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四万十川ウルトラマラソン完走体験記⑧
(→⑦から)
念入りにケアをした後、13時10分ごろレストから出発。
あと38㎞余り。
日の出前から出発したが、すでに日は高くなり、日差しも強くなっている。
ここからは、体力の消耗も激しくなっていくだろう。
しばらく徒歩で足の様子を確認したのち、再び走り始める。
レスト地点からはしばらく景色も単調になっていく。
日差しを遮るものもない道のり。
暑さもあり、だれやすくはなってくる。
周りにも明らかに歩く人が増えてくるのが、このころからである。
ここから80㎞ポスト辺りまでが、一番中だるみというかモチベーションが落ちやすい区間だと思う。
「65㎞ポストに行けば、残り35㎞。70㎞ポストに行けば、後30㎞。そうなると先が見え始めるよな。」
とにかく、70㎞ポストを超えたい。
そう考えながら、ひた走る。
炎天下であるが、未だ1㎞6分台も出る。
「まさかここまで持つとは思わなかったな。自分でも信じられない。」
「このペースで、80㎞辺りまで持ってくれたら。」
そう願いながら、走る。
各レストで補給は必ず行い、被り水も入れ始める。
冷たい水を被ることで、氣合が入る。
とにかく脚を攣らせないこと。頭がクリアな状態をキープさせること。
脱水状態だけは絶対に作らないこと。
これまで失速してきた経験を頭に入れ、確実に残りの距離を減らしていく。
68㎞ポスト過ぎ。
コースの名勝である、岩間沈下橋が見えてくる。
美しい四万十川の流れ、川から吹いてくる氣持ちの良い風。
やはり脚を止めてしまう。
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高知放送のドキュメントで出ていた、沈下橋にうつぶせになり「泳ぐ」しぐさを動画に取る女性。
今年も同じことをしていた。
横目にして、沈下橋を渡っていく。
女性の屈託のない明るさ、元氣に少しホッとする。
周りが苦しくなってくるときでも、笑顔でいられること。
中々私には出来ないが、そんな人にも引っ張られて私の力が引き出されているのかもしれない。
そう思う。
沈下橋を超えると緩やかな長い上り坂になっており、少し歩く。
隙あらば、ついつい歩きたい氣持ちが強くなってきている。
もうすぐ70㎞ポスト。
その先には71.3㎞地点の第4関門が控える。
風を受けながら橋を渡ると、71.3㎞地点が見えてくる。
2016年にリタイアした箇所である。あの日は雨が降り出していた。
今年は晴天に恵まれている。
関門閉鎖時間は15時40分。
そこを14時30分ごろに通過する。
まあまあか。
次の第5関門は79.5㎞地点。
「そこまで行くと80㎞に到達し、残りの距離は20㎞を切り、10㎞台になっていく。」
「日頃軽いランニングをする距離になってくると、より走るイメージがしやすくなる。」
そう思い、第5関門に向けて走っていく。
とはいえ頭でそれはわかっていても、やはり体がこの辺りから動きにくくなってくる。
日差しも容赦なく照り付け、暑くなる。
70㎞過ぎから80㎞辺りにかけて、ついにペースがばらつき出してしまう。
少し歩きを入れたりしていってしまう。
甘ったれた自分が顔を覗かす。ここからが本当にしんどい区間に入ってくるのだ。
これまでの何度となく自分に負けた区間。
ダラダラ歩き続けてしまいそうな自分、誘惑に負けてしまいそうな自分に、再び喝を入れて走る。
エイド地点での被り水で氣持ちを入れなおす。
その繰り返しとなる。
これまで刻んできた、1㎞6分台ペースと9分台ペースが混じる。
明らかにこの辺りからは、そんな自分の心の揺れや、葛藤が見えるラップになっている。
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とはいえ、この79.5㎞地点到達近辺は1㎞6分台ペースで進む。
第5関門の79.5㎞の閉鎖時間は16:42
80㎞ポストへの到達は15:30頃となった。
この80㎞ポストの到着には正直安堵した。
脚もある程度残した状態で、80㎞まで来た。
次の第6関門は86.9㎞地点。閉鎖時間は17:48
よっぽど大失速しなければ、完走できる可能性が高まってきた。
残りの距離も10㎞台になる。
80㎞ポストを超えてから、そんな氣持ちの余裕もあってか、少し歩いてしまう。
手元の時計での81㎞、82㎞のラップは9分台に落ち込んでいる。
歩いていると、後ろからおじさん2人の話し声が聞こえる。
「ここまで来たらよっぽどタラタラ歩かんかったら、ゴールできるよ。」
「うん。完走は大丈夫やな。」
(そうか。もうある程度歩いてもいいか。)
一瞬私にもそんな氣持ちが浮かび上がる。
その声は、自分の弱い心を刺激してくる。楽なほうに誘惑してくる。
でも・・・。
思った。
俺はここに走りに来たんじゃないのか。
ここから歩き主体でギリギリゴールしたところで誇りに思えるだろうか。
