自分史①~少年時代
少年時代
勉強がうまくなりたい。遊びがうまくなりたい。走るのが速くなりたい。
ふみあきは、そんな欲がない子供だった。
一方でステージに立つことや、人前で発表することは妙に抵抗がなかった。
幼稚園のお遊戯会での司会、歌唱、発表。周囲が緊張して小声となり、日ごろと別人となってしまう中、ふみあきはそんなことを気にしなかった。
注目を浴びることが快感だったのだろう。
向上心はないが注目されたい欲はある。そんなアンバランスを抱えながら、ふみあきは成長していくことになる。
小学校に入ってもその傾向は変わらなかった。
この精神性は自分で考えても非常に謎である。
普通注目されたいのなら、手段や戦略を考えるはずなのだ。
地道な練習による上達、人の心をつかむこと。そんなステップを設定するはずなのだが、ふみあきは違った。
何となくふわっとした子供というか、とにかく自分中心にものごとを考えていたように思う。
そんなふうだから、上達欲を発揮する機会がなかった。
ヤマハエレクトーン、スイミングスクール。親からの提案でいくつかの習い事には通ったものの、内発的な動機がなかった。受動的に通ったこともあるのかもしれないが、どうやったらうまくなるのか。と自分で突き詰めることはなかった。
半面で人前でやるときには、恥をかきたくない気持ちは非常に強かった。
この思考もアンバランスである。
恥をかきたくないから練習する。とはならないわけだ。
こうなると非常にめんどくさいヤツである。
親や指導者も「こいつは一体何なんだ」と思ったのではないだろうか。
見方を変えると、ふみあきは自分の関心ごと以外は全く無頓着。
快か不快か。順を追って考えを組み立てることがとても苦手な子供だったのではないか。
だから幼稚園から中学校と友との記憶。チームで何かを組み立てた嬉しさのエピソードが、他人と比較すると薄いような気がする。
印象的なエピソードがある。
小学校3年生のときだったか、コマ回しがはやったことがあった。
学童に入り、2学年下の弟かずと などはコマの技術を高めるべく血道をあげて練習に励んでいた。
弟のかずとは、自分の存在を忘れるくらい熱心に取り組んでいた。
同級生のヨシダ君やタムラ君も同じで、粗大ごみで捨てられるはずだったコタツの机を前に、コマのひもを使った高度な技に挑戦していた。
普通、そんな環境ならば「俺もやってみよう」とか「技術を教えてもらおう」とか、そんなふうに考えるだろうが、ふみあきは一切その輪に加わることはなかった。
だが、なぜかふみあきは所有欲だけはあった。
コマは近くの駄菓子屋で色んな柄のコマが販売されていたが、おこづかいを持って買いにいった。
あまり大きな声では言えないが、親の財布からお金をこっそりと抜き取って買いに行ったこともある。
学童でのコマの流行が、学校にも波及したとき多くの人はコマを持っていなかったが、30個くらいのコマが入った袋を学校に持参して注目を浴びたことがある。
別に所有しているだけであって、何もすごいことではないのだが、驚きを浴びたことにご満悦だったことは覚えている。
見方を変えると、ふみあきは失敗を恐れたり、恥をかくことについて過度な恐れを持つ臆病な少年だったのだろう。
一方で効率的に注目を集めることを考える、打算的というかずるい少年だったのかもしれない。
そういえばふみあきは小学校4年生のとき。運動会の踊りで日本の祭りを再現することになり、ねじり鉢巻きやたすき掛けの小道具をつくることになった。
全く工作に関心がわかず、学童でも取り組んでこなかった分野。
簡単なはずなのであるが、ふみあきが作るものはヨレヨレの見てくれで全くまとまらない。一人だけできない。
癇癪を起しそうになる。
自分は泣きそうな顔をして、隣にいるシバヤマさんに助けを求めて作ってもらうことになる。
こんなふうにして困ったふりをして、苦手分野を助けてもらうことも実は自分は上手だったのかもしれない。
ある意味省エネ人間だったのかも。
学童の工作なども、ゴネたりすれば最終的には誰かに手厚く助けてもらえる。サポートしてもらえる。
そんな他人の善意を利用していたというか、欠陥のようなところがあった。
もしかしてサラリーマンになって、うまくいかなかったのも深層的にはそんな心理があったのかもしれない。
「一番手こずっていたら注目を浴びられるし、絶対ヘルプが入る」と。
ある意味悪い方向でも、良い方向でも、自分の利得のために注目を集めることを心得ていたというか。
そこには向上心が発生することはありえなかっただろう。
どうしてそんな性格が形成されたのかは謎だが。
もしかすると長男として期待の反面、母から多数のダメ出しをされて育ったこともあるのかもしれない。
あとは、どこかで次男のかずとに勝てっこないと思い、別の形で注目を浴びるための手段だったのか。
次男のかずととは、喧嘩しながらもともに遊んでいたが。友達の作り方、手先の器用さ、探求の仕方。
あらゆる面で勝てっこないと感じていたことは事実だ。
美術や絵画での独創性、表彰。ふみあきよりもかずとに注目が浴びることが多く、どこかひがみがあったのだろう。
勝てるのは力くらいだった。
かずとは、兄貴と相撲を取ったことが記憶に残っていると後年語っているが、どこかその相撲には半ば腹いせ的なものもあったのだと思う。
力の誇示というか。ふみあきはその力をどこで発揮すればいいのか。
すでに鬱屈した状態でさまよっていたところがあった。
少年時代にふみあきが好きだったことは電車を見ることだった。
団地の横を走っていた阪急電車。走り去っているところを何となしにぼーっと見ていることが好きだった。
特にアカシアというスーパーの横の駅がよく見えるスペースは、多くの電車が行き交っていく。
ふみあきの最寄り駅は、X字型の配線になっていて、京都、千里、梅田、天下茶屋と色んな組み合わせで電車が発着していく。
15分に1回。屋根周りのところに、白い塗装を施した特急が警笛を鳴らしながら颯爽と通過していく。特急はほかの電車とは異なり、専用車が使われていた。レールに垂直に二人掛けの座席が並んでいて特別感があった。
あの電車に乗って、遠くに行きたいな。そんなぼんやりとした憧れを抱かされた。
小学校3年生のときだったか、プリペイドカードを手にして一人で京都まで行ってみた。
思えばませたヤツだった。最寄り駅に止まらない特急電車に乗り、京都まで。
小学校の自分にとって、京都は遠い街で、ドキドキしながら行ったのを覚えている。
見知らぬ大人に囲まれて。
自分にとっては、折り返して帰ってくるだけなのだが大冒険だった。
子供ながらに知らない場所に行く。一人で遠くに行くことが好きだった。
その時間は自分にとって、解き放たれ自由になれる時間のような気がしたのだ。
あとふみあきの好きなこととしては、昆虫観察だった。
茂みや草むらに立ち入り、無心に昆虫採集をするのが好きで。
夏になれば、朝早くから虫取り網を手にして無心に虫を追いかけた。
仲間で何かをするとか、どこかに行くのではなく、自分の感情の赴くままに、好きなところに行く、熱中する。一人が好きな子供だった。
電車好きでは同学年で、コウチ君という友達がいたのだが、彼とも電車に乗って一緒にという体験はしたが、あのころは確実に単独でどこか遠くに行くのが好きだった。
人間関係の煩わしさや、コンプレックスから逃避する。一人で没頭というか彷徨う。
その感覚がハマったというのか。
たまたまかもしれないが、今も遠くの場所に一人で出張するとき。
あの少年時代の感覚をふみあきは思い出すことがあるのだ。
⇒続く