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ビートルズを支えた男、マルの壮絶な人生❷

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また、ジョン・レノンの “Mind Games” が、【最優秀ボックス/スペシャル限定パッケージ賞】を受賞 🏆
おめでとうございます!これからもずっと好きです!

The BEATLES "Now And Then" with Mihowell

✔︎ ビートルズを愛し寄り添い支えたマル・エヴァンズは、
なぜ40歳という若さで人生を終えなければならなかったのか。

ビートルズを一番近くで支えたローディー “マル・エヴァンズ” の生涯とビートルズとの関わりを、2024年出版の『マル・エヴァンズ もうひとつのビートルズ伝説』を元に3回に渡ってまとめるシリーズ 第❷弾です。


マル・エヴァンズとは?

ビートルズファンの中には、「マル・エヴァンズ」という名前はよく聞くけど実は彼自身のことはあまり知らない、という方も少なくないのではないでしょうか。
マルはどんな幼少期を過ごし、どのようにビートルズと出会い、別れ、人生を終えたのでしょうか。
マルの人生を生い立ちから簡単にまとめてみます。

マル・エヴァンズ - LIVING THE BEATLES LEGEND-

マルコム・フレデリック・エヴァンズ
1935年5月27日、リヴァプール・フェアフィールド地区の自宅で誕生。


長男として両親に溺愛されたマルでしたが、10代前半にはその特別大きな体格がネックとなり、内気で引きこもりがちな性格になります。
異性からの注目を欲しながらも極度にシャイで、周囲との関係をうまく築くことができないという思春期特有の葛藤を抱え、学校ではクラスのピエロ的な存在だったと言います。
カウボーイに憧れ、好きな映画ベスト3は、『オズの魔法使い』、『三十四丁目の奇蹟』、そして『拳銃王』。

1952年マルが16歳の時、父の勧めもあり中央郵便局の見習い制度に合格し、育成プログラムを受けた後、中央郵便局で正職員として働くようになります。

1953年マルが18歳の時、徴兵制の入隊手続きのため医療審査会で健康診断を受けますが、結果「不適格」で入隊を認められず、マルは深く落ち込みます。原因は巻き爪による足の爪の欠損でした。

ビートルズのメンバーは年齢的に徴兵制を逃れましたが、4人とも本気で入隊することを嫌がっていましたし(ポールはやや前向きだったものの)、マルの年代でも兵役を回避でき喜ぶ人も多かった中でマルはそういうタイプではなく、1963年に英国陸軍緊急予備軍に登録するまで入隊拒否されたことを引きずっていたようです。
このエピソードからは、マルは真面目で正義感が強く、「男らしさ」みたいなものを重視する人なのかなと感じました。

思春期には異性との関係をうまく築けなかったマルでしたが、社会人になってから出会ったリリーと結婚、1961年の春にはリリーが一人目の子供ゲイリーを妊娠し、順風満帆の生活を送るように見えました。

そしてその頃、マルは初めてキャヴァーン・クラブを訪れ、ビートルズを目撃することになります。

最初はキャヴァーンにせっせと通い、ファンとしてメンバーと話をしたり曲のリクエストをする関係でしたが、ジョージに「キャヴァーンの用心棒になったら?」と勧められ、さらにバンドとの距離が近づき、遂には活動の幅が広がっていくビートルズのローディーにならないかとブライアン・エプスタイン(ビートルズのマネージャー)に声を掛けられ、家族や親族の反対を押し切って安定した郵便局の職を捨て、ロックでリスキーな道へ進むことを選択します。

日々忙しさが増すビートルズのメンバーと先輩のローディ/ニール・アスピノールに歓迎されたマルでしたが、最初はドラムのセッティングにもかなり手間取り、ミスをしてもビートルズは寛容だったそうですが、それでも「最初の一週間で7回くらいクビにされかけた」と書き残しています。

そんな風に自分の働きに自信が持てなかったマルは、常にメンバーやマネージャーに嫌われてクビになるのではないかと不安を抱きながら仕事を続けていて、自分がビートルズに受け入れられたと思えたのは「1964年のオーストラリアのツアーを終えたあたり」だと書いています。
マルの働きっぷりを考えると遅いくらいのような気がして、マルって謙虚だわーと思います。

