蔵王クトゥルフ登録テスト
§ザグマタ
1595年(文禄4年)、ヨグソトースの化石が出土しました。
場所は日本 現代の宮城県白石市。
伝承には、宮の沢屋敷の兄弟がそろってネギの花が咲く夢を三晩続けて見たので夢に出た場所を掘ってみたところ、後に菊面石と呼ばれる石が発掘されたと言う事でした。
ねぎぼうずや菊の花などと表現される放射状の輝きが球状に化石化したようなそれは、ヨグソトースの出現時にその場の岩石が変成したもので、生痕化石の一種です。
現代では球状閃緑岩と呼ばれる天然記念物となっていて、「菊面石」という名称はこの地域の住所としても使われています。
そのナンダモンダ不思議な菊面石地区の隣に今度は犬卒塔婆(いぬそとば 犬の墓の事)という奇妙な地名があります。
ザグマタともよばれるそれは、三つ叉の木札を地区の入り口、三叉路の辻に立て掛けるまじないで、およそ家畜の弔いや魔除け安産祈願とされていて、現代でも関東から北、この白石地区を北限として現代でもその風習は執り行われています。
しかし、ここ白石に犬卒塔婆として太古から伝わる呪術は関東のソレとは異なりイヌ殺し。
物体の角度を利用した、ティンダロスの猟犬を倒すための仙術の名残です。
§小角くん
現代から遡ること1300年前、謎の蕃神 「蔵王(ぞうおう)」を感得した伝説の呪術師 役小角(小角くん)は、更なる神の知識(蔵)を求め、東北地方にある「忘れずの山(不忘山)」という不思議な名前の火山に、神々の土地そのものへと繋がる「門」築き上げ、遂に彼の地、幻夢境の最高峰、ハセグ=クラと不忘山の習合を果たしました。
連日、修験者達が神々の召喚を試みていると、彼の地ハセグの民が自ら門を越えて現れます。
ハセグの民は、修験者達にこの習合の危険性を説き、即時中止を勧告をしている最中、今度はニャルラトテップが顕現し、その地にいた人々を狂気で滅ぼしてしまいました。山の神威を集めた門さえも狂い、噴火する山頂は混沌と化しました。
生き残ったハセグの人々は此の地に留まって、ハセグ=クラ(Hatheg=Kla)を名乗り、のちに支倉姓となります。
以来、習合した不忘山はたびたび噴火を繰り返す荒ぶる神の山、蔵王火山と呼ばれ怪異の中心となりました。この大事件は形を変えて人々に伝わり、蔵王火山は、崇敬を集めていく事となります。
ニャルラトテップの襲撃を躱し、神へと近づく小角くんは、自在に時空を超え偏在する伝説の存在となったとされており、菊面石や犬卒塔婆などに彼の痕跡を感じる事が出来ます。
それから千年後 支倉姓の由来はすでに忘れ去られていましたが、まれに彼の山を夢に見る者が現れます。
夢の中、そこでは鬼を従え錫杖をふるう仙人が、異形の神ニャルラトテップと対峙しており、そしてその向こう遙かに見える、高い山がそびえている。
山の名はハテグ=クラ(Hatheg-Kla)。
蔵王山、古くは不忘山の麓の支倉村で、養子となった支倉六右衛門 長経(ながつね)はその不吉な夢の続きを見る。 地震、津波、蔵王山の噴火、天災は城下を襲い続けている。そしてその手には銀色の鍵が握られている。
七歳の長経にはその夢の意味は解かりません。しかし夢の中で握られていた銀の鍵(草薙の鍵)がいつしか、本当にその手にあるのでした。
§仙臺
1603年に伊達政宗は仙台城、大崎八幡宮や陸奥国分寺等を立て続けに造立し、長年の大願であった城下町仙台を災厄から守る仙臺八葉蓮座結界を完成させます。
八葉蓮華とは、極楽浄土の仏神の集会(しゅうえ)を模式化した曼荼羅図です。
神社仏閣などの八つの建物を神仏が座する八枚の蓮の花の゛臺(ウテナ)゛に見立てて城下に八角形に配置し、ここに生きた人間を“仙人である゛として住まわせる事で、曼荼羅図形を使って神仏と都市を習合させるという驚愕の国土結界です。
仙臺橋 仙人橋下 河水千年 民安国泰 孰与堯天
これは仙台城と城下を結ぶ大橋に刻まれていた銘文です。
城下に住む者は皆すでに仙人であってここは神仙世界と同じである。その力で町は守られ続ける。という呪詛です。
”仙人(僊人)の住まうウテナ”という呪力を込めた仙臺(仙台)という名称で機能するこの強大な生きた聖域。それを以て さらに封じるモノこそ異界との門である習合の地、蔵王火山。
仙台とは、裏鬼門の成島八幡神社と共に蔵王火山の鬼門を封じる呪術都市なのです。
そのはずでした。
しかし、呪術をあざ笑うかのように慶長大地震が続き、災厄は収まりません。
「この結界では力が足りない」
役行者の修験を越える為、さらに強力な封印術を求め政宗の命を受けた支倉常長はサン・ファンバウティスタ号でヨーロッパへと旅立ちます。
異界へ導く銀の鍵。
ギサクという六鬼目の鬼の出現。
鬼と鍵が小角くんの謎に、常長をヨーロッパへと誘います。
この顛末を参考にしたと思われるアニメーション映画
ヨーロッパには謎の伝わり方をしているようです。 ゴーカンの解釈が興味深い。
役小角に仕えていたとされる前鬼、後鬼の子孫もしくは弟子。名前に必ず「義」の文字が使われている。
支倉常長は1620年帰国しました。
そして遂に、蔵王火山は噴火します。
1624年 伊達政宗の七男 伊達宗高は、ナゾの明人 王翼と共に、噴火する蔵王山火口にて7日間の術を行い、命をかけてこれを鎮めるのでした。
支倉常長、84歳
歴史上では、キリスト教禁教令の日本へ帰国した常長は二年後に病死 享年52歳とされています。
しかし、領収書の発見や、墓石の一つに承應三年とあること、政宗公の墓所からヨーロッパ伝来品が発掘された経緯から、この世界を見てきた人物は史実とは違い84歳の生涯でした。
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