの仕事の重要性を評価して、対価を与えてあげて欲しかったなと強く思います。
次回Part.2では、マル・エヴァンスという人について掘り下げ、「彼がビートルズと仕事をしたことで満たされたこと・失ったこと」について、また、ビートルズを愛し続けた彼の悲劇的な最期について紹介します。
P.S. マル・エヴァンズに深い感謝を込めて。
▼ YouTubeで動画版も配信しています。
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