力を振り絞らず、完走したとしてそれに価値があるか。
走れるのに走らない。そうすることで、何か自分の氣持ちの中にある、大事なものを失いはしないだろうか。
もう一人の「俺」が睨む。
「駄目だ!俺は走るんだ!走りたい!」
再び氣合が入る。疲れて緩みかけた自分に再度ムチを入れる。
自分の先に続いている道を見据える。
「行くぞ!」そう小さく自分に対してつぶやく。
腕を振る。また走り出す。
日も陰ってきて、再び走りやすい気温になってくる。
85㎞ポスト以降、再び走りに1㎞6分台が混じり始める。
「前に 前に 進め」
先を行くランナーのTシャツの背中のロゴが見える。
そう。前に進むんだ。自分の青信号を灯し続けよう。
残りの距離が、15㎞、14㎞と減っていく。
「さあ押していこう!」「攻めよう」自分を鼓舞する。
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「ナイスラン!!」沿道の声援が私の背中を押す。
風を切る感覚で走っていく。
86㎞ポストあたり。
あと14㎞
とうとうゴールまで14㎞を切った。
夕暮れが近付いている。
日の出前から走り出し、また日が沈んでいこうとしている。
傍らの四万十川は静かに流れる。西日に照らされ、金色に水面が煌めいている。
走りながら力が湧いてくる。
無性に何かがこみあげてくる。
「もう少し あと少しで 本当に俺は完走できるんだ」
これまで取り組んできた練習。
悔しかった過去のレース。あと一歩で間に合わなかった完走。
今日ここまで走ってきた道のり。
色んなことを思い出し、想いがこみ上げてくる。わけもなく涙があふれそうになる。
その想いに沿道の声援が重なり、視界がぼやけそうになる。
「まだ完走していない。成し遂げていない。感傷的になるな!」
自分を戒める。
14年前の2010年
初めて100㎞に無謀に挑戦し、無惨に56.5㎞地点でリタイアした26歳の自分。
不思議に「もうやりたくない」とは思わなかった。
その場を離れることができなかった。
「俺だって、いつか100㎞を走り切ってみたい。」
「足りなかったあと40㎞余りを通れるようになりたい。」
情けないくらい、おかしいくらい棒のようになった脚。
まともに歩く事さえできない、そんな脚の痛みを抱きつつ、そこにある景色、感じたものを通して確かにそう思った。
「いつかは」
100㎞を走り切りたいと思った自分の心の本当の原点。
その灯がともったのは、初参加の14年前だと思う。
走っている人の姿。
あきらめずに、投げ出さずに、粘って100㎞の距離を前に進み切る人を目の当たりにして
「強い」「かっこいい」と思い、憧れた。
純粋にそうなってみたい。と思ったからだ。
それは40歳になった今も変わりない。
そこから、2度にわたって跳ね返された私の挑戦。
それでも、「やっぱりここを走り切りたい」という強い思いが消えることは無かった。
あの14年前に見た走り切る人たちの姿が、今の私をまだ突き動かしているのだ。
フルマラソン(42.195㎞)の完走者の内、ウルトラマラソンを完走できる(する)者はその3%しかいないらしい。
ウルトラマラソンの完走は、誰でもが簡単に成し遂げられることではない。
フルマラソンなどで見られる、コスプレ・着ぐるみなどで走る人の比率もガクッと下がる。
多くの人にとり、真剣じゃないと走り切れない距離なのだ。
だから憧れる。やりたくなる。
最初に参加した時から、この四万十のレース全体を包み込む独特の空氣が好きだったんだよなあ。
決して「走るだけ」「変人」「マゾヒスト」ではない。
そこを通った者だけがみられる特別な景色、感じられる想い、得られるものがある。
それが四万十川ウルトラマラソンなのだと私は思う。
そんなことも回想しながら距離を刻んでいく。
走るコースの脇で苦しみ、嘔吐をしている人が見えた。
100㎞の後半。皆それぞれの痛みをこらえて、しんどさをこらえて魂で前に進んでいくのだ。
安易な励ましは要らないし、意味を成さない。
ボクサーと同じで、本人が前に進もうとする意志がある限り、タオルを投げない限り、誰にも止められない。
100㎞を前に進み続けることは、生半可なことではないのだ。
身が引き締まる。
そんな場に立てている。立っていることを、改めて誇りに思う。
そして思いなおす。「今回何としてもやり遂げる」と。
氣力と残る力を振り絞る。
下りの勾配を駆け下りていく。
86.9㎞地点の第6関門の閉鎖時間は17:48
16:20頃に通過する。まだ日は明るい。
沿道の声援が「お帰り!」に変わりはじめる。
ゴールは確実に近づいてきているのを感じる。
何とかここまでゴールを手繰り寄せた。
そんな感覚を持てる地点まで来た。
「よくやった!」そう思い自分自身を乗せていく。
「もうすぐだ」そうつぶやき、自分を励ます。
あと残す関門は2つである。
次の関門は93.9㎞地点にある第7関門 閉鎖時間は18:46
そして、もう一つの関門は・・・5年前に忘れ物をした、最後の第8関門
閉鎖時間は19時半だ。
(→続く)