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ビートルズを支えた男、マルの壮絶な人生❸
ビートルズの右腕として彼らを支えた “マル・エヴァンズ” の生涯とビートルズとの関わりを、📖『マル・エヴァンズ もうひとつのビートルズ伝説』を元に3回に渡ってまとめるシリーズ 第❸弾です。
最終回のPart.3は、どんな時もビートルズの最も近くに居たマル・エヴァンズの記録と記憶から「マル目線のビートルズエピソード」をご紹介し、彼らの活動を紐解いていきます。
マルの日記
『マル・エヴァンズ もうひとつのビートルズ伝説』の根幹となっている資料は、マルが生前執筆を進めていた『LIVING THE BEATLES LEGEND - 200 miles to go- 』と、マルが1963年からつけていた日記です。
27歳のマルは、溺愛していた1歳3ヶ月になる息子ゲイリーの成長記録として日記を書き始めましたが、1963年といえばビートルズにとっては大きな成長を遂げる重要な年です。
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1963年1月下旬、マルがビートルズとの絆を深めた、記憶に残る大きなイベントがありました。
マルは、インフルエンザにかかったビートルズのローディー/ニール・アスピノールの代わりに、2nd シングル " Please Please Me" で上昇気流にあるビートルズを、ロンドンへ連れて行く役割を仰せ遣いました。
当時郵便局員として働いていたマルは何日か仕事を休み、悪天候の中、テレビやラジオ出演、取材のためビートルズとロンドン・リヴァプールの道のりを往復することになりました。
2日間大都会ロンドンでこれまでの人生では経験することのないような世界を垣間見たマルとビートルズは、ヘトヘトになって帰路につきます。
ここで、マルの回顧録のタイトルとなった「200マイル事件」が起こります。
疲れ切ってリバプールへの長い道のりを走っていた一向の車のフロントガラスに、何らかの原因でヒビが入ってしまいます。
このままでは危険だと判断したマルは、なんとガラスを自らの手ですべて叩き割り、そのまま走り続けました。
想像してください。雪の降る 1月のイギリスの夜です。
期せずしてオープンカー仕様となった車内は大寒波の風が吹き抜けあまりに極寒で、マルは銀行強盗のように目の部分だけ穴を開けた紙袋をかぶって運転を続け、後部座席のビートルズは4人が折り重なってビートルズサンドウィッチ状態となり、ウイスキーを飲みながら温め合いました。
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「マル、あとどれくらい?」と尋ねるビートルズに、マルは「あと200マイル!」と答え続け、寒さと疲れをともに乗り切った仲間たちは、その後の活動の中でも厳しい状況になると「マル、あと200マイルだ! - 200 miles to go, Mal!- 」と言うようになったという、全宇宙のビートルズファンがスタンディング・オベーションを送ってしまうような極上のエピソードが記録されています。
この時バンドに加入して半年ほどだったリンゴは「こうやってバンドの絆は強くなる」と語ったそうです。
この日以来、マルの日記にはビートルズのステージの感想など、彼らに関わる内容が増えていきました。
マルはビートルズについて「4人はみなユーモア・センスのある最高の男たちだ」と表現し、「これは世界一の経験だ!」と書き残していますが、この後数年間、彼はジョン・ポール・ジョージ・リンゴと一緒に、”世界一の経験” を何千・何万と積み重ねていくことになります。
1963年夏にビートルズの正式なローディーとなったマルは、「4人が笑顔で私を迎え入れ『仲間になれて嬉しいよ』と言ってくれたことで、すべての不安が吹っ飛んだ」と書いています。
マルが正式にビートルズのチームの一員になったことで一番助かったのが元祖ローディーのニールで、車の運転、機材と衣装の管理、メンバーの身の回りの世話、報道関係者の対応など日に日に増えていく業務を、マルとニールは何でもこなしました。
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労働者階級代表のビートルズは使用人を使うことに慣れていなかったので、人に世話を焼かれるのを嫌がり、マルとニールは「どこまでやっていいかの判断が難しかった」と書かれています。
4人ともそれぞれのペースやムードがありそうですし、日によってテンションも違ってそうですし、ふたりは彼らの気まぐれや、時にマネージャーのブライアン・エプスタインのご機嫌に振り回され、さぞかし大変だっただろうなと想像します。
ビートルズとマルのエピソード
この書籍では、マルが体験した・マルしか体験できないビートルズとの絡みを、ミクロなことからマクロなものまで、いくつも読むことができます。
