ゼロから始める曲考察②※供養塔
はじめに
2022年も終わりに近づいてきた12月、皆さんいかがお過ごしでしょうか。ハッピーニューイヤー!!!!!!!!!クソ喰らえ2023年!!!!!!!!!!!!!!!どうもおはこんばんにちは、残機0と申します。(※書き始めたのは12月10日です。年越しちゃったよ)
先日、というか去年になってしまいましたが、未完成となり前半パートのみの形になってしまった「SINGULARITY LIVE Vol.2」 ライブレポートが思いのほか、というか想像以上に反響を頂いてしまい戦々恐々しておるところにございます。私が書いたnote史上、Twitterでもnoteの方でも多くの反応を頂きまして、そしてさらには直接感想等を頂くケースもしばしばあり、未だにこのnoteが皆に刺さったのかなぁ。。。と現実感の無い感情になっています。
改めまして、先のnoteを読んでくださり、また反応等をくださいまして誠にありがとうございました。(時が経ってしまったのでこちらが最新ですが、あられライブ販促レポの方もありがとうございます。)
今回書く内容はライブレポートの後半部分を書くわけではなく、されどそれに通じるようなことについて書いていこうと思います。
さて、今回は曲考察シリーズの第2弾。前回はたまたま、というか進捗の悪さ的にずるずるとその時期まで落ちていった感じなのですが、幸祜ちゃん2周年に寄せた形で「錘」という曲について考えていきました。次に考えていく曲はタイトルにあった通り、「SINGULARITY LIVE Vol.2」 の最後に披露したV.W.Pの派生曲、そして春猿火×幸祜の「逆絶」です。
「逆絶」は幸祜ちゃんパート、春ちゃんパートを経た春猿火×幸祜パートにて、「古傷」・「秘密」・「定命」を経てライブの最後に披露された新しいV.W.Pの派生曲でした。定命の披露後、同位体たちを退場させてから急にこの曲を披露し、そしてMCを経ないまま曲が終わりライブのEDへ突入するという、私たちをある意味突き放していくような演出が特徴的でした。この曲には一体どんな意味があるのか。上手くその解釈を紡ぐことが出来るかは分かりませんが、私はこの「逆絶」という曲を「幸組」という視点から捉え、複数の曲と絡めていきながら考えていこうと思います。
追記:3月1日時点で、本noteを書き切ることを諦めてしまいました。ワハハハハハハハ……(泣)タイトルにある逆絶に辿り着くこともなく、今書いている曲ですら途中で投げ出すことをお許しください。。。。俺を殺せ!!!!!!!!!!!!!
また、サブタイトルには「PLAYER」に寄せてとありますが、時期的に1周年と重なるタイミングでありまして、「逆絶」の考察ではあるのですが、その項に至るまで幸祜ちゃんについて色々と考えているので、サブタイトルに付けても差し支えないかな、と思い勝手ながらつけさせてもらっています。→完璧に時期が過ぎたのでタイトルから外しました。わはは。
※今回、大部分をPCの方で執筆しているため、スマホの方で見た場合行の繰上げ下げが変な感じになっていて、読みずらいかもしれません。申し訳ないの心。
※「作者の人はそこまで考えてないと思うよ」なのかもしれないけど、考えられるだけ考えてみています。見いだしてやろうじゃないの。
1.「春猿火×幸祜」の派生曲「古傷」・「逆絶」の立ち位置について
まず、「逆絶」について考える際に大事なのが、その曲を誰が手掛けてくださったのかという点です。作曲者さんはライブのED、そして本人の告知ツイートから判明していますが、Feryquitousさんが作詞・作曲・編曲を担当しています。
Feryquitousさんといえば幸祜ちゃんのオリ曲を数曲担当しているお方で、言わば幸祜ちゃん側に立っている方だと言えます。
そういう意味では世界観が幸祜ちゃん側に寄っており、派生曲の形としては「幸祜feat.春猿火」なのだと考えています。
(※最近「フューチャリング」の概要について知ったのですが、大体の場合feat.○○に当てはまる人物は原曲の歌い手より大物である場合が多いらしいです。その場合、武道館ライブのメドレーにある「深淵・魔的・残火・歯車」はfeat.花譜という形になります。
しかしながら、「深淵」を参考に考えてみると、初披露は不可解Q1:REにおいてゲストヰ世界情緒という形で行われ、曲のMVはヰ世界情緒×花譜として情緒ちゃん側からアップされている訳です。
また、「まほう」は不可解弐Q1ので明確にfeat.理芽と記されているため、ゲストに来たからといって、必ずしもfeat.側に立つわけではないことが分かります。私はこのfeat.表記は魔女同士の関係性などから「with」の方が適切ではなかろうかと思うのですが、この適用例は花譜ちゃんが春ちゃん、情緒ちゃんと互いに歌った「命に嫌われている。」「雛鳥」くらいです。
まぁ、こねくり回してもあれなんですが、今のところその曲がデュエットのどちら側に寄っているのかは、作曲者とMV公開時どちらからアップされているのか、何ですかね。よく分かんねぇでゲス。)
派生曲ならもうV.W.Pのチャンネルに公開してもいいんじゃないかなぁ。。。
しかし、そうなると「古傷」の方はどうなのかという話になります。当曲は作詞・作曲を大沼パセリさん、編曲を安宅秀紀さんが担当しており、MVも幸祜ちゃん側で公開されています。
そうなると「逆絶」と同様幸祜ちゃん側に立っているようですが、パセリさんは春ちゃんのオリ曲を1回たかやんさんと一緒に作曲を担当しており、安宅さんは春ちゃんのオリ曲の編曲をよく担当されています。
幸祜ちゃんの「TIME」ではこの2人が同様に担当していますが、「古傷」披露後の話なので、「古傷」はどちらかと言うと春ちゃん側に立っている曲であると言えます。
とはいえ、「この世界に口づけを」でも安宅さんは編曲で担当されているので、やはりパセリさんと安宅さんは春ちゃんと幸祜ちゃんの両者にかかる存在だと言えるでしょう。
(まぁ、春ちゃん側の担当者さんがたかやんさんメインである為、幸祜ちゃん側のコンポーザーに重ねて頼んでいるようにも思えますね。というか、簡単な話これでは?)
というか、そもそもfeatの概念がどちらに付与されるのか、その基準はあいまいでよくわかりません。また、春ちゃんと幸祜ちゃんはその在り方や過去に近しいものがあり、この2人は特にどちらがfeatなのかというこだわりはないのかもしれません。そういう意味で、どちらの派生曲も「春猿火×幸祜」として在るのだと私は思っています。(セトリ上だとfeat表記は無)
「SINGULARITY LIVE Vol.2」では、vol.1で理芽×ヰ世界情緒のV.W.P派生曲「不的」が披露されたように、同様の形で新しい派生曲が披露されるだろうと大方予想されていました。そうして披露された新しい2人の派生曲「逆絶」は、ライブのセトリ通りに考えれば2人の「古傷」(「秘密」「定命」も間に入る余地があるが、筆者の力量不足であまり触れない)を経た一つの到達点なのだと考えます。披露後の2人の堂々とした佇まいからも、それを感じ取れた気がします。
2.幸祜ちゃんの楽曲を作曲者さんの違いから分類する
前述した通り、春ちゃんと幸祜ちゃんの派生曲はどちらかの立場に重きを置く(featの形をとる)のではなく、2人で歌ってこそ完成するものだと捉えました。この側面は他メンバーとの組み合わせの中で特に強く出ていると感じます。
しかしながら「逆絶」はFeryquitousさんの担当曲であり、且つFeryquitousさんが作曲担当しているのは幸祜ちゃんだけなので、依然として幸祜ちゃん側から考える余地が残されています。
そこでこの章では、まずは幸祜ちゃんの楽曲全体に目を向け、手掛けてくださった作曲者さんなどの要素から分類していきます。(現時点のソロ新曲はミラージュコード、派生曲は逆絶)※No.表記はYouTubeチャンネルのMVから
初期曲:Lenさん担当
・No.2 「harmony」(編曲:大沼パセリさん)
・No.5 「この世界に口づけを」(編曲:安宅秀紀さん)
(初期曲ではあるが依然として重要な2曲であると思う。後述したい、します。。)
大沼パセリさん担当(タイアップ系は抜き)
・No.4「白昼夢」
・No.13 「LIT」、「花と蜜」→デビュー前作曲(PLAYER内での言及)
・No.20 「錘」(MVはライブバージョン)
・「此処へ」(パセリさんが幸祜ちゃんにインタビューして、それを反映して作られた曲、「等身大の私」とは何なのか)
・「古傷」→PLAYERで初披露したV.W.P派生曲
※「此処へ」についてはあまり触れません。
タイアップ要素(神椿STUDIOでの面が強め)
・No.6 「ASH」、「強欲」、「Dear」→ゲームMonark/モナーク曲
・No.21 「TIME」→アニメ五億年ボタン
・「Mayday」、「÷」→神椿市建設中、÷は派流役の春ちゃんと歌う
・「刻印」→アーテリーギア、情緒ちゃんとのV.W.P派生曲(多分feat.幸祜)
「強欲」はKanariaさん、「÷」・「刻印」は柊マグネタイトさん
それ以外は大沼パセリさん(神椿STUDIO所属)
playerMV企画の曲
・No.10 「瞑目」→香椎モイミさん(→後にレイヴン担当へ)
・No.11 「夜光を呼ぶ」→Feryquitousさん(→後に数曲担当へ)
・No.12 「the last bullet」→DIVELAさん(2nd Albumのジャケット絵をSWAV先生が担当したりと、何かと縁がありそう。ラスバレ公開後、幸祜ちゃんは代表曲の「ぼかろころしあむ」をcoverしている。)
※モイミさんは2021年10月18日に神椿STUDIOへ所属することを発表しており、「瞑目」はその1か月前の9月18日に公開されています。
Feryquitousさん担当
・No.11 「夜光を呼ぶ」
・No.19 「閃光の彼方」
・「bliss」→(PLAYERのED曲であり、幸祜ちゃんはFeryquitousさんと英歌詞のタイミングやフェイクなどを一緒に考えている)
・「逆絶」→ギュラ2で披露した春ちゃんとのV.W.P派生曲
「光」という要素:夜「光」、閃「光」、月「光」、「spark」→後ほど言及
※ちなみに、2022年8月に公開された可不ちゃん曲は「閃耀」だったりと、何かと「光」要素がチラつく。まだ幸祜ちゃんはFeryquitousさんの曲をcoverしたことは無かった気がするので、個人的に楽しみにしています。
・「?」:コードオブ幸祜で披露されたらしい新曲、見ていないので何も言
えない
神椿STUDIO所属のPさん担当
・No.10 「瞑目」、No.23 「レイヴン・フリージア」(レイヴンのNoはライブMV ver.)
→香椎モイミさん(cover、あられライブ2でモイミさんの「天誅」を披露)
・「歯車」(武道館ライブでの花譜ちゃんとの派生曲、feat.花譜か?)
