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跳躍の痕跡、ミッシングリンク、造物主のジレンマ(ある映像作家の言葉)

クリエイターは、はじめ自分の好きなものを気分よくつくっているが、やがて自分の仕事がジャーナリズムを帯びていることを自覚する。

そのとき、それまで揶揄していた「大衆に迎合する評論家」「スポンサーの言いなりになるマスコミ」と、「自己の在りよう」にジレンマを感じざるを得ない。

すべての生命(いのち)は、観測によって振る舞いを変える。

表現は、世界から自分に与えられた、有るか無きかの隙間でやらざるをえないことを自覚するのだ。

その隙間に「無限の容積」と可能性を見つける感性、ある種の図々しさを持ち得なければ、彼の創作は痩せさらばえ、さりげない二次創作を焼き直すだけの活版印刷機に成り下がる。

クリエイターは造物主である。

理想の世界観を抱き、実現のため自己を晒すことに悦びを見つける求道者である。

人を悦ばせ慄かせ笑わせしめては眉をしかめさせ、自己を傷つけながら尖らせる法悦に耽溺し、解釈と表現を磨く変態である。

理解を求めながら、これを突き放す。

賞賛を望みながら、これを唾棄する。

暗がりを見つめながら、光を希う。

停滞の安楽、諦めの誘惑に反骨し、クリエイターは、跳躍の痕跡としてミッシングリンクを遺す。

天命の歓喜(よろこび)を表現し
さらなる天命を喚起(よびおこ)す。

作品を造るとは、どうやらそういうことである。


(映像作家)

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