いつから
子どもの前で昼間っから夫と大げんかをした。
沢山の傷つける言葉を言ってしまったと思う。
受け入れられない悔しさと、怒りと、虚しさも抱えながら、でも
彼へのリスペクトと感謝は足りてなかったと思った。
久しぶりにミスチルを聴く。
365日。
北海道までライブを観に行ったのは、もう10年以上前のことなんだなぁ。
そこで一緒に聴いたなぁ、この曲。
帰りの電車でくだらないことで喧嘩したなぁ。
学生の頃から、ずっと一緒にいるんだなぁ。
あの頃の、単純な「好き」は、一体どこに行っちゃったんだろうなぁ。
妻とか、夫とか、母とか、父とか、家のローンとか、子どもの学費とか、育児の方向性とか、習い事とか、夜の営みとか、仕事とか、転職とか、マンションの理事とか、子どもの友達の家族付き合いとか、、、、
その時の最善を選んできたはずなのに。頑張って、2人で生きてきたと思うのに。
365日のラブレター、なんて気持ちをどうして持っていられないんだろう。
365日、一緒に生きているのに。
なんで365日、言葉にできないラブレターを渡せないんだろう。
《1人の方が気楽でいいやってそんな臆病な言い逃れは終わりにしなくちゃ》
最近は離れていたミスチルが、今は染み渡る。
1人の方が楽だって、諦めようとしている。逃げようとしている。
向き合うことに、もう疲れたって。
こんなに傷つけあってもラブレターを渡せていますか?
これでも、365日のラブレターになりますか?
きっと、どうしたって、一生嫌いになれない。
いつから
あのまだ芽が出る前のワクワクするような種の「好き」はなくなってしまいましたか?
芽が出て、ニョキニョキ茎が伸びて・・・
花は咲いたのかな?咲いたはずなのにね。
あの頃のように、水をあげなくなっちゃったね。なんでだろうね。
向き合い続けることに疲れたら、どうしたらいいですか。
戻りたいとも思わないし、遠い思い出だからこそ綺麗に見える。
今あるのは、単なる「好き」の種ではない何か。
これをまだ胸を張って「愛」とは言えない、けれど。