大丈夫、やっていい。
未来に進もうとしているけど、過去がそれを足踏みさせることがありますよね。
私は今日、足踏みさせられそうになっていました。
ゆえあって、私は再び働きに出たいと思っています。
働かなくていいことになってもそれで良いのですが、今後の生活のシミュレーション次第ではもう一度働きに出たいと思っています。
そのことを夫と話し合いましたが、夫は黙って悲しそうな顔をしました。
その表情の理由を、私は今まで「私(妻)に家にいてほしいんだろう」と思っていましたが、どうもそうではないな、と気づきました。
それでよくよく聞いてみたら、今後、夫の収入が少なくなり私が働きに出たりしたら、私がイライラしてギスギスした生活になるんだろうと思って悲しいのだ、ということでした。
これはゆえのない話ではありません。共働きだった14年間、夫が感じていたことだったのですから。
共働きの間、二人の子供の世話と家事一切、それらと仕事を両立せねばならず、私はいつも忙しくしていてイライラしていました。
なぜ一人で背負っていたか。
私が夫をうまく操縦できなかった(夫育てができなかった)こともありますが、いつだったか夫に子供の学校行事に行ってもらいたいと頼んだとき、とても嫌な顔をされたのです。私の頼み方や夫の都合もあったとは思いますが、それがとてもしんどくて、どうせ私は非正規だし、嫌な顔をされるくらいなら私が全部やろうと思ったのでした。
当然ですが限界があります。私は自分を保つため「夫に優しくする自分」を削りました。
このことが、夫にとって「妻がイライラしてギスギスしていた」という記憶になっています。これをまた繰り返されるのはつらい、ということです。
私は「夫に頼むことが出来なかったからイライラしていた」のだということを、ちゃんと夫へ伝えませんでした。
今、昔のことを説明しても、夫には言い訳としか取ってもらえないとわかっているからです。
その代わり、もう一度働き始めて(イライラしたとしても)ギスギスしない家を保つということを実行すればいいのだと思っています。
子供も、昔ほどには手がかかりません。
夫に対しては、昔よりも頼み事は上手になっていると思っています。
昔と同じ私ではありませんから。
最初、夫に悲しい顔をされて、働きに出たいと思う気持ちはしぼみかけましたが、以前の私のせいで今の私が「やりたいこと」を諦めることはありませんね。
もっとうまくやれるはずです。昔と同じではないのですから。私も夫も。
とはいえ、今後の計画によっては私が働かなくてもいいかもしれません。
それはそれでいいのです。
ただ、今の私は、望むことに向かって挑戦していいのだということです。
昔の私がどうであっても、です。
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