煌びやかなエド・サリヴァンショーのヒリヒリするような裏側、ワールドツアー直前にリンゴが入院したときのハラハラするような現場のやりとり、常に危険を伴っていたツアーの移動、恐怖のマニラ事件、令和の時代なら一発炎上アウトのファンとの交流、事件や事故の発生、警察との衝突など、本当にいつも、どんな場所でもビートルズのすぐそばにいたマルだからこそ知りえた情報が詰まっています。
"Yellow Submarine" のレコーディングでのマルの活躍や、 "Sgt.Pepper's Lonely Club Hearts Band" はポールとマルの言葉遊びから生まれたこと 、ゲット・バック・セッション中にマルはポールに頼まれて "Maxwell's Silver Hammer" 用の金床を調達して叩いたことなど、既にファンに知られているようなエピソードも、マル目線で綴られていてよりリアルに想像できます。
ジョージとマル
マルはビートルズの正式なローディーになる前はバイトでキャヴァーン・クラブの用心棒をしていましたが、それを勧めたのはジョージでした。
最年少で人懐っこいジョージはマルと一番最初に親密になり、ライブ後にマルと新妻リリーの家を訪れベーコンエッグを食べさせてもらったりしていたようです。食いしん坊ジョージの可愛すぎるエピソードです。
そしてさらに可愛いことに、マルが仕事で遅くなる時は「リリーが寂しくないように」とジョージがひとりで先にマルの家に帰っていたそうで、お腹が空いていただけかもしれませんが、それにしたって可愛すぎて悶えます。
そしてマルの記録の断片から、そんな可愛い一辺倒だったジョージも年を重ねると共にだんだん気難しくなっていく様が垣間見え、リアリティに興奮します。
ジョンとマル
もともとジョンに対して苦手意識を持っていたマルでしたが、1964年にジョンのギター "ジャンボ" (ギブソン J-160E) が紛失し、そのことでジョンに叱責されいつまでもネチネチといびられるようになり、さらにその気持ちが大きくなっていったようです。
しかし、そんな不安もオーストラリアツアーの終盤にジョンが「ステージで演奏を続けられることの感謝」をマルに直接伝えてくれたことで癒されます。
その後も気まぐれでわがままでツンデレなジョンに翻弄されるマルですが、ジョンはマルに思いっきり甘えていたんだろうなと思います。
ちなみにジョンがケンウッドで飼っていた猫の名前は "マル" でした。
リンゴとマル
リンゴはこの本の中でも、ひたすら家族思いの良い人として記録されています。
狂ったツアー期の後、リンゴはリヴァプールから移り住んだロンドンの豪邸 "サニーハイツ" に落ち着きます。
マルも息子のゲイリーも、サニーハイツで最高の時間を過ごしていたようです。プライベートパブやシアタールームに加え、庭には滝に池にツリーハウスにゴーカートのコースまであったようで、マルはこのリンゴの豪邸やジョンのケンウッドの豪邸で家族ぐるみで遊んでいたようです。
リンゴの子供がマルの子供に現実を突きつける言葉を浴びせる描写にはハッとさせられましたが、これこそが、リンゴがマルの回顧録に望んでいた「真実を書くこと」なんだろうだなと思い、この本に書かれていることの多くは限りなく真実に近いんだろうな…という信頼感を強くしました。
ポールとマル
書籍の中で一番個人的な関わりについてページが割かれていたのがポールではないかと思います。
ビートルズ前期/ツアー全盛期のポールは、エルヴィス・プレスリーの大ファンのマルが彼と話せるよう取り計らってくれたりと、イメージ通りの優しさと、程よい距離感が感じられます。
そのポールとマルの距離が急激に縮まっていくのがアルバム "Revolver" のレコーディングの頃かな?という印象を受けます。
例えば名曲 "Here There And Everywhere" の "watching her eyes and hoping I’m always there" というフレーズはマルが生み出したものです。
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ツアー後の休暇でふたりで行ったサファリ旅行の帰りに "Sgt.Pepper's" のアイデアが浮かび、ポールがそれを形にする上でマルは大きな助けとなっています。
その後ロンドンのEMIスタジオ近くに自宅を購入したポールは、家政婦をクビにした後マルを同居人に指名し、マルは料理・掃除・ガーデニング・犬の世話など、バンドのローディの枠を超えた仕事も請け負っています。
特別な尊敬の念を抱いているポールと過ごせることはマルにとって夢のようなことで、一緒に暮らす中で共同で曲も作り、ポールはマルに「印税が入るよ!」と言い、万年金欠だったマルをぬか喜びさせています。
