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老害 vs 吹奏楽部
「私がスマホネイティブ世代だったら、
もっと楽器の演奏技術を上げられたのに。
今の若者たちは、
参考演奏の母数にも、録音して自分の音を聴き返す機会にも恵まれている」
そんな老害ムーブを友人の前でかました翌日、
私は母校の吹奏楽部公演へ、数年ぶりに足を運んだ。
卒業から10年あまり。
その間、音楽監督を迎え入れたとか、初めて県大会を突破して支部大会まで駒を進めたとか、評判をいくつか聞いていた。
今年も、とあるコンクールで全国大会に出場したり、
少人数で演奏する「アンサンブル」のコンテストで優秀な成績を納めたりなど、期待値の高まる触れ込みばかり。
またスマホネイティブ世代に嫉妬してしまうのではないか。
そんなことを自嘲気味に思いながら、
私はステージ全体が見渡せる、後方席に腰掛けた。
一音目で、歯車が合っていないことを察した。
吹き始めが揃わない。
音程が合わない。
指揮者を務める音楽監督と生徒が共鳴していない。
煙に巻かれたような気持ちでいたら、
クラシック曲を揃えた第一部ステージが終わった。
続くポップス曲のステージでは、動線に不安がみられた。
所在なさげにしている部員もいて、
なんというか「時間がなかった」感じがにじみ出ていた。
小道具を使った演出は凝っていたが、
一方でSEが不足していて、音楽の公演でありながら無音の時間が目立った。
そのまま、第二部のステージも幕を閉じた。
私は愕然とした。
何より、彼らの「意欲」はしっかりと伝わってきていたからだ。
良いものを作ろう。後悔のない演奏をしよう。最高のステージを届けよう。
OBのバイアスがかかっているのかもしれないが、
全員、ひたむきに努力を重ねてきた者、特有の面持ちをしていたと思う。
だからこそ、それを持ってしても超えられない「何か」があったのだと、
考えを巡らせずにはいられなかった。
最後を飾る第三部ステージは、
激しいダンスを取り入れながら演奏をする、パフォーマンス色の強いステージ。
これは、明らかに先のステージの域を逸したクオリティだった。
踊りながら吹くという、素人目にも難しく思われることをやっているのに、
トランペットはハイトーンをしっかりと当て、
木管楽器(クラリネットやサックスなど)は素早いパッセージを難なくこなし、
全員の音の打点もきっちり揃っていた。
開演前に配布されたパンフレットを見るに、
全国大会に出場したのは、この演目をこなしたステージだったらしい。
この時点で私は、「これに特化したんだ」と腹落ちした。
安堵と、変化に対する戸惑い。
双方を抱えながら、私は帰路についた。
部活動を取り巻く環境は、
コロナ禍を経たここ数年で、大きく変化した。
感染対策の過程で教員の勤務体制が抜本的に見直され、
少なくとも、私が現役生だった頃のような長い時間を、
部活動に割くことは難しくなってきている。
地域移行の取り組みも活発化。
部活動という概念さえも失われ始めている。
少なくなった活動時間の中で、どう、信念を貫けばいいのか。
スマホネイティブ世代は、私たちとはまた違った切り口で、
試行錯誤を重ねていたのだ。
母校の彼らが選んだのはおそらく、
演奏とパフォーマンスを掛け合わせた、
新しいスタイルのステージを精度高く仕上げることだったのだろう(違ったら名実ともに老害すぎる!!!)。
勇気ある決断を、私は応援し続けたい。
(サムネイルは学生時代のワンシーン、こういうことやってる時代もあったんですね)