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〈キューバ紀行4〉起こったことは自分が引き受けるしか無い。

 合理性って、なんだろう。

 キューバ人は、合理性を大切にしている。柔軟に融通をきかせる彼らを見て「これまで自分は、かなり無理をして生きてきた」と理解できた。
 言いたいことが言えず、やりたいことが出来ない。幼いころから我慢してきた。いつしかそれが当たり前になっていた。
 そう思い込む前のことを、この国の合理性は思い出させてくれる。

 カレタ・ブエナ(ハバナから東南の海岸)まで行った帰りの観光ツアーバス。終点に着く前に「ここで降ろして」と言った客を、運転手は何も言わずに降ろした。
 バス停でも何でもない道の途中で、車通りが少なかったとはいえ、路肩に寄せることもせず、キュッと停まってサッと降ろす。客だけではない。バスガイド(国家公務員)も、自宅に近いところを通りがかったら、途中で降りて帰ってしまう。
 いったん営業所に帰って、締めの報告や掃除、片付けをしてから・・・・・・なんてことはしない。先に降りるバスガイドに、乗客は声をそろえて「チャオ」。ふつうに受け止めている。じつに融通がきいている。

 あくる日、こんな光景を見た。車がビュンビュン走る片側三車線の交差点のど真ん中。歩道から飛び出す青年。
 彼はバスに乗りたかったようだ。交差点のど真ん中、お目当てのバスが右折するためにスピードをゆるめた。その瞬間を狙って歩道からダッシュしたのだ。
 彼が近づくとスピードをゆるめながら走ったまま、バスの乗降口が開いた。すかさず青年は飛び乗り、何事もなかったかのようにバスは走り去る。

 たくさんの人が見ていたが、私を除いて誰ひとり驚きはしない。
キューバ人の友人に「何、あれ。あんなこと、当たり前?」と解説を求めると、「何が問題なのか分からない」と言う。
「急いでいる人を乗せてあげた方がいいじゃない。誰かケガした?」
「いや、しなかったけど、するかもしれないから」
「ケガをしたら本人の責任だね。リスクを選んだのは自分だから」

 じつに合理的である。人を降ろすときも、バスを停められる状況でなければ飛び降りさせるのかもしれない。それくらい、融通をきかせる人たちだ。
 キューバでは、医療が完全無料だ。入院も、通院も、輸血も、心臓移植さえ、無料でやってもらえる。「ケガしても、無料だから」というわけではないのだろうが、国に面倒みてもらえる安心感は、彼らの陽気に弛緩した雰囲気から伝わってくる。

 医療が無料でも、身体の部位を失えば戻ってこない。しかし彼らは「自己責任が当たり前」という顔で、バスに乗るため、交差点へ飛び込んでいく。
 サービス過剰に慣れすぎて、わずかな瑕疵にもクレームを付けなければ気が済まない人、「お客様は神様」と盲目的に思い込み、理不尽で無責任な物言いを真に受けて心を病む人たちの顔が思い浮かんだ。
 キューバ人なら「気に入らないなら買わない」だけだ。必要なら傷がついていても、使えれば買う。どうせ使えば傷はつく。
 運気だとかご縁だとか、こむずかしいことは言わない。

 国民の90パーセントをしめる国家公務員は、ほとんどクビにならないそうだ。
「何をしたらクビになるの」
「うーん、物を盗んだら。というか、それがバレたら」
「盗みは、さすがにいけないよね」
「盗むのは、みんな盗んでるんだけど、あまりたくさん盗んだらまずいよね」
 みんな、盗んでいる。バレない程度に節度を持って盗んでいる。見方を変えれば仕事に支障をきたさない程度に融通をきかせている。
 スパゲティ工場では、スパゲティを。ハンバーガー屋では、ハンバーガーやチーズを。バスの運転士は運賃を。みんな、盗んでいる。
 バレるほど盗むということは、節度を越えているのだ。ちゃんとわきまえて、かわいく盗む分にはかまわない。

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