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ライオンは、どこにいる

私は著述家であり、映像作家である。

自分で作品をつくることを生業としている者だ。


クライアントとの関係性や、私自身がこれまで積み上げてきたキャリアのお蔭で、経営者のコンサルティングもご依頼いただいている。クライアントの会議にも出席する。飲みに誘われたら喜んで行くし、自分が主催する交流会もある。

セミナーや講演の要請もある。そのためには原稿づくりや調べものも必要だ。

さらに営業も担当しており、小さな会社ではあるが、全社員の生活を支える売上を、ひとりで上げている。

社員の業務のマネジメントもして、いかに効果的に、快適に働いてもらえるかに心を砕く。悩んでいたら、相談にも乗る。技術的なレクチャーもあるし、本人がどうしても苦手な仕事なら私の方で引き取ることもある。

彼らのお手本となるよう、仕事や報告に気は抜けない。目標を明確に設定し、達成のためのプロセスをデザインする。

社外においても提携業者との打ち合わせを注意深く、正確に精密に誠実にこなす。

移動だって多い。属人的な仕事が多いため国内外への出張が多く、移動時間にも連絡や製作をしている。月の半分ほどしか自宅にはいられない。

さらに友人の悩みにも乗る。スピードワゴンばりにお節介を焼き、事業が危機に陥れば販路を一緒に開拓したり、営業を肩代わりして仕事をとったりもする。報酬はもらわない。

仕事の外でも学生から悩みを相談されれば誠実に回答するし、息子に会ってくれという親御さんがいれば「是非」とお応えする。

自分の家族や親戚との時間だって大切だ。家庭菜園の世話もあるし、管理物件の手入れや近隣との付き合い、揉め事があれば折衝もする。町内会行事だってある。

勉強もせねばならない。知りたいことが沢山ある。読まなければならない本も観たい映画も山積みである。

ビジネススクールや研修会もある。そこでも役目を拝すればお引き受けする。

なにより仕事で書くのではない、自分が書きたいがための作品づくりもある。


「忙しそうですね」

言われてポリポリ頭をかく。ドタバタしているように見えるだろう。実際している。

自分でも「忙しいな」と思うし、口から漏れ出ていることもしばしば。

楽しく、やりたい仕事をやっているはずなのに、気を抜いていると疲れや慌ただしさに耽溺して自分の置かれた立場や状況を暗く考えてしまい、とてつもなく暗いところへ入り込んでしまうことがある。

「俺、ひとりぼっちだ」

昏い部屋の扉が開く。


こんなことを思いはじめると、ろくなことがない。

こんなに頑張っているのに誰も分かってくれないだとか、こんなにツラいんだから今日くらいは癒されたいとか、思い切り休みたいとか、なんで俺だけこんなにとか、自分を守るためには逃げることも必要だとか、困惑しておりますとか、あいつは何でも人任せで責任を取らないとか、眠たいこと言うなとか、また同じことを繰り返しやがって、こっちゃ暇じゃねえんだよとか、せっかく俺がここまでしてやったのに台無しにしやがってとか、なんでこのタイミングでそんなこと言うかなとか、てめえで決めたことなんだから今さらグズグズ言うなよ、こっちはその予定で動いてるやろがいとか、アンタがくだらないことを悩んでる間に時間は進んでんだよとか、ほれ見てみい俺の言う通りになったやんけとか、おまえは助かったように思ってるけど問題は消えていなくて、別の誰かがそれを引き受けてるんだよとか、自分に都合のいいように解釈して言い訳してるけど、その理由で納得できんのおまえだけやからなとか、あの人は俺のことを思っているようなふりして自分の利益しか考えてなかったんやなあとか、この匹夫めが! とか、結局やりたいようにやってケツはこっちに回すんかいとか、みんなにバレてるけど敢えて誰も何も言わんだけで、おまえとんでもなく恥ずかしいことなってんでとか、上等な料理にハチミツをぶちまけるがごとき思想 とか、いつも許してきたけど今回も同じとは限らんよとか、うぬら下衆には分からぬわ! とか、もう全部ほり投げて旅立とうかとか、おっぱっぴーとか、どぎゃんぷーとか、今なら無かったことにできるとか、俺のことなんて誰も気にしてないからええやんとか、やってること全部ムダムダムダムダムダムダムダムダムダァとかとか、貧弱ゥとか、パウッとか、そんな想念で頭の中が溢れかえる。

世界でいちばん体調が良い男なのに、具合まで悪くなったような気がして、「どうせ俺にはムリだったんだ」と思い込みそうになる。


そんなとき思い浮かべるのはライオンだ。

崖の上でたてがみを風にそびやかせ、悠然と立つライオン。

その威容は対峙した者を例外なくすくみ上がらせ、睨(〓ね)めつける視線はすべての小虫卑獣を震え上がらせる。

そんなライオンが、前三後一(〓ぜんさんごいち)獅子搏兎。猛然と私に向かって走ってくる。

「え、俺? なんで」

と、思う暇もなく私は一目散に逃げ出す。追ってくるライオン。振り返る余裕はない。振り返らずとも唸り声、獣臭、風を巻く音がライオンとの距離を報せている。背中に圧倒的な存在感が迫る。


走る、走る、走る。息が上がる。それでも足を止めるわけにはいかない。止まれば、死。いや、それよりもっと恐ろしい人肉解体ショーを実演させられる。

走れ、地面を蹴れ、強く、もっと速く。疾く。己を鼓舞しながら、走る。それに集中する。

瞳は開き切り涙が止まらない。心臓は破裂せんばかりにのたうち、血液に載せて酸素を全身に酸素を巡らせる。肝臓は貯蔵した全グリコーゲンを惜しみなく吐き出す。蹠(〓あしうら)の脂で靴の中が滑る。肺からは鉄の匂いがし、息を吸ってるのか吐いてるのか、もはや定かではない。前後に大きく振る腕。指先は痺れている。アドレナリンとドーパミンとエンドルフィンがスパークしているだろうに、苦しさはやむことがない。

一歩でもいいから前に行きたい。一秒でもいいから永く生きたい。止まれない。止まらない。


このとき、私の中からあらゆる泣き言は姿を消す。

ただひたすら必死に生きる。嘆きも悔やみもない、恥じらいも躊躇いもない。そんなもの存在する隙間がない。

もっと、もっと前へ、少しでも遠く。そんな思いもやがて消え、真っ白になる。余計なものはなく、その瞬間だけを生きている。


自分を可哀想がっているうちは、暇人である。

癒しを求めているのは、余裕があるからだ。

暗い顔をしてれば、誰かが慰めてくれるか?

ツラい思いをしてると誠実だと思ってもらえるのか。

頑張ってる感があれば、自分を肯定できるって?

そんなゲロ以下の臭いがプンプンする甘え腐った自分に気づかせてくれるのは、牙を剝いたライオンである。


誰もがライオンに追われている。

明日も生きているとは限らない。

走られるうちしか、走られない。


走られるうち、追いつかれぬうち、日の暮れぬうち。


キープ・オン・ランニン。

ドン・クライ。

ステイ・クライシス。


ざんぱくゲットビジー。


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