・No.25「ミラージュコード」(表記は24ですが、慶賀新年も24なので表記違いでしょう)
→廉さん(あられライブ2で「始発駅、君を待つ。」を披露)
※ミラージュコードのMV制作に関してものすごく匂わされており、MV公開は確定事項だと思われます。慶賀新年の動画を挟み、恐らくMVのNo.は「25」でしょう。→2023年1月24日、新衣装と共にMVが公開されてしまいましたね!!!!!!!!!!!!!!!!!うおおおおおおおおおおおおお
番外編:nikiさん→狐子ちゃんの調声担当
・「Hearts」→幸祜ちゃんの初cover曲とあられライブでの披露
・「brilliant」→あられライブ2ED前の最後の披露曲
・「ERROR」→幸祜ちゃんの歌みたリクエストアンケート第1位の曲で、
2023年2月28日に公開された、新衣装サムネイル初歌みた
・「Soap」→nikiさんの狐子ちゃん楽曲
・「the last bullet」、「ディメンション」の狐子ちゃん調声担当
(ギュラ2の狐子ちゃん調声担当は誰だったのか失念しました)
(先日公開の「白昼夢 狐子ver.」、そして「TIME 狐子ver.」では大沼パセリさんがMix担当してました)
※加筆 参考:幸祜1st Album「prayer」の収録曲順
01.白昼夢
02. LIT
03.花と蜜
04.瞑目
05.錘
06.the last bullet(個人的にここまでが「player」として立ち上がる過程なのかな、とも考えました。それ以降、「prayer」の文脈も載ってくるのではないかと。)
07. harmony
08.レイヴン・フリージア
09.夜光を呼ぶ
10.この世界に口づけを
11.此処へ
12.閃光の彼方
13. bliss
(※02. LIT 03.花と蜜・05.錘 06. the last bullet はライブ「PLAYER」のセトリ組み合わせと同一で、最後をblissで締めるのも同じです。)
以上、幸祜ちゃんの楽曲を分類してきましたが、ここで注目してほしいのは、V.W.P派生曲の担当になっている「大沼パセリさん」と「Feryquitousさん」です。
まず、大沼パセリさんでは神椿STUDIO所属として(幸祜ちゃんに限らず)多くの曲を担当しながら、幸祜ちゃんの楽曲を現時点で1番多く担当されています。タイアップ系曲のものを除けば、「白昼夢」・「LIT」・「花と蜜」という、幸祜ちゃんの可愛らしさや艶やかな具合が表現されている曲が目立ち、「此処へ」・「古傷」に現れるような、幸祜ちゃんの『パーソナルな部分』に触れている曲も特徴的な点です。
それに対し、Feryquitousさんが「夜光を呼ぶ」・「閃光の彼方」・「bliss」・「逆絶」という、幸祜ちゃんの世界観やカッコよさを体現している曲を担当されていることが分かります。
また、「夜光」を呼ぶ・「閃光」の彼方・「bliss」にある『"The crescent moon" turned off the "light"』、『lunar eclipse』から着想を得て「月光」、そして「逆絶」では英歌詞にある『if there is a "spark" in this soul, I will not give in ah』の『spark』の意から「”閃光”を発する」(翻訳の解釈的に意味が変わる余地はあれど、魂の「輝き」、火花という点でも)という、Feryquitousさんが担当する曲の中には「光」という繋がりがあると感じました。
他の幸祜ちゃんオリ曲担当者の方々も、大沼パセリさんとFeryquitousさんが作る曲に現れるような雰囲気の醸成に一役買っていますが、やはり曲の担当数的にこのお二方は幸祜ちゃんを考える上で特に大事になっていくと思うのです。言うなれば、このお二方を中心にその外縁で幸祜ちゃんの世界観や良さが拡がっていく感じで、「幸祜ちゃんの二面性」を曲の世界観から生み出した両輪的な存在だと考えます。
ちなみに、先程大沼パセリさんの例に挙げなかった「錘」という曲は、「幸祜ちゃんの二面性」を取り持つ存在だと考えられそうです。
「錘」は私がnote曲考察①の方で対象にしたもので、かなり読みづらいですが何とか強引に形にしました。気になった方は「5.錘 総論」の項目から読んでいただけると(たぶん)比較的分かりやすいと思います。その章に至るまでには、様々な方向性から歌詞を各節に分けて考える言わば「思考ノート」みたいな感じになっているので、あんまり真面目に読まない方がいいですし、何より恥ずかしいです。
この曲を通して私が考えたことは、歌詞中にある「誰も気づかない日常」に「ログイン/ログアウト」する要素が「”私”」と「幸祜」を行き来している行為だと解釈しました。そうした、両者の立場のどちらに重きを為すのか。はたまた双方の立場に『錘』を乗せ、如何に心を釣り合わせていくのか、一人の人間を「秤⚖」として考えることもできるのではないかと思いました。
そうした解釈の延長線として、「錘」という曲は「幸祜ちゃんの二面性」を取り持つ、釣り合わせているような存在ではないか、と考えます。
3.幸祜ちゃんの「二面性」
先の章では、大沼パセリさんの楽曲では幸祜ちゃんの可愛らしさや艶やかさ、そして場合によってはパーソナルな要素。Feryquitousさんの楽曲では幸祜ちゃんの世界観やカッコよさを形成しているという点を指摘しました。この要素はまさしく、幸祜ちゃんの「二面性」だと言えそうです。もちろん、この二要素が併存してこその幸祜ちゃんでもあり、これらが合わさって曲が完成していることは確かです。
この要素は例えば、幸祜ちゃんのサブチャンネルである「幸福拡張部電脳科」の配信が挙げられます。実際に見たことがある方ならお気づきだと思うのですが、サブチャン配信のうち無料で見れる前半部分が終わった時、俗に「Cパート」と呼ばれている箇所で方言や素の要素マシマシな幸祜ちゃんの要素に触れることが出来ます。この演出の意図が何であるのか、未だにそれを知ることはできませんが、いずれにせよ幸祜ちゃんの「二面性」を表している事例だと言えます。
(配信中は『幸祜』として在り、それが終わりCパートに入った際、『等身大の私』に切り替わる演出なのでしょうか。Virtualの在り方について私は造詣が深くなく恥ずかしい限りではありますが、興味深い例なのではないでしょうか。いずれにせよ、どちらも「幸祜」として在ると捉えられるのか。)
(その他、歌みたの選曲傾向とかですかね。幸祜ちゃんの趣味としてはしっとり系の曲を聴くことが多いらしく、[※Up-stationさんインタビュー記事より。]一方でハード系・カッコイイ系の選曲の傾向があったりと、個人的には割と属性が二手に別れていると思うんですよね。「古傷」と「逆絶」の曲調の違いを思い浮かべてくださると、より顕著だと思います。)
また、その「二面性」を表している点として、幸祜ちゃんの1st ALBUM「prayer」が挙げられます。
このALBUMは2種類あるのですが、「prayer」type-Wの説明文では『(前略)「シンガー」としての幸祜の姿が詰まっています!』としており、ジャケット絵はSWAVさん担当、梱包されているものは「花と蜜」の朗読Mカード、通常衣装Bellatrix中心グッズと「シンガー」としての幸祜ちゃんのart book等です。
一方、「prayer」type-Bでは『幸祜のオフショット的な姿が詰まっています!』としていて、ジャケット絵は米山舞さん担当、梱包されているものは「閃光の彼方」の朗読Mカード、米山さん幸祜ちゃんとオフショット概念(歌みたやTwitterでアップされている私服系のイラスト)のグッズ・art book等です。
このように、幸祜ちゃんの1st ALBUMでも二面性的な要素が意識されていることが分かります。特に注目したいのは、「朗読Mカード」です。
(Albumの情報には明確な曲名が書かれていないけど、リリースから割と経つし、販促の意味も込めて明示してしまいます。朗読めちゃくちゃいいので皆さん「prayer」も買いましょうね。以下、商品説明の確認と販促を含めてFMSのリンクを貼っておきます。)
https://findmestore.thinkr.jp/products/%e5%b9%b8%e7%a5%9c-1st-album-prayer-type-b
このMカードの朗読曲「花と蜜」・「閃光の彼方」は、前者が大沼パセリさん、後者はFeryquitousさんが作曲担当されていることは先の章で確認しました。
しかし、当ALBUMではtype-Wが「シンガー」としての幸祜ちゃんを捉えていながら、幸祜ちゃんの艶やかさ、(歌詞の解釈はまだ不十分で、論を成立させるために無理くりな形かもしれませんが、何となく恋愛に関する曲だと思っているので)パーソナルな部分も兼ね備えている可能性のある「花と蜜」の朗読を封入しており、「シンガー」としての幸祜ちゃん・艶やかな、もしくは「パーソナル」な幸祜ちゃんが併存している形になっています。
また、type-Bでは「オフショット的な姿」の幸祜ちゃんを捉えていながら、幸祜ちゃんの世界観やカッコよさを形成している「閃光の彼方」の朗読を封入していて、「オフショット的な姿=パーソナルな」幸祜ちゃんと、自身の世界観を形成する「シンガー」としての幸祜ちゃんが併存している形となっており、梱包されているものは違えどtype-Wと同じ構図になっています。
つまり、あえて幸祜ちゃんの二面性を併存させる要素を1つに梱包することで、当Albumは「幸祜」という要素を全てカバーしているとも言え、素晴らしい仕上がりになっていると思います。
(また余談ですが、PLAYERのライブパンフ<買わせろ>と幸祜ちゃんのAlbumとBlu-rayにあしらわれたデザインで、パンフは背表紙に、Albumの方だと箱裏と箱を開けたその側面に、Blu-rayだと箱の側面にある朝焼けとも、夕焼けとも形容できるような色彩がとても好きです。商品画面を見ても実際の商品が立体的に表示されていないのでほぼ分からない部分なんですが、prayer type-Wに梱包されている缶バッジの色がそれにあたります。
この色味は、例えばライブPLAYERの開幕詠唱の一節、「あの日の夕焼け」であったり、「此処へ」披露時の玲架さんの素敵な映像演出と重なるようなものでもあり、幸祜ちゃんのコンセプトとしての原風景は「深夜から”夜明け”by SWAV先生」であることからも、何やら意味を感じざるを得ないです。デザインに関しては両Albumにあしらわれているのですが、缶バッジは先のtype-W(シンガーとしての~)の方にだけ入っています。
考えてみれば、パンフ・Album・BluRayの表立ったデザインとしてあしらわれているのではなく、背表紙・側面や裏側にあることから、幸祜ちゃんの『パーソナルな部分』を表しているとも言えそうですね。以下、参考程度にパンフのデザイン(デザインを担当された方の告知ツイ)とAlbumの缶バッジ写真を貼っておきます。
画像三枚目の右側にある部分。
4.「古傷」が持つ二面性
この幸祜ちゃんが持つ「二面性」というのは、その中身は違えども春ちゃんと幸祜ちゃんの派生曲「古傷」にも当てはまることだと考えます。
本章では、その「二面性」という要素を「古傷」にスライドして考えていきます。それらの要素は特にサビ中の歌詞に現れています。
※「」だと曲のタイトルの方、『』はその語句の意味の通りで捉えてください、ややこしいネ。あと古傷という言葉がゲシュタルト崩壊します。
「あたし」が持っている『古傷』は「息/日々」を浅くし、「窮屈で憂鬱で苦し」くさせるものであった。けれど、そんな自分のことを「堪らなく愛おしい」気持ちにさせる存在でもありました。
そんな『古傷』を、ただ愛していくだけではいられないその二面性に苦しむ様子は、曲の二番目に入る春ちゃんの軽めのラップパートに現れており、心の変化が空模様の描写からもうかがうことができます。
ですが、2番目のサビ後にはそんな「二面性」を受け入れて、『古傷』を抱えてこれからも生きていくことを選んでいるような様子が感じられます。
また、「古傷」という曲を巡っては興味深い見識を得ることが出来ました。それは「SINGULARITY LIVE Vol.2」の再配信が行われた際、幸祜ちゃんが「古傷」の時にチャットで書き込んでいた内容です。(一応有料のライブチケットがあっての再配信コンテンツなので、実際のスクショは設けずに原文ママで明示します。)