1964年のビートルズのワールドツアーと言えば、直前にリンゴが扁桃炎で倒れ急遽代打のドラマーとしてジミー・ニコルが選ばれましたが、その時マルは初対面のジミーに「私はビートルズのチームの一員マル・エヴァンズです。何か必要なものがあれば、24時間昼夜問わずこちらの名刺にある番号に電話してください」と声を掛けたそうで、そのプロの仕事っぷりにはカッコ良すぎて痺れます。

マルとブライアン

本を読み進めていくと、マルとビートルズのマネージャーブライアン・エプスタインはそこまで相性が良くなかったような印象を受けました。
でも、わたしはマルとブライアンはどことなく似ている気がします。

最左:マル・エヴァンズ/隣:ブライアン・エプスタイン - ポール・マッカートニー写真展 -

まず、「軍隊に不適格者認定をされたこと」 が共通項のひとつに思えます。

ブライアンは、徴兵され陸軍に入隊しましたが、隊規違反を起こし、精神鑑定を受け同性愛者であることを理由に除隊となっています。
マルは前述したとおり医療審査会の決定で不適格となり入隊拒否されており、この挫折と屈辱は二人の中で結構大きかったのではないかと思います。

また、ブライアンは家業を継ぐまでデザイナーや俳優になる夢を持っていましたがそれも挫折しており、一方のマルは引っ込み思案ではあったものの、心の奥では自分がスターになりたいという野心を持っていました。
ふたりともビートルズと出会い、スターダムにのし上がっていく彼らの側でショービズの世界を味わうことで、過去の果たされなかった憧れや欲望を満たすことが出来ていたのではないでしょうか。

そしてブライアンもマルも、キャヴァーン・クラブでビートルズを目撃し、恋に落ちています。

そんな共通項が垣間見られるふたりですが、マルは特に仕事を初めた頃、ブライアンには正しく評価されていないと感じていたようです。
マルはブライアンから「君の態度が気に入らない、見た目もみすぼらしい」などとお説教されることが何度かあったようです。
なかなかブライアンも辛辣だなと思いますが、マル自身は「自分がいつも笑顔でいることが彼の気に触ったのではないかと思う。私がみんなに人気があり、ストレスも緊張感も楽しみながら良い仕事をしていることに彼は嫉妬している気がする」と書いています。

マルの意外な自己肯定感の高さに安堵すると共に、結局嫉妬なのか…というオチに「さすが愛すべきボーイズだな…!」と思ってしまいますが、それくらいビートルズは身近な人間にとっても独り占めしたいくらい魅力的な存在だったのでしょう。

ビートルズという世界の中のマル

マルがビートルズのローディーとなることで満たされたことは、自分がスターになりたい夢や注目されたい欲、有り余る性欲、刺激的な日常や有名人に会えることなど、スターの側にいることで享受できる喜びや幸福でした。

一方で失ったことは、家族との時間や妻からの信頼、落ち着いた生活や睡眠時間などで、マルはビートルズと出会ったことでそれまでの堅実な生活を手放すことになり、家庭生活とショービズの世界の間で葛藤しつつも、自らのミーハーな心と目立ちたいという思いが先行し、また現実逃避する形でビートルズとの生活にのめり込んでいった印象を受けました。

そしてビートルズが解散した後、マルは引き続きメンバーのソロの仕事を手伝ったりもしていましたが、本当の意味で独り立ちしビートルズと決別した時、自分の将来に夢と希望は持っていたはずですが、プライベートも仕事も思ったように上手くはいかず、どんどん泥沼に嵌っていってしまったように見えます。

良くも悪くも、マルの人生はビートルズと共にありました。

ビートルズは、彼の夢であり希望。
ビートルズのメンバーは友人であり、神のような存在であり、時にろくでもない人間でもあり、雇い主でもある。
気まぐれな彼らに翻弄されながら、その時々で色んな感情を飲み込みながら、自分が一番愛しているはずの家庭を蔑ろにして憧れのビートルズからの要求や自らの欲求に対処してきたマルは、ちょっといい加減でちょっと人が良すぎた部分もあったのではないかと思います。

どんな人にも多面性がありますが、わたしがもしマルの妻リリーの立場だったら、「あんなに真面目で優しくて家庭的だった夫は、ビートルズと出会ってすっかり変わってしまった」と言うかもしれません。
実際マルが失った一番大きなものは家庭生活だと思います。
愛する妻とふたりのかわいい子供に恵まれながら、生涯「家庭に落ち着く」ことが叶わなかった人生に見えます。
夫婦関係はマルがビートルズとの関係を深めるほど溝が深くなっていき、妻リリーは「とても思いやりのある夫だったのに、他に女ができるよりタチが悪い。ジョン、ポール、ジョージ、リンゴという4人の愛人がいるんだから」と語っています。

