DVを受けていたのは、私。元妻を洗脳した女権団体を、私は許さない。
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どんな人間でも話せばわかりあえる、誠意は通じる。当時の私はそう信じて、元妻に働きかけ、子供との交流実現に向けて四苦八苦した。
先に述べたとおり、元妻の対応はじつにそっけないものであり、私はそのたびに深い悲しみと虚しさに打ちひしがれた。だが同時に、それを自然に受け入れてもいた。彼女がそういう人だと知っていたからだ。思い起こせば、結婚している時から、ひとたび揉めればヒステリーを起こす。子供にそんな親の姿を見せたくないと思えば、何から何まで私が譲歩するしかなかった。
二言目には、「子供を連れて出て行く」「(妊娠している)子供を堕ろす」である。こんな脅迫を前に、私に何ができたであろうか。これでは子供を人質にした誘拐事件と、なんら変わらない。私はひたすら「犯人」の要望に屈するほかなかった。
ひとたび譲歩すれば、それが「普通」となり、さらなる譲歩を余儀なくされる。すこしでも抵抗すれば、その何十倍も攻め立てられる。
自他ともに認める自信家だった私も、すっかり自信を失い、生きる気力も失せていた。実のところ、自殺も考えた。
しだいに無力化する私を元妻はいよいよ蔑ろにし、子供の前でも私を平然と侮蔑するようになっていく。私は、すべて自分が悪いのだと思うようになっていた。いや、思うように心がけていたのだ。その方が、ラクだったからだ。
前述のとおり、元妻は名うての女権団体の中枢メンバーだ。出会った当初、彼女はこんなことを言っていた。
「DVは、一度でも殴ると元に戻れなくなるんだよ。殴るというのは、通常ハードルの高い行為なんだけど、一度それを越えちゃった人は、それが当たり前になっちゃうんだよね。一回やっちゃったら、次に感情を爆発させるときにはもっと凄いことをやらなきゃ収まらなくなる。そうやって暴力はエスカレートしていくんだよ」
また、こんなことも。
「DVっていうのは、他人から見てどうかじゃなく、された本人が決めることなんだよね。『嫌だな』と思ったら、それはDVなんだよ。直接的な暴力じゃなくても。お金を取り上げたり、使途を細かく聞かれる経済的DVやメールや電話の相手を詮索されたり、外出を制限される社会的DV、子供の前で悪口を言う面前DV、性行為を強要する性的DV……。いろんなDVがあるんだよ。私たちはそういう被害者の相談を聞いているの」
まさかその後自分があらゆるDVを受け、エスカレートする猛威にさらされ、ひたすら恭順を強いられ、感情を圧し殺すことになるとは、そのときは思いもよらなかった。
「なんで立ち向かわなかったのか」とか「なぜ、言いなりになっていたのか」と言う人もいた。私自身、自分がこんな経験をする前であれば「ガツンと言ってやれ」などと言ったかもしれない。
ただただ子供に恐い思いをさせたくない一心で耐えていた。毎日こんな侮辱と陵辱にさらされていると、まともな判断力は失われる。私は「自分が悪いから」ということで、この事態を理解するしかなかった。
この心理が、虐待されている子供たちの親への心情ときわめて酷似していることを知ったのは、その後のことだ。私がくらった「虐待」を、わが子もくらうかもしれない。虐待の矛先が私から子供に向くのではないか。
連れ去り妻が連れ込んだ男(継父)によって、子供を虐待死させる事件が相次いでいる。わが子も同じ目に遭うのではないか。焦燥感は募るばかりだ。
「連れ去り」とは、問答無用の暴力行為だ。暴力は、さらなる悲劇をもたらす。「連れ去り」を強行する元妻たち、そしてそれを支援する弁護士たちは、子供の幸せや人権をどう考えているのか。
元妻に「対夫戦略」を授けたのは、女権団体だ。元妻は頻繁に勉強会に参加し、夫を制圧するための知識を蓄えていった。法的に夫を追い詰める――これが元妻の基本的姿勢だった。世事にうとい私は、この現実に気づくまでに何年も要した。
子供の人権を蹂躙する弁護士と夫婦和合を排撃する女権団体。こんにち両者は、子供にとって最大の脅威であると私は断言する。
元妻もこうした人たちに関わり合いを持たなかったら、結婚生活を二度も破綻させることはなかったのではないか。そういう意味では、元妻はカルトに魅入られた被害者ともいえる。彼女には一刻も早く、女権団体やラチベンの呪縛から逃れてもらいたい。