このように、「古傷」というのは「テラ/瞑目」を経ていることが幸祜ちゃんの言葉から分かり、その『古傷』とはまさしくその2曲のことを表しているのでは、とほぼ確信しました。歌詞の節々ではその2曲に結びつきそうな表現があります。(いつもの見出しです。)
そういうわけで、2人の『古傷』だった「テラ/瞑目」を経たことで両者は「古傷」を歌うに至っているわけです。そんな古傷(曲とその語句の本来の意味の両方)を経たことで今の「あたし」たち(=春幸)があるわけで、私たちに「テラ/瞑目→古傷」を披露してくれることにも感慨深くなるし、2人にとってもこの楽曲群を披露することは深い意味を持っていると思うのです。実際、2人で一緒に歌う際に「古傷」から入ると「やるぞっ」てスイッチが入るみたいです、まさに経由地点。
そして、私はこの「古傷」を抱えて生きていく選択をしたその先に「逆絶」が位置づけられていると踏んでいます。
また、余談ですが、「古傷」の歌詞の中で私が一番好きな箇所は以下の部分です。
「あたし」たち、つまり春ちゃんと幸祜ちゃんは「もしも話」を夜道で語らいます。「あの世界線の私」が続いていたら。「周りがどんどん音楽から離れて行」かず、今もバンド活動が続いていたとしたら。「名演技」というのは、もしも話の中の「あたし」を想像して再現しているのでしょうか。はたまた、その後の「星空に縋って零れる 流れ星」が示唆する「涙」を見せまいと、「名演技」をしているのかもしれないです。
この「流れ星」という歌詞も複合的な意味を兼ね備えていそうで、涙を表す以外でも「もしも話」上の「あたし」、つまり平行世界の「あたし」が流れ星で今を生きる「あたし」たちに応えているようにも見えます。
なんにせよ、数奇な運命を経て、今春ちゃんと幸祜ちゃんは「交差する線」上に立っています。それは他のV.W.Pメンバーにも言えることですが、特にこの2人はバックボーンが近いこともあって、そういった面がより顕著なように感じます。「逆絶」で文字通り激しく交差する歌声を披露した彼女たちに繋がっていく話でもあると思います。
5.Feryquitousさん担当曲を検討する
これまでの章では、幸祜ちゃんの楽曲の分類をすることで彼女の持つ「二面性」を浮かび上がらせ、そのことについての補強と「二面性」という要素から関連して、「逆絶」と対になる「春猿火×幸祜」のV.W.P派生曲「古傷」について考えていきました。
「古傷」は言わば幸祜ちゃんの「二面性」のうち、「パーソナルな部分」を捉えた曲なので、「逆絶」というピークを上る際の裏山道的な要素を担っていると思います。それに対しこの章では、実際に「逆絶」という曲を作り、幸祜ちゃんの世界観やカッコよさを形成しているFeryquitousさんの幸祜ちゃんオリ曲群について考えていこうと思います。
ちなみに、「bliss」は幸祜ちゃん楽曲史上類を見ない、全部が英語の歌詞で構成されているところが特徴的です。筆者は英語よわよわマンであるため、精々翻訳アプリで「この歌詞深いなぁ~」くらいの理解レベルです。もちろんそこから考えられる点もあるので触れはするのですが、翻訳による解釈の幅もあると思うし、ただの翻訳機だけでは汲み取れない表現もあると思うので、他曲に対してあまり踏み込めないという点をご了承いただきたいです。(「bliss」の翻訳をしてくれる方、常時募集中です^^)
さて、各々の曲の考察に入る前に、まずは私が考えている大胆な論を提示したいと思います。この章を展開する上で重要なものなので、少し前置きが長くなります。
Pさんが幸祜ちゃんのライブPLAYERの後に掲載したnoteでは、『幸祜』という存在を生み出す際、現在キャラクターデザインを担当してくださっているSWAVさんも含めて3人の方が携わっていたことが明かされています。しかもそれは3人共同で行われた訳ではなく、1人1人が『幸祜』という存在についてデザインをしていました。それは、「1人目」→「2人目(焦茶さん)」→「3人目:SWAVさん」という推移があり、→で結んでいるものの、その間にはキャラクターデザイン案の断絶があります。
しかしながら、断絶とは言ってもかつての担当者さんの設定の名残をMV等に反映したりと半継続的な面も見られ、プロジェクトを進める上でそうした経緯を理解してくださったSWAVさんのお力もあって、私たちには測りかねない領域で受け継がれているものもあるかもしれません。
つまり、幸祜ちゃんが現在の『幸祜』に成るまでには、以上のような水面下での動きがあったわけで、場合によっては今のような彼女の姿、そしてこの『幸祜』という名称にすらならなかった可能性も孕んでいたのです。
(ここら辺うまい言い回しができなかったので、実際に直接該当のnoteを読むことを推奨します。下に添付しておきます。)
PLAYERで初披露した「閃光の彼方」のライブ演出を思い出していただければ分かりやすいのですが、今此処に存在する『幸祜』の他に、姿形の違う『幸祜(仮称)』が2人、言い換えるなら幸祜ちゃんの魂の器が2つ在った、というわけなのです。
また、type-real [Alnair]に衣装が変化した後に披露した「夜光を呼ぶ」では、「閃光の彼方」時の分身演出の前身であるかのように、私たちから見て左:Bellatrix幸祜ちゃん(夜光MVの像) 真ん中:Alnair幸祜ちゃん(会場にいる幸祜ちゃん)右:私服、輪廻此処ちゃんが着てる服(夜光MVの像)
として、姿は違えど同一存在な3人の幸祜ちゃんがそこにいました。
※輪廻此処が『幸祜』であるのかというと、そこら辺の解釈はよく分からんとですが、ここでの「同一存在」というのは、あくまでSWAVさんによって生み出された『幸祜』の形をとる存在として、という意味です。一応「夜光を呼ぶ」MVの感じだと輪廻此処↔『幸祜』を行き来して変身しているようにも見えたけど、これは現実でも言えることだよな~となっています。
「逆絶」を除けばPLAYERで披露したFeryquitousさんの楽曲は3つ。そして今存在する『幸祜』と他の原案も含めれば『幸祜』は3人いたことになります。各々の『幸祜』が各曲に対応する形をとることはありませんが、たまたまだとはいえ曲の数とデザイン案の数が重なっている点は興味深いです。
また、「SINGULARITY LIVE Vol.2」では狐子ちゃんと「夜光を呼ぶ」を披露したわけなのですが、当然『幸祜』のデザインが今の形と違えば、それを反映して『狐子』の姿かたちも変化していくことになります。
そして、以上のような流れを汲み取った上で論を展開する決め手となったのは、「閃光の彼方」の歌詞の解釈の仕方と、何故PLAYERの「閃光の彼方」の時、幸祜ちゃんが分身する演出を採ったのかということ。
このことについて考えた際、「夜光を呼ぶ」・「閃光の彼方」・「bliss」とは、今存在する『幸祜』とこの世についぞ生まれ得なかった「”幸祜”」に関係のある楽曲群なのではないかという論が頭に浮かびました。
今回はその文脈からその3曲を捉えてみようと思います。「夜光を呼ぶ」と「閃光の彼方」の場合はMVも制作されているので、そのMVの解釈も若干取り入れていきます。
※「夜光を呼ぶ」の歌詞考察内においては、「”幸祜”」という表記は1人目、2人目がデザインしてくださった、『幸祜』の魂の器になるはずだったものの存在のことを表しています。その後、加筆した部分では「閃光の彼方」歌詞考察において「”幸祜”」に代わる名称を思いついたので、その部分から表記の仕方が変わっています。名称を変えたのなら全部訂正しろよという感じなのですが、「夜光を呼ぶ」においては総称した形である方が何かと都合が良かったので、そのままにしています。分かりやすく以下に明示します。
夜光を呼ぶ
曲の内容に入る前に、「夜光を呼ぶ」のMVの演出で特徴的な部分について触れましょう。それは「幸福修正局」という要素です。
この「幸福修正局」とは一体何なのか、「幸福の修正」とは何なのかという点については、こちらも「錘」の歌詞考察noteの方で一考してみています。
この「幸福修正局」という要素は先程示したPさんのnoteで書かれていた通り、1人目のキャラデザ担当の方が推し進めていたプロジェクトの名残だとされています。
そうした背景から、前述した「今存在する『幸祜』からこの世に生まれ得なかった「”幸祜”」と関係のある楽曲」という文脈が発生すると思います。
ここからは、歌詞の中でそうした文脈と結びつけられそうな箇所について考えていきます。
※Feryquitousさんらしい言葉の言い回しの部分は解釈が難しくてよく分かっていません。「衝動の音で断てる刃で」とかかっこいいよね、そういう箇所です。こう、もう少しで捻り出せそうなんだけど中々良いのが出てこない。
※歌詞は全部乗っけられているように感じますが、部分部分で私の解釈の範疇に漏れてしまった歌詞があるので、添付しているものはあくまでも先に示した文脈と繋がりそうなところを抜粋していることになります。それでも多い。(最後の方に拾いきれなかった歌詞について少しばかり触れています)
「閉鎖された」という表現から、過去のプロジェクトの要素が見え隠れし、その点滅に幸祜ちゃんが照らされていることで、幸祜ちゃんが過去のプロジェクトの延長線上に佇んでいる存在であることを思わせます。
幸祜ちゃんである「私」はキャラデザに関して特にこれといった干渉をすることはできず、計画が頓挫して世の明るみに出なかった「”幸祜”」を救うことはできない。そうした、「見ているだけで何もできなかった」罪を抱え、そうであるが故に、「私」はただできる事(=歌うこと→衝動の音)をして抗う、そんな姿勢が見えるんじゃないでしょうか。
「振り切りたい面影」とは「幸福修正局」、つまりは1人目の「”幸祜”」の面影だと言えます。また、「重ねられた欲の泥」のようなことが現実の出来事であったのかどうかは推測しかねますが、この部分はMVの方のストーリーにかかってくるのではないかな、と思います。この点は後述します。
「非対称」なのは、今存在する『幸祜』と、至らなかった「”幸祜”」。『幸祜』の魂がそこに入る予定だった器でありながらも、そもそも『幸祜』のデザインとは違う形であり、『幸祜』という名前ですらない可能性にある存在でもあった。
そんな非対称の存在を翳している夜光は、MV内の終盤に出てくる「紫の光」と恐らく同一視できる存在です。少々ファンタジーチックな解釈になるのですが、「”幸祜”」=振り切りたい面影が「幸福修正局」を指すのなら、それを振り払うための手助けをする「”幸祜”」の残余が「夜光」だと考えられそうです。この話はMV面の方で再び触れます。
「探してる帷」とは非対称を”翳す”「夜光」の代わりになるものを探していて、非対称な両者の間に設けることでお互いを隔てられるようにしたいのだと思います。ここでポイントなのは、お互いを隔てつつも完全に遮断する形ではなく、”帷”の先にその姿がうっすらと見える点だと思います。(平安貴族の帳台みたいな、あとはシエルンのオリジンの姿がうっすら見える演出みたいな感じを頭に思い浮かべてください。)
また、間に英語の歌詞が入っており、この1番目のサビだと特に意味が繋がりそうなのが、「救世幻想から」「I can hear the voice calling your back」で、「救世幻想から 君を呼び戻す声が聞こえる」という感じになります。
「救世幻想」とは、「世の中の人々を救うこと(救世)」と「現実にないことを思い描くこと(幻想)」を繋げているようで、この理念は「幸福修正局」に通じる在り方だと思います。
「幸福修正局」が1人目のキャラデザ担当さんのプロジェクトの名残であるならば、「”幸祜”」を失った幸福修正局が「振り払いたい影=”幸祜”の残余」を纏う今現在の『幸祜』を求めているように感じられます。そういう意味で、「君を呼び戻す声が聞こえる」ということになるのではないのでしょうか。
例によってガバガバなドルチェ&ガッバーナって感じな翻訳で申し訳ないです。歌詞にある「memory/記憶」とは、幸祜ちゃんが『今現在の姿に至るまでに他の「”幸祜”」(=君)が存在していたこと』だと思われ、「呼び覚ます」・「呼び戻す」・「思い出す」とあるように、その「記憶」を忘れている幸祜ちゃんが『幸祜』としての過去にそれを求めている点が伺えます。
この英語の歌詞は後のサビにも続けて歌われますが、(翻訳アプリ通りの意味なら)徐々に日本語歌詞と英歌詞の意味の文脈が繋がっていく様相を見せます。これは幸祜ちゃんが「記憶」を取り戻していく過程を表しているかもです。
