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罪を憎んで人を憎まず? 他人と過去は変えられない? 愛とは許すこと? ほんまに!?
あとがきにかえて――元妻ビギンズ
奪還父さんブライアンを読んだ方が寄せてくださる感想には、私が思いもつかないような気づきが書かれていることがある。
こんな感想を読んで驚いた。
「これはリョウさんの、奥さんの伝記ですね」
私の思いや主張、実行したことが書いてあるので、私の断片的な自叙伝という想いはあったが・・・・・・。
なるほど、言われてみれば確かに元妻の一代記と言えるかもしれない。
そんな風に意識して読んでみると、ますますそう思えてくる。後半などは「元妻ビギンズ」と言えるような部分もある。
私は職業として四千人以上の人たちにインタビューをしてきたが、元妻ほど理解に苦しむ人はいなかった。
それはとりもなおさず、彼女だけが唯一、私が真剣に理解をしようとした相手だからだろう。
つまり私は自分自身のことも含め、誰のことも真剣に理解しようとはしてこなかったのだ。
ずっと分からなかった元妻のことが、この本を何度も書き直しているうちに、少しずつ分かってきた。
この本を書くまでは、自分が何をされて、なぜツラい思いを強いられているのかも、よく分かっていなかった。
よく分からないまま、それと戦っていたのだ。どうにか出来るわけがない。
はじめはこの本を怒りながら、書き上げた。次に自分の味わった苦しさを思い出しながら、正確な描写に直していった。最後にはいくらか客観的に物事を見つめながら、起こった出来事の淵源へと旅をした。
そうしたプロセスを経て、ようやく自分に起こった出来事を、ひとつずつ受けとめられたし、元妻の言葉ひとつひとつが、意味を持ってつながり、彼女の言いたかったことが分かってきた。
元妻への怒りが、なくなったわけではない。しかし怒りを、いくらか大きな敵へと振り向けることができた。
理不尽をどうにも出来ない我が身への情けなさ、やり場のない怨み、先の見えない真っ黒な未来・・・・・・そういった想いも、どうやらエネルギーに変えられそうだ。
強い想いは、それがネガティブなものであったとしても、外在化すれば力に変えられる。
子供を連れ去られると、考えと感情と記憶があふれ出して、中の底の奥までグッチャグチャになってしまう。
それを他者に話しても、当事者でない限り理解も共感も望めない。
だから自分の話を、自分が聞いてやる。自分が、自分に共感してやる。それを何度も繰り返して、外在化は可能になる。
きちんと物事を整理できたとき、当事者以外の人が聞いても(ちゃんとした)理解や共感をしてくれる語りが、自然と出るようになった。
なにより自分自身が「何のために、何をすればいいのか」「何が必要で、何が無駄なのか」を腹に落とせたのだった。
「奪還父さんブライアン」に寄せられた感想には、「自分も恐いくらい同じ思いをした」「自分のことが書かれていると思った」「私の代わりに書いてくれてありがとう」といった当事者の声が、たくさんある。
驚いたのは、実子誘拐に遭った人だけでなく、毒親の影響で苦しんでいる人からも反響が多いことだ。
「元妻さんの気持ち、分かります」「元妻の生い立ちを読んで、自分の幼少時のことがフラッシュバックした」「著者の方には悪いけど、毒親とあなたは同じことをしているんです」そんな声が寄せられた。
これは非常に興味深かったし、我が身を振り返り、考えさせてもらった。
こういう言葉がある。当事者でない人たちに言われたことだ。
① 罪を憎んで人を憎まず。
② 他人と過去は変えられないが、自分と未来は変えられる。
③ 愛とは、許すこと。
なるほど、良い響きだ。だから世の人々は、何の疑いも無くこれを口にする。
あまり意味を考えず、なんとなく正解だと思い込んで。
これらの「励まし」にはずいぶん考えさせてもらった。
しかし、これらは本当だろうか。
(つづく)