また、マルはツアー中に知り合った女性との写真や連絡先などもそのままスーツケースに入れて家に持ち帰り、リリーに見つけられ喧嘩になることも多々ありました。
文通を続けた女性がマルとリリーの家を突撃することもあったようです。
妻以外の女性との間に子供が生まれ、養っていけないため母が子を手放さざるをえないという残酷な状況にも陥っています。

リリーからは何度か離婚を告げられ、その度にマルは心を入れ替えると誓いますが、結局その態度が改められることはありませんでした。
最終的にはビートルズ解散後、音楽家の道を志して活動する中で出会った女性フランシーヌと恋に落ち、イギリスで家庭を持ちながらアメリカで恋人と暮らすという二重生活を始めます。
ずっとビートルズの二番手だったリリーは、ビートルズの解散後今度は新しい女フランの二番手となり、マルの身勝手さに完全に愛想をつかせますが、それも当然の結果と言えるでしょう。

マルの悲劇の最期

マルは40歳という若さで銃殺されますが、本を読む限りその最期は他殺というより自殺のように思えました。

マル・エヴァンズと息子ゲイリー - LIVING THE BEATLES LEGEND - 

ビートルズ解散後そのショックもあり、また思ったように収入を得ることができないマルがアルコールとドラッグ依存で鬱状態になり死を意識するようになった理由は、本の中からもいくつか伺えます。
もっとも大きいと思われるリリーとの結婚生活の破談や子供たちと会えない辛さの他に、マルが発掘し、温め育てたバンド "バッドフィンガー" のピート・ハムの自殺も引き金のひとつとなったのではないかと感じました。

マルは貧困を脱するために死の前年の1975年5月頃から『ビートルズ回顧録』を出版するという具体的な話をフランの協力のもと進めていきます。
しかし大手出版社の編集長ボブ・マーケルに会い、契約を交わしたマルは、彼にとっては晴れの日と思われるその日に奇妙なメモを残しています。

私は1963年8月3日、リヴァプールで生まれた。
1975年5月20日、ニューヨークのホテルの一室で 泣きながら死去。

『マル・エヴァンズ もうひとつのビートルズ伝説』

著者のケネス・ウォマックは「1963年8月3日は、キャヴァーン・クラブでビートルズの最後のライブパフォーマンスがあった日だ。マルは回顧録でインサイダー・ストーリーを売ることに、ビートルズを裏切ることになるのではと良心の呵責を感じていたのだろうか?」と書いています。

この頃、イギリスの家族を実質的に捨てフランとアメリカで暮らしていたマルは、これといった稼ぎがないため生活費をフランを頼っていましたが、その彼女も1975年に解雇され仕事を失っています。
彼女は「マルのアルコール常習とコカイン乱用による制御不能な行動が、仕事を台無しにする一因だった」と語り、晩年のマルの精神状態はかなり危うい状態になっていたことが伺えます。

マル・エヴァンズとメイ・パン - LIVING THE BEATLES LEGEND - 

そんな状況下でもビートルズの許可と後押しも得た上でビートルズの回顧録の出版準備を続け、ニューヨークで行われたビートルズ・フェスへ参加しファンからサイン攻めに合いたくさんの賞賛を受け、バッド・フィンガーのギタリスト/ジョーイ・モーランドの新バンド "ナチュラル・ガス" のデモ製作の監修を行ったり、ポールから1976年春の "ウイングス" の全米ツアーに同行して欲しいという電話を受けたりと、表面上はこれから仕事も順調に進んでいきそうな雰囲気もありました。
しかし私生活でのマルは酒とドラッグで極度の鬱状態になり、同棲しているフランの頭に銃を突きつけたりと、友人から「マルは常軌を逸していて危険人物だ」と烙印を押さるようなひどい有様になっていきます。