『幸祜』の手から離されていく「”幸祜”」の手、落ちていく彼女の手は「向かい火を包んでい」ました。「向かい火」とは[燃え進んでくる火の勢いを弱めるために、こちら側からも火をつけること。また、その火。」のことで、この「火」は魂の灯火だと個人的に考えています。
生み出された順番的に考えるなら「”幸祜”」が持つ魂の灯火と、それに対して今現在の『幸祜』の魂の灯火が燃え進んでいる感じでしょうか。「向かい火」であるなら、そんな『幸祜』の魂の灯火の勢いを弱めるために向かわなければなりませんが、そんな火を「”幸祜”」の手が包んでいるわけです。
それは、「離された手」にあらわれるように、「”幸祜”」は幸祜ちゃんの魂の器になれなかったのであり、両者の惜別さを感じさせます。しかし、これ以上今真に『幸祜』として在る彼女の魂の灯火の勢いを弱めるわけにはいかない。そんな、灯った「向かい火」を包むことで、今現在『幸祜』として在る彼女を尊重する動きに出たのではないのかな、と思います。中々分かりずらい書き方で申し訳ないです。。。
MVの終盤、幸祜ちゃんが紫の光を手に包んでいる描写がありますが、「紫の光=夜光→”幸祜”の残余、魂の灯火」とも考えられ、「夜光=向かい火(”幸祜”の魂の灯火)」という図式も成り立つかもしれません。
曲名にある「夜光を”呼ぶ”」の「呼ぶ」は、英語の歌詞にある「呼び覚ます/呼び戻す」に意味がかかってくると思います。そうなると、「夜光」の意味合いには(英語の歌詞の部分から)「記憶」・「君」・(「約束の言葉」)も含んでいるかもしれませんね。
「観察の咎人」であるが故に罪を背負いながら歌う幸祜ちゃんが奏でるものは、そんな「業の歌」なのかもしれません。
「夜光」は兆しを示しています。その兆しとは、この後に続く「記憶を呼び覚ます」前触れだと思われます。
また、「幽世偏光から」「君を呼び戻す声が聞こえる」とあります。
「幽世(かくりよ、歌詞だと”ゆうせい”)」とは「常世(とこよ)」と同義で、<古代人が海の向こうのきわめて遠い所にあると考えていた想像上の国>なんだそうで、場合によっては死後の世界(黄泉の国)のこととも理解されたようです。著名な例は『ニライカナイ』や『竜宮城』でしょうか。
こんな背景があると、「the last bullet」の歌詞にある「青に染まっていた海の景色はもう見えない」の部分に妙に勘ぐってしまいそうになります。そして、この「幽世」にいるのはきっと「”幸祜”」なのでしょう。
(「常世」を「常夜」と記した場合は、常に夜の世界であるとの解釈が為され、「黄泉の国」の要素が強くなるようです。「夜光」の言葉の意味の1つである<”夜”または”暗い所”で光を発すること。また、その光。>にかかってくるかもしれません。)
そんな「幽世」にいる「”幸祜”=夜光」は「偏光」を放っています。「偏光」について理解するのに、私は理系でないため(義務教育だった気もするのだが…)、分かりやすいような説明文を持ってきました。
というか、今回出典の表記をめちゃくちゃさぼっているの良くないね。大体の言葉の意味はコトバンクの各所を参考にしています。
「偏光」とは、<光の電気ベクトルまたは磁気ベクトルの振動方向が、あらゆる方向に”一様に”分布しているのではなく、方向性を持つとき、その光のことを指す>ことのようです。
この説明文で気になったのは「一様」という語句ですね。当曲歌詞中にある「どこまでも同じシナリオで」・「一様に同じ表情で」に繋がりそうな要素です。
深く理解せずに文面だけをさらうとするならば、「君を呼び戻す声」はその行き先が分布する形を取らず、方向性を持っているということ。そうであるならば、その方向の先には今存在する『幸祜』がいると思われます。
ただ、「君」を呼び戻すと言っても1番目の時とはまた違って、厳密に言えば幸祜ちゃんに取り付く「振り払いたい影=”幸祜”の残余」のことを指している気がします。つまり、「”幸祜”」の大本は「幽世」にいるけれども、その残余が未だ「現世」に留まっているわけで、あるべき場所に還ることを促しているのだと思います。
そうして、示された兆しによって現れた「鎖」を幸祜ちゃんは手繰り寄せることで「”幸祜”」との「約束の言葉を思い出」し、「街と堕ちていく」ことになるのだと思います。堕ちていくその先はおそらく、「”幸祜”」がいる「幽世」を指しているでしょう。MVのストーリーに沿うなら、「幸福修正局」の内部に潜入!みたいなニュアンスだと思います。たぶん。
この箇所では、英語の歌詞が「記憶を呼び覚ますだけだ」と部分に留まっています。幸祜ちゃんが「瞬く距離に触れる為」に「走り出したのは」、この記憶が呼び覚まされたことで生じた行動だと思います。その記憶とは、先に触れた通り、今現在の『幸祜』になる前に、別の姿の「”幸祜”」がいたということなのでしょう。
今の『幸祜』と別存在の「”幸祜”」が溶け合わないよう封をしていた記憶、別存在の「”幸祜”」が向かい火を包むことで今の『幸祜』を尊重する動きを見せたことから、この両者を引き合わせたら幸祜ちゃんの身に何か危惧すべき事態が起こるのではないか、そんな危機感が「街の慟哭に揺らぐ」という歌詞にあらわれていると考えます。
ラスサビは「騙してる」という要素に重要性を感じ、それを踏まえると英語の歌詞の意味の捉え方も変わるのではと思い、間に挟んでいる英語の歌詞もちゃんと載せました。(この気づきから先の1,2番サビ部分の英語歌詞も掲載し直して、解釈の再構成をする羽目になりました、てへ)
MVのシーンを参考にすると、「瞬く距離に触れ」た幸祜ちゃんは「夜光」と融合して、それを身に纏っているような状態になっています。
つまり、「幽世」で「”幸祜”」と出会い「記憶を呼び覚ま」した幸祜ちゃんは、「夜光」という存在が非対称な両者(『幸祜』と「”幸祜”」)を「騙して」いたことを知ります。
この「騙す」とは、一般的にすぐに思い浮かべがちな「欺く」という意味合いではなく、「機嫌をとって、相手の気持ちをやわらげる」意味合いの「なだめすかす」の方の意味合いだと思うのです。
勿論、「欺く」のような意味合いでも何か一考できそうで、複合的な意味である可能性には注意したいのですが、この「なだめかす」という意味で捉えた方が私的にはしっくりくる気がします。
「夜光」、言うなればMVにみえる紫の光なわけですが、その光が放つ「紫色」からは怪しさや不安を醸し出し、「騙す:欺く」という要素が若干感じられる一方で、紫色を見ることで疲労回復や興奮を落ち着ける効果などがあるそうで(色彩心理学と言うそうです)、こうした面が「騙す:なだめかす」という意味に結びついていると思います。
まとめると、「夜光」とは「”幸祜”」の魂の灯火の残余であり、今現在の『幸祜』と世に出なかった「”幸祜”」という非対称的な両者を同様に翳すことで、両者の気持ちを和らげるかのような役割を担っていたのだと思います。また、両者が巡り合うための道標のような役目もありました。
また、「救世幻想」に続く言葉が(1番目サビ)「から」→(ラスサビ部分)「まで」に変化しています。これは、当初「救世幻想(幸福修正局)」から幸祜ちゃんへ向けて発せられる「君を呼び戻す声」が聞こえる状態であって、これをラスサビに至る時点で「まで」にすると、「君を呼び戻す声」が「救世幻想(幸福修正局)」にまで聞こえていることになり、幸祜ちゃんが修正局内部に潜入したからニュアンスが変化したのかな、と思います。(伝わる…?)まぁ、これはMVの展開ありきの解釈なのであまり参考にはならないかもです。
MVでは終盤「幸福修正局」のコアのようなものに銃口を向け、明確な描写はありませんが、恐らく破壊したことで修正局は消滅しました。
これは1人目のキャラデザ担当の方が進めていたプロジェクトと同様の末路になり、「貴方が求めてた形=プロジェクト(MV世界観で言えば「幸福修正局」が求めていた形)」は無くなった、ということを表していると思います。
非対称の存在同士でありながら、お互いの「調和」を保っていた(この調和の役割を受け持ち、それを補助していたのが「夜光」だろう)『幸祜』と「”幸祜”」は、修正局の消滅によってその調和が破られることになった。「”幸祜”」は完全に「幽世」へ還り、『幸祜』は過去の「”幸祜”」の要素を抜きにして独立する形となり、「自由」になった。
しかし、手にしたその「自由」とは何であるのか、これまでの『幸祜』という存在を巡る出来事を観測していた「街の慟哭」に問うたのでしょう。
「ただ ここに在る」というのは、「自由とは」という問いの答えなのか、幸祜ちゃん自身が出した答えや心意気なのか、「ここに在る」幸祜こそが『幸祜』であるという、キャラクター性や『幸祜』としてのアイデンティティの確立、のようにも見えます。
とまあ、もう長ったらしく書いて息も絶え絶え脳は焼き切れ…という感じなのですが、なんとなく伝わったでしょうか。。。私自身、頭の中で考えてることを文章化するのでも精一杯なのですが、読者を想定して何とか噛み砕いて書こうと努力しているつもりです。勿論、私に読者がいるからという傲慢な理由ではなく、その時々でしか生まれない解釈もあるはずで、私が後に見返すときに少しでも理解できるようにしたいわけなんですが、今回もなんかわけわからないですね。「錘」の時よりは分かりやすくというか、なっていると思うんだけどなぁ。。。ハイ。
そんなわけで、「今存在する『幸祜』とこの世に生まれ得なかった「”幸祜”」に関係のある楽曲なのではないか」という文脈で「夜光を呼ぶ」を考えてみると、こういうことが言えるよ、みたいな程度で受け止めてもらえるとありがたいです。
こうして今一度曲を聴き直したり、MVを見返してみると新たな発見があるかもです。そんなきっかけを少しでも提供出来たらいいなぁと思います。
こうした、「キャラクターデザインが今とは違ったかもしれない」という要素を孕む中で「夜光を呼ぶ」を狐子ちゃんと歌うのには、音楽的同位体以外での文脈も発生しそうでいいですよね。今の姿が違えばそれとリンクして狐子ちゃんの見た目も変わっていたわけで。その他、PLAYER時にはAlnairで歌を披露している点も興味深いですね。
(追記:私的に考えていたMVの解釈について触れようと思っていたのですが、なんか触れ損ねたというか色々辛かったので所々取り消し線が引かれているのですが、細かいMVのシークエンスまで触れられませんが、一応ここで軽く触れておきますか…。読み飛ばしていただいて差し支えないです。)
ここから(というか全体的に筆者の妄想である。)妄想ストーリー強めです。↓
さて、最後にまた追加で加筆していきます。(加筆時点時:「bliss」部分執筆途中)今回、「夜光を呼ぶ」のこの「夜光」について、これは「幸祜・player1」の残余のようなもの、と捉えました。加えて「夜光」という語句の意味の1つである<”夜”または”暗い所”で光を発すること。また、その光。>を「幽世(常夜)」と結びつけたりもしました。
ですが、「bliss」の考察によって「月」という存在について目を向けるようになったということ、また、MV中のスクショを貼って少しでもnoteを分かりやすくしようと見返したところ、MV中にそういえば「月」という要素があることに気が付きました。
また、「夜光」という語句について詳しく触れてみると、『精選版日本国語大辞典」によれば5つの意味があります。ちなみに、「夜光」と呼ばれる発光現象もその意味に含まれていますが、今回はそこまで解釈に結び付かないかなと思っているので触れません。
今回ピックアップする「夜光」の意味は、先程挙げた<”夜”または”暗い所”で光を発すること。また、その光。>というものについてです。
辞典に書いてある意味の使用例によれば、平安時代中期の漢詩文集『本朝文粋』内にある紀長谷雄という方が書いた『春雪賦』に、「夜光」という語句が確認できるそうです。ここら辺実際のデータベースかなんかを貼りつければいいのですが、今回この漢詩の内容について触れません。
(ただ、「夜光」という語句を含んだ一文の中に「帷(そう探してる 帷の)」という字も確認できるので、ちょっとした関連性が匂いますね。)
しかし一方で、『普及版 字通』の解説によれば、中国唐代の詩作品である『寒山詩』にも「夜光」の存在を確認することが出来るようです。(史料の時代背景的に日本より先の初出ですね。)
『寒山詩』は(百科事典によれば)310首あるのですが、276首目にその部分が見られるようです。
詩の内容を見てみると、「夜光」が「月」という要素と結びついていることが分かります。