結局後にマルは「君の名前は曲にクレジットできない」とポールに告げられますが、ビートルズを手放しで愛しているマルは当然抗議することもなく、一体どこまで人が良いんだろう…と思ってしまいます。
ローディーから始まったマルとニールの仕事はクリエイティブな面にも関わるようになり、特にポールは "Sgt.Pepper's" に続き、"Magical Mystery Tour" でもマルからインスピレーションを受けています。
ジョンとジョージが "Sgt.Pepper's" と "Magical" については「ポールとマルが何かやってるな」みたいな冷ややかな態度を示す程度に、ふたりの関係はこの時期特に濃密だったのでしょう。
ドキュメンタリー “The Beatles: Get Back” や映画 “Let It Be” で、作曲するポールのすぐ横でメモをとるマルの姿を見かけますが、1967年頃からポールが口ずさむ歌詞や突如として思いつくアイデアをマルが積極的に文字に残すようになっています。
「君たちは音楽をつくり、私は君たちが快適に過ごせるよう何でもする」というマルの献身は、彼らの身の回りの世話に始まり、レコーディング期にビートルズの制作意欲と才能が爆発すると、独走的なアイデアや即興的な演奏で楽曲作りに参加するまでに拡大していきます。
まさに自分の片腕となって動いてくれていた従順なマルに対して、ポールは「君がいなければ、ぼくは大風呂敷を広げても何もできないよ」と言いマルを感動させたかと思えば、次第に「君は僕の召使いだ。言われた通りにしなさい」と言ったり、さんざん機材の運搬などを頼んだ挙句「マル、もう君は必要ない」と言い放ったり、ビートルズにずっと愛をもって尽くしてきたマルへ、例えどんな意図が含まれていようとも心が痛すぎる言葉を浴びせています。
マルは寛大な人なので、後にポールのそういった発言も好意的に捉えていたようですが、わたしは完全に他人事ではありますが、ちょっと受け入れられない気持ちです。
ポールがそんな風に一方的にマルを遠ざけた時、マルはジョージとの親交を深めていたようで、「好きな人が4人いるのは時に大変だけど、こういう時救われるね!」とマルに声を掛けたい気持ちです。
椎名林檎さんが「好きな人や物が多過ぎて見放されてしまいそうだ」と歌うわたしの大好きな『月に負け犬』をマルに捧げたいと思います。
ビッグ・マルからマザー・マルコムへ
60年代のマルとビートルズのエピソードは、例えば「日本に来て日本酒を一番最初に口にしたのはマルだった」など、ページを開く度にポロポロと出現します。
それは書籍で思う存分堪能していただくとして、母以上の愛と献身をジョン・ポール・ジョージ・リンゴに捧げたマルは、まさに「マザー・マルコム」という相性がピッタリだと思います。
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ポールが “LET IT BE” を作り始めたとき、「なすがままに」と語りかけてきたのは、マザー・メアリーではなく、マザー・マルコム(1968/8)でした。
その後、ジョンの提案で一瞬ブラザー・マルコムとなっていた(1969/1上旬)歌詞は、最終的にマザー・メアリー(1969/1下旬)に落ち着いたようです。
ビッグ・マルことマルコム・エヴァンズは、20代前半の子供のようなビートルズの世話から、徐々に注文の多い4人の大人の世話を強いられる中で、どんどんと "マザー・マルコム" と化していったように感じます。
ビートルズからの要求はより個人的で複雑なものになっていき、肉体的というより心情的に苦しいものが増えていった印象です。
「ほんといい加減にしてくれ、、」と思うことも多かったはずですが、ビートルズは単なる雇い主ではなく尊敬しているバンドで、友達のような家族のような特別な関わりで、それをまるっと受け止めてくれるマルの人柄だからこそ成立した関係性だったのでしょう。
マルが深い愛で受け止めてくれていたことも、ビートルズが狂った日々を駆け抜けることができた要因のひとつなんだろうなと思えます。
マルの成長と独立
ビートルズのそばで毎日極上の音楽を聴いてきたマルには、「才能のあるバンドを聞き分ける力」が備わっていたのかもしれません。
ビートルズがアップルを設立し、新人発掘の立場を任されたマルは、後にビートルズの弟分としてデビューする"バッド・フィンガー" の前身バンド "アイヴィーズ" を見出し、売り込みます。
その頃からマルは自分で作詞をしたり、バンドをプロデュースするということにも興味を抱き始め、"スプリンター" とジョージを繋ぐなど、試行錯誤しながら音楽的な活動を始めていきます。
ビートルズ解散後、ポールとは距離があったマルでしたが、ジョン、ジョージ、リンゴとはそれぞれのソロ活動をサポートしたり、引き続き関わりを持っていました。
当時から誰かに特別肩入れしたくない様子のマルでしたが、やはりバンドが崩壊するとそうもいかず、「マルは最近ジョージとリンゴの仕事ばかりだ」と拗ねるジョンの元へ飛んで行ったりと、ビートルズ時代より気を遣う事柄が増えていたのではないかと想像します。