その年のクリスマスにはイギリスの家族へ「今は貧乏で仕送りができないが、来年には講演会で各地を周り大金を稼いで胸を張ってリリー・ゲイリー・ジュリーの元に帰れる」と伝えましたが、マルがリリーに電話した12月31日、リリーから「離婚について弁護士とのアポイントメントをとった」と告げられてしまいます。
失意のマルは翌年1976年1月3日、遺言を書き始めます。
「この世界を愛しているが、もうやっていけない」と書いた遺書では、家族、恋人、そしてビートルズへ、自らの愛を伝えています。
翌日の1月4日はクリスマスツリーを片付けるなど正常に見えたマルでしたが、子供たちの写真を眺めながらどんどん落ち込んでいき「ぼくにとって子供たちは死んだも同然だ、僕も死にたい」と言って精神安定剤を大量に服用してしまいます。
薬がまわり足元がふらつくマルを落ち着かせようとフランは寝室へ促しますが、部屋に入るとマルはライフルを手に取り、フランはそれを手放すよう説得しますがマルの手からライフルを引き離すことができません。
「今その銃を渡さなければ警察を呼ぶ」と言うフランに、マルは「警察を呼んでくれないか」と応えました。

そして、警官が到着します。

この後の警察とマルの細かいやりとりは本で読んでもらいたいのですが、Wikipediaに書いてあるような「マルが警官を見るなりライフルの銃口を警官に向けてきた」とか「マルが持っていた空気銃を警官が本物のライフルであると思った」などとは異なる描写がなされています。

警察の説得に応じなかったマルは、最終的に警官が放った6発の銃のうち4発を受け、即死でした。

ビートルズ時代のマルの日記 - LIVING THE BEATLES LEGEND -

気が長く温厚で陽気でいつも笑顔でビートルズの側にいた頃のマルとは一転して、最後の数年の彼の描写は人が変わってしまったのかと思うくらい別人の印象を受けるようなものがいくつもあります。

マルは家族への遺産として、自分の生きた証として、回顧録を残そうとしていたのかな?とも感じました。
そして、ビートルズとの思い出を回顧録として売る契約をした日に、マルの中で彼自身の人生が終わったと感じていたのかもしれません。
それ以降の日々はただ、家族へお金を遺すために回顧録を書き続けていたのかもしれなくて、すべての準備が整ったとき、マルにはそれ以上生きていくためのエネルギーも、目的や目標も残っていなかったのかもしれない。
みたいなことを考えながら読みました。

ビートルズのローディーをしていた頃のマルの圧倒的なエネルギーやパワーは解散後の彼の文章からも伝わってきませんし、実際体力も落ちていた感じですし、ジョンやリンゴがそうだったようにマルも酒とドラッグに依存してしまいました。
カリフォルニアでは当時ドラッグが蔓延し、簡単にタダでコカインが手に入る状況でした。
マルの恋人フランは、「コカインは自分を景気づけてくれるけど、自分自身をまったく信じることができなかったマルには、ドラッグがどう影響したのかは分からない」というようなことも語っています。

大好きだった4人のビートルズが崩壊し、それでもバンド解散後も繋がりを持ち続けていたビートルズのメンバーそれぞれに「そろそろ自分のことをするためにあなたの元を離れる」ということを告げた時、マルは自分の明るい未来を信じながら、本当はどんな気持ちでいたのか。
想像すると心臓がキュッとなります。

マルの離別の決意を聞いたリンゴが「マルがいなくなったら、ビートルズは本当に終わりなんだ」と泣いていたと、マルは後日ハリー・ニルソンから聞かされています。
マルはもしかしたら、書類上の契約よりビートルズの4人を強く繋ぎ止めていた存在だったのかもしれません。


ルーフトップに登るポールとマル - THE BEATLES : GET BACK -

ピーター・ジャクソン監督のドキュメンタリー " THE BEATLES : GET BACK" にもたびたび登場し、セリフは無いながらもその存在感が光っていたマル・エヴァンズですが、『マル・エヴァンズ もうひとつのビートルズ伝説』を読むことで一層親近感が増しました。

ピーター・ジャクソン監督のチームは "GET BACK" を制作するにあたり、音声をクリーンにするマシンラーニングの技術を開発していますが、そのAI技術を「MAL」と名付けていて、そこにはこのローディーのマル・エヴァンズへの敬意も含まれています。
このことをマルが知ったら、きっとはにかみながらもものすごく喜んだだろうなと妄想し、嬉しい気持ちになっています。

そんなマル目線のビートルズのエピソードについては、最終回/第❸段の記事でご紹介したいと思います。

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MiHo O'Hara / Mihowell
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