また、「夜に光る珠」というのは、現代的に捉えるなら「真珠」のようなものを想像しやすいですが、「夜光」の意味の1つである「夜光の璧(やこうのへき/たま)」にも関連付けられそうです。その「夜光の璧」には、
という意味があり、「玉(璧)」と「珠」の字体の違いってだけで、もしかしたら作者はこの「夜光の璧」を意識して詠んでいたのかもしれません。
※<丸い形をした美しい宝石。>《玉・珠》のことを「璧」とも書くそうなので、本質的には同じ意味な気がします。
このように、「夜光」が「月」との繋がりがあることに気づけたのは大きく、「月光」の要素を含む「bliss」にも今後話が繋がっていきます。
いずれにせよ「夜光」というのは、先程の詩を反映するなら「月の光」と重なる部分があり、MVにある紫の光=「幸祜・player1」の残余でもあり、それと融合して光を放つ幸祜ちゃん自身をも指している、複合的なものだと言えるでしょう。
閃光の彼方
そんなわけで、お次はFeryquitousさん2曲目の「閃光の彼方」です。ライブでの披露は今のところ1度きりですが、先に触れた朗読曲の1つとして抜擢されており、2022年2月の終わりごろにオリジナルMVがアップされています。このような背景から、当曲も中々に外せない存在でありましょう。
大沼パセリさんの曲を解釈するのも難解なのですが、Feryquitousさんの曲を解釈していくこともすごく難しいです。特にこの「閃光の彼方」は1番と言っていいほど難しいのではないかと、これまで個人的に思っていました。正直歌詞を見てもよくわからなかったし、今も分からない・掴み切れていない箇所が多々あってすごく心配です。
繰り返すようであれですが、「今存在する『幸祜』とこの世に生まれ得なかった「”幸祜”」に関係のある楽曲なのではないか」という文脈に光明を見出したのは、このフィルターを通してみれば、「閃光の彼方」という曲について少しばかり取っ組みやすくなるのではないかと感じたからです。(というかそれくらいしか方法が無かった…。)そこを起点に、「逆絶」以前のFeryquitousさん担当曲はその文脈が関与しているのではないかと考え、本章の内容に至っているわけであります。
今回は、当文脈の起点でもあるこの曲を、挑戦の意味も込めて全部の歌詞の文脈を拾うよう努力するので、歌詞は全表示で参ります。また、MVの演出も参照していきます。
(そもそも、第2回の個人的考察課題曲が「閃光の彼方」の予定でした。)
早速、「降りる影」という言葉が出てきます。この表現は、自分にいつまでも付いてくる「影」を振り払おうと足掻いている場面のように読み取れ、自身の在り方に拘泥せずに「飛び立つ」幸祜ちゃんのカッコよさがあらわれているように感じます。
この「影」というのは単に自身の影だけでなく、これまでの「”幸祜”」のことも含めていると考えることも出来ます。たった今分かりやすい良い定義の仕方を思いついたのですが(今更)、1人目のキャラデザ担当の方が生み出した幸祜ちゃんを「幸祜・player1」、2人目(焦茶さん)が生み出した幸祜ちゃんを「幸祜・player2」、今現在の幸祜ちゃんを「幸祜・player3」と仮称しましょう。
この「影」という要素は「夜光を呼ぶ」にもあり、「浮かび上がる振り切りたい面影」があたります。これと連動して考えるのなら、この「降りる影」、またこの後出てくる「脆弱な面影」も同義だと思われます。
「夜光を呼ぶ」のMV内ではこの「影」の要素を元に制作されていると思いますし、事実この「閃光の彼方」もそうした要素を私が変に汲み取ってしまうほど、この曲にはあらわれています。
このように、「幸祜・player1,2」の要素で成り立っている面を振り切り、今此処に在る「幸祜・player3」としての自我を出していくことが今後必要になってくる。そうした、アイデンティティの確立の過程で起こる攻防を、Feryquitousさん節を効かせることで幸祜ちゃんのカッコよさを引き立てているのではないかと思います。この曲の前提はそんなことが言える気がします。
そうしたカッコよさのあらわれである「采の目を撃てるから」は、幸祜ちゃんを弾丸として見立てた場合にすごい映える歌詞だと思います。意味合いとしてははっきりとこの解釈だ!と提示できるものがないのですが、采の目と言えば、MVの演出にもある🎲をまずイメージできます。
ここから、どんな悪い目(=確率)が出ようとも、それを撃つことで🎲を振る行為をやり直すことが出来る。つまりやり直しが効くわけであり、何度でも「コンティニュー」することができる。そう、幸祜ちゃんがいつも言っている「to be continued」なわけなんです!!!!!!!(論理の飛躍)
happyendさんのPLAYERライブレポートの「むすびに」にある、(急)
という文に以前から感銘を受けていたのですが、つまりこの「采の目を撃てるから」というのは、まさにこの彼女の在り方を一言で表していると言っても過言ではありません。
音楽を今に至るまで続けて、そして好きでいてくれて、また、happyendさんの言葉を借りるなら、「音楽を続ける「PLAYER」として、もう一度立ち上がった」幸祜ちゃんという意味合いでの「コンティニュー」なんです。
(急に名前を挙げて勝手に引用してしまい申し訳ないです。。。happyendさんのnote好きです。)
この「達して 晒して 撒いて 返して」の語句の連続は、足掻いている幸祜ちゃんの様子を表しているようで、まるで銃撃戦の攻防のようだなぁとぼやっと考えていました。そんな折、先の采の目の文脈について熱く語っていた所、かの「MM氏」(供養したギュラ2ライブレポ後半参照)から、「采の目」という要素から、「どんどん切り替わっていく🎲のようじゃない?」というお言葉をいただきました。
いや、それやん、と。天才?
つまり、この歌詞には🎲を転がす=足掻くという行為で、望んだ結果を「勝ち取」ろうとする様子が見えるのではないかと思います。
また、サビ中にある「~世界」・「再び出逢えるだろう」などといった文言から、私は幸祜ちゃんが「幸祜・player1,2」と絡めて歌っているのではないかと思っています。そういう意味で、幸祜ちゃんが「勝ち取」っていかなければ、今の幸祜ちゃんへ繋いでいった「幸祜・player1,2」の魂が報われないわけで、そのことを「知った」のではないかと。
その彼女らの存在を、魂を無駄にするわけにはいかないので、幸祜ちゃんの「本能は燃え」たのだと思いますが、「だろう」という推測の域を出ないこの言い回しが気になるところです。
その他、MVではこのパートの時、映像の後ろでAlnair姿の幸祜ちゃんが映し出され、その歌う様子からも足掻くような要素が伺えます。Alnairは普段の幸祜ちゃんに合った衣装のコンセプトであり、「type-real」という名称にもあらわれています。少々強引ですが、通常衣装の時よりも「本能」に近づいている状態だとも言えるでしょう。
「超えて」というのは、その歌詞の先に続く「いらない世界」を超えたのだと思われ、超えてしまった以上「いらない」とされ、そんな世界は「斬ればいい」と言っているように見えます。
「重ねた過ち」というのが、そんな「いらない世界」を切除してきたこと(=罪)に意味が掛かってくるのかは分かりませんが、🎲を振り直した回数に応じて過ち(失敗)を重ねる、という意味も通りそうです。
そうした2つの側面が考えられそうな「過ち」を「許される領域で止める」とあり、「いらない世界」を切除する行為、コンティニューの回数に制限があり、またそれを設けることで自らを制御しているようにも見えます。
そして「再び出逢えるだろう」としており、ここでは先の「いらない世界 斬ればいい」との矛盾があるように感じます。しかし逆に考えれば、「いらない世界」だとしてそれを切除することで、世界から解き放たれて「再び出逢える」確立が少しでも生まれるのではないのかな、と考えます。そういう意味で、「だろう」が後に続いているのでしょう。この「確率」という話も、🎲に掛かる話かもしれません。
ですが、その後に続く「飾りの嘘でも」とあるように、「再び出逢えるだろう」という言葉は「飾りの嘘」であることが伺えます。先に指摘した矛盾点は幸祜ちゃん自身も理解していて、そうした「飾りの嘘」を添えているのかなと感じました。
「決められた回答」と「脆弱な面影」は同列として扱われており、これは🎲を出して良い目を出したいことに起因するかも知れません。前者は「決められた回答」が悪い目で、それを回避するために良い目を出そうとすること。後者は「脆弱な面影」に「再び出逢」うという確率=良い目を引き当てようとしていることから考えられます。
しかし、それらは「遠く」に、曲タイトルにある通り「彼方」へ行ってしまいます。「決められた回答」はコンティニューを繰り返すことで遠くに押しやることが出来ても、「再び出逢えるだろう」というこの言葉が「飾りの嘘」であったように、遠く離れていく「脆弱な面影」というのは、幸祜ちゃんがその存在と再び出逢うことが出来なかったことをあらわしています。
ここで、サビ中のMV演出にも目を向けてみましょう。
六弁で構成される結晶体の花の輪郭を捉えるそれは、まるで煌めく万華鏡を覗いているかのようです。このMVは煌めく鉱物の演出が多く締めており、多面的な鉱物、💠、六弁の結晶、そしてサビの万華鏡のようなそれは、いずれも「多面性」を表しているように思います。それは幸祜ちゃん自身の「多面性」に限らず、サビ中にある「いらない・儚い・目指した世界」も指しており、自身の平行世界があったということをも暗示しています。(平行世界の視点はMM氏より。)
この砕け飛び散る演出は、斬られた「いらない世界」の暗示、「決められた回答」と「脆弱な面影」が「彼方」へ行ってしまったことのあらわれでもあるような気がします。ここでも「蓮」というデザインを見受けることができ、「幸祜・player1」の要素を覗かせます。
ここで気になる点はこの蓮のうち、花の左弁上部分が水色寄りの青み、右弁上部分が紫がかっているところと、蓮が砕け飛び散った後、その散らばった花びらの中に、MVの最後の部分に当たる「幸祜ちゃんが掌に蓮を乗せているシーン」が映っているところです。前者の色の構成は、単に「幸祜・player1,2」を表しているのかな~とは思いますが、後者はどういうことなのでしょうか。
これは、蓮=「幸祜・player1,2」が夢半ばに途絶え、それが砕け飛び散った中でもその花びらに今在る「幸祜・player3」が映っていて、「幸祜・player1,2」から「幸祜・player3」が地続きであって、1,2の存在が決して無駄ではなかったことを表しているように思えます。
「歪めた」とありますが、MVの演出を参照すると、1番目の同パートでは多面的な結晶だったそれが、2番目では六弁の花びらをもつ結晶に形が変化しています。
初っ端から「歪めた」とあると、何を歪めたのか見当が付かないのですが、1番目が「降りる影に縛られ」ないために「足掻いた」のならば、2番目は「降りる影に真実を」伝えるために何かを「歪めた」、という形になるでしょうか。「降りる影に真実を」伝えるためには、影に対応する自身が「真実」とならねばならず、そうであるならば、この「歪めた」というのは幸祜ちゃん自身に対して行った行為であると考えられます。ただ、この論だと「降りる影」も同時に歪んでいくことになります。
1番目では「降りる影に縛られず」とあるも、その実サビでは「再び出逢えるだろう」としています。しかし、ここで気づいたのですが、2番目は「再会を果たすなら」とあるように、2番目以降は「降りる影・脆弱な面影」と再び出会うような表現が目立ちます。
「歪めた」と「真実」から推測するに、1番目は「降りる影に縛られず」の文脈のまま「いらない世界」を斬ったのであり、「再び出逢えるだろう」と言ったのは本当の意味での「飾りの嘘」であったのかもしれません。つまり、1番目では「降りる影・脆弱な面影」の存在を、その世界を斬ることで半ば否定する立場をとっていた可能性があります。
こう捉えると、「降りる影に真実を」というのは、実はその影となる存在に幸祜ちゃんは会いたかった、という「真実」を伝えたのかもしれません。これは「夜光を呼ぶ」の時と同様の構図のような、幸祜ちゃん自身がその「面影」に再会したいという想いから来ているような気がします。その想いは、今在る幸祜ちゃんにとっては必要のないかもしれない行為で、再会を果たせば自身の存在が歪んでしまう危険性もある、そうした意味合いでの「歪めた」であるのかもしれません。