「ビートルズのローディー」という肩書きを失い居場所をなくしたような気持ちになったり、バラバラになった愛する4人のビートルの間で、また、愛する2人の女性の間で引き裂かれていくマルの心は、どんどん疲弊していったのでしょう。
マルがビートルズのメンバーの元を離れ自立することを伝えた時、ジョンとポールは好意的に捉え彼を送り出しました。
ジョージは結構冷たい態度を示し、リンゴはマルに直接思いは告げなかったものの、明らかに困惑しています。
リンゴはビートルズで音楽的にリードしてきた立場ではなかったため、引き続きサポートしてくれていたマルがそばからいなくなることは、ソロで音楽活動を続けていく上で精神的にも不安が大きかったのかもしれません。
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ビートルズとの永遠の別れ
マルが哀しい最期を迎えた後のビートルズのメンバー各々の反応は、この本からは読み取ることはできませんでしたが、 ”彼らしい不謹慎な方法で悲しみに耐えていた" ジョンは、後にマルの妻リリーへ優しく寄り添ったお悔やみの手紙を送っています。
ジョージは他のメンバー同様マルの葬儀には参列はしませんでしたが、リリーへ葬儀費用を渡しています。
また、あることでリリーへ罪の意識を持っていたジョージは、マルの死後数年経ってから彼女の元へ直接謝罪に向かっています。
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ジョージはアンソロジーで「マルは仕事が大好きで素晴らしい奴だった。よく彼が殺されたことを思い出して、辛い気持ちになる。僕はいまだに “マル、どこにいるんだよ?” って思っているんだ」と語っていて、彼の仕事ぶりと存在の重要性を強調しています。
リリーにマルの遺言を電話で伝えたのは、ビートルズのローディー時代の相棒ニール・アスピノールだったそうです。
マルとは正反対の性格に見えるニールは、ビートルズデビュー前から解散後もずっと、マル以上にビートルズに関わるありとあらゆるお世話を、彼自身が亡くなるまでずっとやり続けてくれました。
そのニールの尽力もあり日の目を見ることができたこの『マル本』を読んだことで、同様にニールの回顧録も読みたいなという気持ちが大きくなっています。
まとめ
ビートルズのローディーとして長く活動できた秘訣を問われたマルは、「動物的な悪知恵と、優しさだよ」と答えています。
マルと一緒に仕事をした人物は、「伝説のマル・エヴァンズは、機材の神であり、万能の潤滑油であり、いかなるトラブルも解決できる人間だった」と彼を評しています。
「自分もビートルズの大ファンだから、ファンの気持ちがよく分かる」と語っていたマルは、もしかすると自分自身より、ビートルズを愛してしまったのかもしれません。
マルは遺書にも、ビートルズへの愛を綴っています。
「ジョン、ジョージ、リンゴ、ポール、私のことをやさしく受け入れてください。(略)もしビートルズが私を愛しているなら、私の葬式であなたたち流のロックン・ロールを演奏してください」
彼の最期の願いは叶いませんでしたが、マルが全身全霊をかけて支え続けたビートルズは、”MAL” と名付けられたAI技術によって甦り、2020年代にも新鮮な驚きと感動を私たちに与え続けています。
きっとその事実は、遠くにいるマルを幸せな気持ちにしているんじゃないかと思います。
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1965年にビートルズの中で一番誰が好きか問われたマルは、言葉を選びながら「ジョージは大好き、ポールは優しい、ジョンは狂気の天才、リンゴは本当にスイートで、彼らのためなら何でもする」と答えています。
その言葉通り彼はできる限りのことを何でもこなし、私たちに、その時点で最高のビートルズ - FABULOUS FOUR- を届けてくれました。
ビートルズが成功する上で絶対的に必要だったマルに、本当に、心から感謝です。
『マル・エヴァンズ もうひとつのビートルズ伝説(ケネス・ウォマック著/松田ようこ訳)』には、この記事では語れなかったお宝エピソードがまだまだまだまだたくさん溢れています。
ビートルズの回顧録の類には過去にもいくつか名著と呼ばれるものがありますが、絶版になっているものが多く、なかなか読むことができず残念な思いをしてきました。
2024年出版のこのマル本は、ボリュームたっぷりで新しい情報も多く、非常に読み応えがあります。気になった方はチャンスがあれば是非お手に取ってみてください!
3回に渡りお付き合いありがとうございました。ビートルズは永遠です。
▼ YouTubeで動画版も配信しています。
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