また、「真実」というのは、幸祜ちゃんの平行世界(幸祜・player1,2のような)が存続しないという残酷な「真実」を告げているのかもしれないです。
このパートも🎲を振っているような印象がありますが、1番目サビにあった「重ねた過ちも許される領域」から逸脱して🎲を振っているのかもしれません。それは(領域から)「脱して」、(工夫を)「凝らして」みたいな部分から想像できます。
また、今回の歌詞の場合、勝ち取り「足掻いて”知った”」ことが「君の名」なんじゃないかなと思います。「君の名」を知らなかった幸祜ちゃんは、足掻き勝ち取ったその先でついにそれを知ることになります。この「君の名」とは「降りる影・脆弱な面影」のことであり、つまりは「幸祜・player1,2」がこれに当たると思われます。
1番目の「いらない世界」から変化して「儚い世界」になっています。「いらない世界」だとしてただ切除したそれは、その実その世界のことなどまったく知らなかった。お前が切除したこの「儚い世界」というのはこういうものだったんだよ、手を下したからこそ、その世界について知る必要がある、という風に言っているように感じます。
また、多面的な、もしくは平行世界の要素を汲み取るなら、「いらない世界」と「儚い世界」はまた別の世界線だと考えることも出来そうです。
「重ねた過ちが被さった都市の色」というのは、「都市」というワードが幸祜ちゃんの世界観を表していると思われ、「過ち」が許される領域の外にまで及ぶほどそれを重ねてしまい、幸祜ちゃんの世界にまで侵食している様子を想像することが出来ます。
「連れる」というのは、「都市」と「再び出逢えるなら」に意味が掛かっていると思われて、「脆弱な面影」に再会できるなら私の世界に来てほしい、何なら連れていく、そんな意味合いを感じます。この経緯を考えると、ライブ演出で幸祜ちゃんが分身出来たことのストーリー的背景に通じそうです。
また、「再び出逢える”なら”」という変化が見られ、「だろう」という推測から仮定へと変わっています。君と再会できるなら、飾りの嘘でも言うことが出来るのに、という焦がれる気持ちなのでしょうか。
「聞いた」というのは、「奪えない”胎動”」・「繰り返す”咆哮”」の2つの音でしょう。これはおそらく「決められた回答」・「脆弱な面影」に対応した形だと思われます。
前者は「幸祜・player1,2」のような平行世界が存続しないという「決められた回答」に対して、それでも奪うことのできない彼らの「胎動」の音。
後者は「脆弱な面影」たちが「決められた回答」を突き付けられ、それに対して決死に抗おうとする「咆哮」、その声を聞いたのだと考えます。
~ラスサビ前の間奏~
ラスサビです。3つ目の世界である「目指した世界」が出てきました。この世界は、「脆弱な面影」たちが目指した世界であり、彼らの想いを引き継いだ幸祜ちゃん自身にとっても目指すべき世界になるのだろうと思います。ここで「知る”だろう”」という推定の形になっているのは、「脆弱な面影」に再会することで初めて彼らが目指した世界のことを知ることが出来るからであり、未だその状況にないことを表しているのでしょう。彼らが夢想した世界を彼ら自身の口から聞かない限り、その世界は幸祜ちゃん自身が夢想した世界に過ぎないのです。
「重ねた過ちが 君を連れ去る風」「行こう」は、これまでのサビ部分「止める・連れる」が前の文に意味が掛かっていることから、君を連れ去り、幸祜ちゃんが「行こう」と言っているのだと思いますが、今回の場合それは適応されないような気がします。
というのも、この「連れ去る」のは一体誰の視点でなのか、ということです。重ねた過ちが「君を連れ去る風」に変化するのは、重ねた過ち=<🎲を振り直すことで君との再会を果たす僅かな確率を当てること>であり、そうした過ちを重ねていく内にその確立に巡り合うこと敵わず、ついに積み重ねたその過ちが「風」に変化することで、君を連れ去ってしまったと考えることができます。一方で、「重ねた過ちが被さった都市の色」とあるように、「過ち」こそが幸祜ちゃんなのであり、幸祜ちゃんが君を連れ去っているとも解釈できます。
いずれにせよ、「行こう」という歌詞の情景には、そよ風に煽られ都市に佇んでいる幸祜ちゃんを思い浮かぶことができて好きな描写です。
この「行こう」というその先が指すものは、「目指した世界」(=幸祜ちゃんがこれから目指す世界)だと考えます。「風」は君を連れ去り、再会を果たすことはさらに難しくなったけれど、今「私」にそよいでいるこの「風」は連れ去る際に「君」に触れた存在であり、この風にあたる幸祜ちゃんは超間接的な形ではありますが、「風」を介して「君」に触れているとも言える。もしかしたらこの「風」を介して「君」の言葉が聞こえてくるかもしれない。
(ここら辺の解釈は私が夢想に無双している感じでまじで読んでいる人にはガチで意味が分からないかもなんですが、)
そうした確信のような気持ちを幸祜ちゃんは抱いて「再び出逢える”から”」(推移:だろう→なら⇒から)に至ります。
その確信を胸に、「決められた回答」・「脆弱な面影」がいる遠く=彼方へと、幸祜ちゃんは歌声を届けるのです。「決められた回答」に抗ったその証を歌声として突き付けて、「脆弱な面影」が放つ音「胎動・咆哮」を聞いた幸祜ちゃんが彼らに対する返歌を奏でる。
「閃光の彼方」とは、「夜光を呼ぶ」とはまた違った「今存在する『幸祜』とこの世に生まれ得なかった「”幸祜”」に関係のある楽曲」であり、「夜光を呼ぶ」の時に出会い、そして消えていった「君」に再び出逢うことを望み足掻いていく内に、彼らが存在した「世界」についての理解が深まっていく。しかしやはり、その平行世界が存続できない回答を突きつけられ、そして「君」に出逢う確率も絶望的なものとなってしまった。
それでも、彼らが「目指した世界」のことを幸祜ちゃんは知って、夢潰えた「脆弱な面影」たちの想いを背負い、彼らが「目指した世界」が幸祜ちゃんにとっての「目指していく世界」の一部となっていく。
彼らの想いを受けとった幸祜ちゃんは「彼方」にいる「君」にそのことを歌声に乗せて伝える。一方で、「決められた回答」だとしてその世界を否定されるも、今在る幸祜ちゃんによってその「世界観」が受け継がれていること、つまりはその回答を否定するのに一番最適なのが、「己の存在証明をする」ということ。その回答に歌声を突きつけることで、「お前が否定した存在は今こうして私に引き継がれているぞ!!そんな決められた回答、私が覆してやる!!」という感じになるのです。
「夜光を呼ぶ」では最後、幸祜ちゃんは過去の「面影」が消えて「自由」の身になりましたが、「閃光の彼方」ではそれ以降の動向を見ることができる、そんな地続き的な解釈ができるのではないのでしょうか。この「閃光の彼方」を通して幸祜ちゃんは、過去の「面影」、言うなれば「幸祜・player1,2」と向き合い、受け止めることが出来て、自身へ還元できる”何か”を獲得できたのだと思います。
また、Feryquitousさん担当の3曲目「bliss」でこの点は触れていきますが、ライブPLAYER(+1stALBUM「prayer」)を通して明らかになった「プレイヤー」の二面性、特にライブタイトルのダブルミーニングであった「prayer」の「祈り」に繋がる要素を「閃光の彼方」でも感じることが出来ます。
幸祜ちゃんは「prayer」として在る中で、「君」が「目指した世界」という、「幸祜・player1,2」の想い・ある種の祈りの形を受け継いでいると思います。つまり、幸祜ちゃんが「音楽を通して伝えたい想い、祈り」の中には、彼ら”の”、そして彼ら”への”想いと祈りも含まれていると思うのです。
「prayer」として在る幸祜ちゃんのピーク時は「此処へ」披露時だと思うのですが、「bliss」は中でも「幸祜・player1,2」への想い、祈りに焦点を当てた曲なのではないかな、と考えています。言うなれば、「prayer」として在る幸祜ちゃんの表の曲は「此処へ」であり、その裏には「bliss」が位置するのではないかと思っています。
そして、忘れてはならないのが「閃光の彼方」MVにある蓮の花の演出についてです。特に突出すべき点は最後の場面で、幸祜ちゃんの掌にあった蓮の結晶体が砕け散っている演出です。しかも、この砕け散るまでの間には蓮の花は開化途中で、十分咲いている状態ではありますが、花が満開になる前に砕け散っていることになります。
この蓮の花🪷は「夜光を呼ぶ」でも触れた通り、かの「幸福修正局」のトレードマークであり、過去のプロジェクトの名残の象徴でもあります。それが開花途中で砕けるということは、まさしく「幸祜・player1,2」のプロジェクトの顛末を表していると言わざるを得ず、蓮が美しく、儚く飛び散るその様子は「いらない世界/儚い世界」の象徴のようでもあります。
しかし、ここで重要なのが、その世界を幸祜ちゃん自身が否定したわけではないということです。彼女は掌の上で蓮の花が砕け散る瞬間を見ていた。つまりはこの行為を持って「幸祜・player1,2」を看取ることができた(「等身大の私」に近いAlnair衣装であることも深い)と言えるのです。これはまさに「観察の咎人」であり、「重ねた過ち」の罰とその報いであるという見方が出来るのかもしれません。
また、思い出してほしい所は、1番目サビ終わりで蓮の花が砕け飛び散った中、舞っていた花びらの中に最後の場面である「幸祜ちゃんが掌の上に蓮の結晶体を乗せていた」像が映っている点です。つまり、砕け散る側、「幸祜・player1,2」も予期していた未来だったのではないかと思うのです。
つまり、この流れは文字通り「決められた回答」だったのかもしれません。しかし、砕け散っていった彼らの「想い・祈り」は確実に幸祜ちゃんへと受け継がれて舞台に立っているのです。今後のMVでこの「蓮の花」の要素が再登場するかは分からず、これからはそうしたものには頼らない路線を切り開いていく可能性はあります。
しかし、「蓮」が持つ花言葉などの意味合いや、真水では綺麗に咲かず、逆に泥水であるが故にあんなに綺麗な花を咲かせるという特徴、はるか2000年前の蓮の実から芽が出て、そして花が咲いて品種として確立したりと、幸祜ちゃんの要素と合致する点は非常に多いです。この蓮の要素を考えたキャラクターデザイナーさんは凄いですね。
ギュラ2のライブレポにて「レイヴン・フリージア」は幸祜ちゃん自身を指しているとの解釈を示しましたが、これからは、もしくはこれからも「蓮」と「レイヴン・フリージア」の両花を胸に掲げて幸祜ちゃんは前に進んでいくのかもしれません。「蓮」は「君」からの贈り物なんです。
※完全に余談なんですが、蓮の[泥の中に咲く花]という要素から、ウォルピスカーターさんの「泥中に咲く」という曲が浮かびました。この曲を幸祜ちゃんが歌っているわけではないのですが、以前どこかの配信(幸福拡張部電脳科かな?)でこの曲についてコメントがきていたので触れていて、良いよね~(or好き)って反応を示していました。(幸祜ちゃんはウォルピスさんのファンでもある)
このウォルピスさんと[花]という要素に関連して触れると、幸祜ちゃんは「徒花の涙」という曲を歌っています。魔女たちが選曲する歌というのは、全部が全部そうでは無いとしても、なんらかの文脈が伴っていると昔から考えられている事なのですが、数ミリ程度の関連性はあるかもしれませんね。
https://twitter.com/koko__virtual/status/1421426643336187907?s=46&t=M5w94K_i9Cqrttoi_-A46Q
さて、最後に「閃光の彼方」という曲のタイトルについて考えましょう。「彼方」というのは「歌声 彼方へ」にあるように、「決められた回答」と「脆弱な面影」がいる「遠く」離れた場所のことを指しています。また、「歴史の彼方」という言葉があるように、「彼方」は<現在から遠く隔たった過去及び未来をさす>という意味もあり、これは過去と未来に意味がかかるのでしょう。
また、「閃光」は<瞬間的に発する光>とあり、これはMV内の演出にあらわれていました。それは、ラスサビ前の演出で、電子回廊のような場所で光の粒子が集まり「閃光」を放っていた部分です。
この光の正体は恐らく「脆弱な面影=幸祜・player1,2」が瞬間的に放った、決死の輝きなのだと思います。きっとこの「閃光」を頼りに、再び「私」と「君」は出逢うのです。
この「閃光」の類語として挙げられるのは「スパーク→逆絶」、「灯火→(強引ですが)夜光」、「月明かり→bliss」で、Feryquitousさんの他曲の要素とやや強引に関連付けることが出来ます。
また、「閃光」の意味はもう1つあって、辞書的な文言だと理解しずらいのですが、一番分かりやすそうな『ブリタニカ国際大百科事典』から引いてみると、<鉱物の結晶をある方向から見ると、表面からの反射光でなく、内部からの青白い光を観察することがある。これを閃光という。>とあり、MV中にあるキラキラとした結晶が舞うコンセプトは、この意味から来ているように思います。MV中にあるそれを「ダイヤモンド」のような、と説明するのが1番楽だったのですが、その閃光が見える例としてダイヤモンドが挙げられていないっぽく、長石などがあげられていました。なので、釈然としない説明になっていましたが、「結晶・結晶体」という表現に留めていました。
特にこの鉱物的な「閃光」の意味合いで注目すべき点は、<「表面」からの反射光でなく、「内部」からの青白い光>という所で、この「内部」からの光は「魂の輝き」とも形容できそうで、この輝きの一部には「幸祜・player1,2」のそれも含まれていると感じるのです。
そういうわけで、「閃光の彼方」というタイトルには、「彼方(過去、未来の意味も含んだダブルミーニング)」にいる「君」が放つ「瞬間的な光」であり、そんな「君」が放った「瞬間的な光」を内部へ取り込み、「魂の輝き」とすることで現在から遠く隔たった未来でも光り輝くという、幸祜ちゃんの「閃光」でもあり、いずれ幸祜ちゃんも過去の存在になってしまう中で、現在から遠く隔たった過去であっても克明に輝き続ける幸祜ちゃんを表しているのではないかな、と思います。特に最後の解釈は、幸祜ちゃんの衣装名が「星の名前」を冠することからも色々と合点がいくと思いました。
bliss
さて、この章で検討する曲はこの「bliss」で最後となります。
この曲は先程からも触れている通り、ライブ「PLAYER」のEDテーマであり、尚且つAlbum「prayer」収録の最後の曲にもなっています。いわば、この曲は2つの「1st」を締めつつ、幸祜ちゃんの一つの到達点を示しているものでもあります。
当曲で特出すべきは、曲の歌詞全てが「英歌詞」で構成されている点でしょう。加えて、この曲はFeryquitousさんと「英歌詞のタイミングやフェイクなど」を幸祜ちゃんが一緒に考えた、という背景があります。この話はライブ「PLAYER」の再配信時、EDで「bliss」が流れている時幸祜ちゃんがチャットにてこの事について明かしていました。(私もすっかり忘れていましたし、このことを知らない人も結構多いのではなかろうか。)
そんな背景から、「等身大の私とは何なのか」という疑問を下に、大沼パセリさんが幸祜ちゃんへのインタビューを経て作られた曲。いわば幸祜ちゃん自身の気持ちを明確に反映した「此処へ」という曲に対して、Feryquitousさんと一緒に(作詞作曲はせずとも)幸祜ちゃんなりにできる事、持っているこだわりを考えて曲に落とし込んだ、いわばFeryquitousさんと幸祜ちゃんの「共作」とも言える「bliss」という曲。この「共作」という点について幸祜ちゃんは
とコメントしています。
「此処へ」という曲は、幸祜ちゃんが「player」として再び立ち上がった後、自分を再び立ち上がらせてくれた一因である『「音楽」を通して伝えたい想い、そして”祈り”があります。』というMCの後、披露されていくことになります。これは「player」と「prayer」の二要素が重なり合った瞬間でもありました。また、その曲には幸祜ちゃんの「想いと祈り」がのせられているわけです。
一方、「bliss」はその二要素が重なり合った幸祜ちゃんが奏でる歌であり、それと同時に「一緒に音楽を”PLAY”する」という要素が加えられています。
「此処へ」と「bliss」という曲は、「player」・「prayer」の重なり合う要素を胸に抱き歌う幸祜ちゃんを前提とした上で、前者は「幸祜ちゃんの想いと祈り」がのせられた、より「prayer」の要素が強い曲であり、後者は「一緒に音楽をPLAYする」ことから、より「player」としての要素が強い曲だと位置づけられます。
以上、先のような楽曲の位置づけを踏まえた上で、実際に歌詞の方を見ていきたいと思います。さっきから散々と英語よわよわであったり、翻訳機頼りになってしまってごめんなさいだったり、訳してくれる方常時ィ募集中との喚起をしていますが、他曲の1,2フレーズ程度の英歌詞のようにさらっと翻訳していくわけにもいきません。何せ、全部が英歌詞なのですから。。。
そういうわけで今回の和訳に関しましては、できないならできないなりにということで、①LINE英語通訳②Google翻訳(写真読み取りで翻訳するタイプ)③「bliss」の歌詞が載っている歌詞リリのサイト内Google翻訳④DeepL翻訳ツールの、この4つの翻訳機を照らし合わせて取捨選択したものをここに掲載することにします。
その他、私が「bliss」の歌詞について考えていた際、ある程度英語を齧っている方からお言葉を頂いて、歌詞内の文法や単語の意味について少し違和感を感じる部分があったようです。Feryquitousさんは恐らくかなりの言語有識者である可能性が高く(例:作曲した曲のタイトルの造語の由来が凄かったなど)、今回私の力量不足でそこまで深堀することができず力不足を感じる次第ではございますが、今後MV化されるかも分からないですし、案外忘れられがちなこの「bliss」についての興味や関心が少しでも深まればいいかなと思い、頑張っていく所存です。
「重なり合う心」というのは、先に触れた「player」と「prayer」の二要素を感じさせます。また、この後の節に登場する「He」の心と幸祜ちゃんの心が重なりあっている描写なのかもしれません。詳しく次節で触れますが、この「He」という存在は先に定義した「幸祜・player1,2」を指していると考えています。(複数形じゃないやん←その指摘はやめやめろ!)
天候は雨、空から降る雨はまるで「涙」のようだと形容します。これは幸祜ちゃんの「涙」を表しているようにも感じたのですが、サビ中明確に「cry」という単語を用いているので、この描写はそれに当たらないかな、と考えました。
そうなると、この涙の出どころは恐らく「He」、つまりは「幸祜・player1,2」であると考えます。
やや壮大な話になりますが、「夜光を呼ぶ」の考察の時に、「幸祜・player1,2」(※夜光は「幸福修正局」の要素が強い為、特にplayer1の方)は歌詞中の「幽世偏光から」のこの「幽世」に存在している、と考えました。その意味とは<古代人が海の向こうのきわめて遠い所にあると考えていた想像上の国>だとされ、所在が海であることを確認できます。つまりは、この「幽世=海」からやがては雨雲を生み出し、雨(涙)を降らしているように捉えることが出来ます。しかし、この解釈は他のFeryquitousさん曲との関連性を見出したにすぎず、解釈的にはこの後説明する内容の方がまだ合点がいくと思います。
まず前提として、この「bliss」という曲には「キリスト教」的な側面が多く(まぁ英語表現だとそうなるんですかね)見られます。今後、そうした歌詞の部分や「bliss」というそもそもの単語の意味について確認していく内に、きっと読者の方々もある程度感じていく要素なのではないかな、と感じています。
ここでも力量不足を露呈しておきますが、私は少~~しばかり齧った程度で、キリスト教への理解は乏しいです。そのため、この曲はそうした宗教的視点を絡めて考察していく余地が残されています。
そうした宗教的解釈の違いから考えると、今回の場合「幽世」というより「天国」に「幸祜・player1,2」がいると考えた方が良さそうです。その天国から零れ落ちる彼らの涙が雨となって、幸祜ちゃんのもとに降り滴っていると考えられます。
また、「細い雨粒」を「霧雨」と定義付けた場合、注目するのは「霧」という要素です。「霧」と同じ現象である「霞」は、「春」に起こる現象であるが故にその名称を変化させます。対して「霧」は、割と季節問わず発生するのですが、秋の季語になっていることから通常は「秋」に起こるものだとされています。
だからといって「霧雨」のように「霞雨」とは言いませんが、こうした天候等の描写を勘案すれば、「bliss」の世界の中の季節は秋霧のピークである晩秋~初冬にかけてだと考えられます。
いきなり何言うてんねんこいつという感じなのですが、さらに補強していくと、後に出てくる「The bridge of light」という歌詞(→「天使の梯子」)は、<特に空気の澄んだ秋~冬にかけて>多く起こる現象であり、またこの曲の特に重要な要素となる「lunar eclipse」(→「月食」)は、特に「春」と「秋」が見やすい高さになるようです。その他、「The crescent moon」(→「三日月」)の見え方が「春」と「秋」で違う点、EDテーマとして流れたライブ「PLAYER」は2021年12月29日に開催されており、その前準備の期間に「秋」という季節が入ってくるだろうとの見方からも、まぁあながち的外れでもないんでないかなぁ~と思っています。(「春」猿火と「落葉」で「秋」、エモ猿火???)(蛇足すると、日本で有名な富山湾の蜃気楼は、春から夏にかけて起こるようです。「春」↔「秋」という点で、ミラージュコードと関連付けられるんすかね?知らんけど。)
初節から何だかごたごたしていますが、今回はこうした気象・天文学的な知識も漁りに漁っています。ただ、がむしゃらに漁るあまり出典を明記するのがおざなりになっていて、信ぴょう性に対して若干の懸念があります。ある程度信じられそうなサイトから引っ張ってくるよう心掛けていますが(例:JAXAとか)、話半分でざっと見てもらえると助かります。
話が飛んだので内容をまとめると、重なり合う心というのは「player」と「prayer」という二要素のあらわれであり、幸祜ちゃんが持っている「心」と、「He」=「幸祜・player1,2」が持っていた「心」が重なり合い、「私の中」に在るということになります。幸祜ちゃんが抱く「想い・祈り」の出発点とはどこからであったのか、それを知ることはありませんが、少なからず「He」という存在に対するそんな気持ちが「想い・祈り」を抱く理由になっていると思います。
そうなると、「player」は幸祜ちゃんが持ち合わせた要素であり、他にも要因はあるけれども、ひとまずは「幸祜・player1,2」に対する気持ちを汲み取ることで「prayer」というもう一つの要素を獲得し、それらが「重なり合う心」となって自身に内包するに至った、そういう感じで良いかと思います。しかし、天にいる「幸祜・player1,2」の涙であるかのように、幸祜ちゃんに霧雨が降っていきます。
この節は、亡くなった(と推測)彼のことを思いながら、幸祜ちゃんが「眠りの世界へ」と表すように、眠りについていく描写でしょう。亡くなる前、彼は幸祜ちゃんと手をつないで寝てくれていて、「暗闇の中」というワードからもそれが伺えます。「今でも」という表現から、彼が亡くなってから時間が割と経過していることが分かりますね。
また、彼にもし翼があるならば、その翼をはためかせて私の所まで会いに来てほしい、そんな彼との再会を望む幸祜ちゃんの姿が見えます。
さて、ここに文脈を落とし込むと、「He」を「幸祜・player1,2」だと捉え、暗闇の中でも幸祜ちゃんの手をつないでくれた存在だったと言えます。その「暗闇の中」というのは、今現在の姿である『幸祜』が形成されるまでの間、入る器の無い『魂』はまさに「暗闇の中」にいるかのようだったことでしょう。その暗黒とも言える中で、彼らは幸祜ちゃんに寄り添った存在だったのかもしれません。現実的な形に落とし込むなら、自身が産まれる前に亡くなった、自身の「兄姉」が産まれるまでの間、その産子をあやしていた。こんなイメージでしょうか。(この例えはあくまで私の想像の範疇で、実際にそういった例があるのかまでは調べていないのですが、なんかありそうじゃないですかこういうの)
また、「暗闇の中」というのは幸祜ちゃん自身の気持ちが沈んでいたり、失意の中にあった場合にも当てはまると思います。
先ほど、「幸祜・player1,2」は天に、つまりは「天国」に居て~、という論を展開させました。その論を補強するものとして、この「wings」、「翼」という単語に着目します。おおよそのところ、この「翼」は「天使が持っている翼」だと私は考えています。
しかし、「天使」という存在は神から生み出されたものであり、人間が天使になるということはないようなのです。ですが、「The thin raindrops are like tears.」という「雨と涙が伴う描写」から、2番目サビの「The bridge of light is coming down from the sky.」という、雲の隙間から太陽の光が漏れ、「晴れていくような描写」と、その現象の名称の1つとして著名な「天使の梯子」があるということからも、「翼」と「天使」は結びつくのではないのかと考えています。(「天使の梯子」については該当部分で詳しく触れていきます。)
このことから、たとえ「天使」(別存在?)に生まれ変わったのだとしても、その「翼」でもって再び私の所に会いに来てほしいのだと思います。
ただ、この「生まれ変わる」という考え方は、キリスト教的に考えるなら「新生」がこれに当たるようなのですが、古い自分から新しい自分へ生まれ変わるような意味合いで、そこに明確な「死」は挟まれないように感じます。ですがこれも、一種の「生まれ変わり」と解釈することが出来そうです。
訳では「喪に服して」と出たのですが、考えてみればキリスト教にそういった概念はないため、「弔意/弔慰」のうち、後者の<死者を弔い遺族を慰める>方の意味で採ります。あくまでも司祭たちがそれを行っているので、「弔慰」とするのが適当でしょう。恐らくその弔慰の対象となる人物が「He」、つまりは「幸祜・player1,2」であると推測します。
この「整列」というのは、2番目のサビで「司祭たちが祈りの歌を歌う」という描写へと繋がっていき、それを歌う準備をするため整列する、聖歌隊のようなイメージでしょうか。
「破壊の音が平原に轟く」というのは、この「He」が亡くなった原因を生んだ現象を指しているのでしょうか。この辺はよく分からないのですが、私としてはこの「破壊の音」が「鐘の音」を表しているのではないかと考えます。
教会(と一口で言っても色々な宗派があるとは思うのですが)では、「お告げの祈り」を「朝・昼・夕」に行う際、その祈りの時刻を知らせる「お告げの鐘」が鳴らされます。その祈り、もしくは鐘のことを「アンジェラス/angelus」と言い、まさにこの言葉は「天使」を意味しているようです。
こうした描写は絵画でも表現されていて、代表作『落穂拾い』などで有名な19世紀のフランスの画家、ジャン=フランソワ・ミレーの『晩鐘』がこの一場面を印象的に描いています。(ここら辺コトバンクより)
(詳細な地名は省きます)この絵画は、ある平原に晩鐘が鳴り響き、それを合図に農民夫婦が手を休め、「主の御使い(Angelus Domini)」で始まる祈りを捧げる様子を描いた作品です。(Wikipedia参照)
さて、そのような絵画作品によってイメージの補強をしたところで、改めて整理していきましょう。
この「破壊の音」はそのまま「鐘の音」の意味として考えることが出来るのか、この後出てくる「the cathedral(大聖堂)」の鐘が(破壊の音の原因によって)失われ、惜しむらくはこの「破壊の音」でもって鐘の音の代用とし祈りを捧げている、そういう描写にも見えます。
そうして、祈りの時刻を知らせる「破壊の音」が鳴り、司祭たちが弔慰をするため、祈りの歌を歌う準備をしています。
この祈りの時刻というのは「朝・昼・夕」があると先程触れましたが、先程の絵画作品の『晩鐘』という意味の通り、この「bliss」内での祈りの時刻は「夕方」であると考えられます。それはこの後の歌詞で、この曲の鍵となる「lunar eclipse(月食)」を幸祜ちゃんが見ているからです。
このように、祈りを捧げる準備が為されていく中、幸祜ちゃんは「He」、つまりは「幸祜・player1,2」に対して涙を伴って再会を願いました。
「贖罪」という言葉も、これまたキリスト教で用いられる宗教用語ですね。ただ、この場合は深入りせずに<犯した罪に対して償いをする>の解釈のままで良いと思います。幸祜ちゃんの曲にはやはりこうした「罪」に関する表現が多いように感じます。この曲の1番目の「贖罪」は、ラスサビ時のニュアンスとはまた違ったように感じるのですが、一体どんな罪を犯したのでしょうか。
やはりその償いをするという矢印の先には「幸祜・playe1,2」がいると思うんですよね。今在る『幸祜』としてのデザインが採用されてしまえば、勿論他のデザインは採択されませんし、そもそもな話、その2つプロジェクトは完全に実らなかったということもあります。
しかし、『幸祜』という存在を生み出すにあたって始まったプロジェクトがそういう終わり方をしてしまうのは、ある意味で『幸祜』というプロジェクトが彼らを生み出し、(勿論不本意ながら)そして亡くなっていった、そうした生殺与奪の権を有していたとも言えます。とは言っても、これは直接的に幸祜ちゃんに降りかかる「罪」というわけではありません。
ですが、Pさんが書いたnoteをアップしたツイートの引用RTで、
と語っています。もちろん、この話の内容の趣旨は、実はV.W.Pメンバーの中で最初にPさんと会っていたのは幸祜ちゃんだった~という意味での「輪廻」なのですが、これは「幸祜としてのデザイン」に関しても言える現象だと思うのです。
だから、幸祜が『幸祜』として生まれた時、幸祜ちゃんは彼らの魂を背負って生きていかねばならない、そうした背景があるのだと思うのです。こんな解釈はデリケートすぎますし、与太話にも程があるのですが、この「罪」というのは何なのかということについて考える際、私はそういった内容を思い浮かべてしまいます。こうした「罪」の描写は、例えば「夜光を呼ぶ:観察の咎人」、「閃光の彼方:重ねた過ち」といった歌詞にも見ることが出来ます。
「アリア」というのは、「レイヴン・フリージア」にある『雨の中響くこのアリア』という一節を思い浮かべますね。「この」アリアとしていることから、恐らく幸祜ちゃんが歌う形態を「アリア」と形容しているように感じます。これと意を同じにするならば、大聖堂の中に響き渡る「贖罪のアリア」というのは、幸祜ちゃん自身が歌を歌っているあらわれなのでしょうか。
ちなみに、「アリア」という意味には「G線上のアリア」に代表される<叙情的、旋律的な器楽曲や楽章>を指す一方で、<オペラ、オラトリオ、カンタータなどの中の、旋律的な独唱部分>という意味もあります。
自然に考えるなら、やはり「独唱」として歌う幸祜ちゃん、という形がしっくりきます。(実際にYouTubeで調べて両者の「アリア」について聴いてみました。どっちも凄いですね(語彙))
その後、①三日月が光を消し②月食に至っている、という描写を見ることが出来るので、これは月が欠けていく経過を表しているのでしょう。その経過から推測するに、月面の全部が欠けて見える「皆既月食」を幸祜ちゃんが見ていることが見て取れます。
また、「bliss」の中の世界の時間軸が地続きであるならば、2番目の「The bridge of light is coming down from the sky.」によって空が晴れていくまで、1番目冒頭部分の「The thin raindrops are like tears.」という、霧雨の状態がしばらく続いているということになります。もしかすると、空模様が悪いためにこの「月食」を鮮明に見ることが出来なかった可能性があります。
霧雨が降る中「幸祜・player1,2」の「涙」とも言い表せるようなそれを体に受けながら、幸祜ちゃんは月食を見て何を想ったのでしょうか。
この節の歌詞は曲の最後の部分でまた出てくるので、詳しい話はそちらに持っていくのですが、この「月食」も空から零れる「霧雨」と同じく、「He」を表す要因の1つだと私は考えています。もっと言うなれば、その「He」は「月食」を構成する「月=三日月」だと思います。
そこら辺の説明はまた後ほどするとして、この「bliss」の1番目の感情の流れを抽出すると、天国にいる「幸祜・player1,2」が霧雨を伝って涙を流し、再会を祈る幸祜ちゃんにも涙が見られる。幸祜ちゃんが贖罪のアリアを奏でる中、彼の象徴たる三日月の光は消え、そして皆既月食へと成るも、未だ止まない彼の涙によって、鮮明に月食が見えそうにない。そんな月食を見て、幸祜ちゃんは余計寂しく、そしてより一層悲しい気持ちになった、という感じなのでしょうか。霧雨という天候状況の中、日が暮れて暗くなっていくことも一層その雰囲気を醸し出していると思います。
この1番はそうした景色の描写と、故人を想う生者、世界に取り残してきてしまった生者を想う故人とで、悲しみが「重なり合う」。そんな様子がうかがえるのではないでしょうか。
※進捗を投げ出したため、ここからは和訳した歌詞を載せ、どういうことについて触れたかったのかという点についてちらっと書きます。
ここからは、私が歌詞を考える上でメモした部分の写真を載せつつ、特にこういう点について触れたかったという点について書いていきます。
私が「bliss」について考えた時、細かな和訳もそうでしたけど、特に歌詞に出てくる「he/you」を同一存在と解釈するのかしないかがまず問題になりました。結果として、かねてより文脈に乗せていた「幸祜・player1,2」の存在を「he」として捉え、おこがましいのだけど、「you」を私たち観測者だと考えることになりました。
また、もう一方で大事になってくるのが、強調されている「lunar eclipse」という存在とは、それを見る行為とは一体何を意味するのかしきりに考えていました。
「月食」という現象は、「日食」に比べればその発生頻度は低いものの、月が見える場所にいれば地球のどこからでも観測できる点が特徴的です。実際、去年月食が起きた際に多くの人が目にしていましたし、この曲のこともあって、この現象を見ながら幸祜ちゃんは何を考えたのだろうと、思いを馳せてもいました。
また、これは私個人のイメージだったのですが、幸祜ちゃんのカラーリングからして彼女を表すのは「日食」の「ダイヤモンドリング」という現象がピッタリだと勝手に思っていました。ただ、この「bliss」にある通り日食ではなく「月食」が歌詞に登場しており、当初はなんで月食なのだろうと疑問に思っていました。(「Dear」にある歌詞の描写やエトピリカ衣装の赤みからして、月食こそ解釈通りの現象だと考える人もいるかもしれません。)
しかし、どうやら「月食」の時においてもその「ダイヤモンドリング」の現象は起きているそうで、理論的にも実際に撮影した形でも、月食時に月から太陽を見れば、地球によるその現象が起きているそうです。つまり、月=「幸祜・player1,2」から見た「ダイヤモンドリング」とは、「I(幸祜、地球)+you(太陽)」によって形成され輝いているんだなと思い、勝手に一人でしみじみしていました。
そういうわけで、他にもメモ用紙には色々書いたのですけど、現時点で捻り出せるのがこのくらいだったのでこの辺で。
2番目以降の歌詞の文脈はフッ飛ばしていますが、簡単に説明すると、「bliss」とは「夜光を呼ぶ」・「閃光の彼方」に続く「幸祜・player1,2」に向けた歌であり、PLAYERのEDテーマでありつつも、「prayer」として成った幸祜ちゃんが捧げる「祈りの歌」であり、特にそれを捧げる相手こそが、幸祜ちゃんの前身形態であり、閃光の彼方のライブ演出で傍らにあらわれた「幸祜・player1,2」なのではなかろうかと考えました。
全力のお詫び、途中で投げ出して本当にごめんなさい
こうして「bliss」の考察を締めた後、当初の予定ではこの流れのまま、PLAYERのMCで幸祜ちゃんが触れた「音楽を通して伝えたい想い、そして祈り」という点について考え、その後、「逆絶」に行く前に若干V.W.P系譜曲の「秘密・定命」についての文脈を拾い、最終的な集大成を吸い取って「逆絶」について考える予定でした。ちなみに、私は文章を起こしながら歌詞を考察していくので、逆絶の考察に関しては全くの白紙状態です。
流石に、一つの紙面で一気にこれらを消化していこうと思ったのは浅はかにも程があり、体力が持ちませんでした。今回のこの締め方は、最後まで走り切らずに途中で投げ出して逃げてしまうことに変わりありません。どうかこんな不出来な私を罵ってあげてください。。。
道半ばで折れてしまいましたが、ここまでの私の思考が何かの参考になれるのならこれ幸いです。ありがとうございました。ほんとにごめんなさい!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!