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プラハの犬と新メンバーのリンリンさん「プラハの高級住宅街に朝っぱらから餃子を炒める匂いがするよ」~LOLOのチェコ編㉑

(ヘッダー画像は「写ルンです」で撮った写真:))

 朝、起きて紙の山や衣服の山で散乱した居間へ降りて行くと、ソファーの裏から何やら荒い息遣いが聞こえてきます。何だろう?犬のジェームズボンドです。

「ぎょっ」
 ボンドはくしゃくしゃになった私のストッキングに乗っかり、腰を振りながらゼーゼーハアハア言っているではないですか。

 このストッキングは前日の夜に洗面室のかごに入れていたはずなのに、発見して口で咥えて持って来たのでしょう。確かに日本製のストッキングは質感がいいので、犬がメロメロになるのも分からないまでも…いやいや、分かりません。

 犬と言えばプラハに訪れたことがある人なら誰もがご存じですが、この街は犬だらけです。
 モスクワは飼い猫の方が多い気がしましたが、多分プラハでは飼い犬の方が多いかもしれません。(飼い主が猫を散歩させることは稀なので、犬の数との比較が難しい)

 ロンドン、パリ、ブリュッセル、ベルリン、ウィーンなどでもそうですが銀行や郵便局に寄っても、バスやトラムに乗っても犬連ればかりです。

 日本のメディアやSNSでも、このことは多く取り上げられていますが、非常に残念なのは、その多くが
「チェコは愛犬家の多い国」「街中にお利口な犬が多い」などの面しか触れていないことです。

 注目すべきなのはそこじゃありません。
 至るところに飼い犬だらけなのに、生体展示販売のペットショップが皆無であることと、純血統犬にこだわる飼い主が主ではないことです。

 チェコも西ヨーロッパや北米のように犬が欲しければ人づてで回ってくるか、または繁殖家から直接購入しますが、日本の繁殖家のように犬に酷使させ強制発情を強いり、ばんばん産ませていません。日本では、バックヤードにいかに苦しんでいる繁殖犬猫がいるかということです。

 私自身がそういった人々に実際に会い繁殖現場を見て、強制繁殖をさせられ続け体もメンタルも傷ついている犬を、私本人が自分の目で見て助けてきました。
 ホームページでは素晴らしい犬舎に見えても実態は、、、ほとんどそんな所ばかりでした。

 実際に日本のペットビジネス自体がめちゃくちゃなので、だからヨーロッパのブリーダーが日本(アジア)の業者(ブリーダー)に子犬子猫を渡さないことも珍しくありません。

 それにチェコといおうか、私が実際に見て調べた限りベルギーやドイツなどでは繁殖屋の質も高く、例えば遺伝子についての専門知識の持ち合わせは当たり前です。それに繁殖犬が重篤な病気になればしっかり治療も受けさせています。

 それから、例えば雄も雌も5歳くらいで引退させ、雌は生涯に二回のみしか出産させないなどルールがあります。ですから、子犬が欲しくてもすぐに入手できなかったりします。

 これら当たり前のことをしているブリーダーは日本ではごくごく、ごくわずかです。ゼロとは言いませんが、本当に少数人です。

 それにチェコなどのヨーロッパでは飼い主資格審査がとても厳しく、少なくとも日本のように老人や外国人留学生にまで売りつけていません。

 日本では、そのせいで老人や留学生たちは置き去りにした犬を保護ボランティアたちが必死に助けているのに、ペット業界は素知らぬ顔です。

 ヨーロッパでは欲しくても、そう易々子犬が手に入らないものなので、人々はわりと外国からも保護犬を迎えています。

 私の友人のチェコ人は四年前に、アメリカの保護団体が中国で保護した『食用』トイプードル(毛色はやはりレッド)を引き取りました。中国からの運搬渡航費用は里親持ちです。

 とにかくです。犬の作り方、繁殖犬の置かれている環境状況、売り方、引き取られ方も飼われ方もどう見ても、ヨーロッパおよびチェコは日本よりはるかに進んでいました。

 そう、一般的にはチェコでは飼う側のレベルも高く、例えば基本の基本といえばそれまでですが、大型犬でも室内飼いが当たり前で、小型犬だってケージに押し込めない。

 それにです。今では日本でも犬を長時間留守番させる時はドッグシッターや誰かにお願いしたりしていますが、チェコなどでは大昔から七、八時間以上毎日一匹で飼い犬を留守番させていません。虐待と見なされます。

 シニア犬や愛玩犬の首輪をぐいぐい引っ張ったり、特にシニア犬を走らせたりせず、犬の歩調に合わせ心臓と腰に負担がかからないように優しく歩いてあげています。

 一方で、割と簡単に安楽死させるな、と思うところもありますが、それでもやっぱりヨーロッパは犬との付き合い方の歴史が違います。

 チェコはついこの間まで共産国だった東ヨーロッパの貧しい国で、民主化され十年たっても「まだまだ」という感じで田舎でした。

 しかしです。それでもチェコは福利厚生の面で日本よりずっと先進的で、動物愛護についてだってはるかに進んでいるのは認めざるをえませんでした。日本は戦後半世紀以上たっているのに、民主化になり十年ぐらいのチェコにそれらが負けているのです。

 とにかくプラハの街中を見ていると、犬連れだらけですが、まだ一歳の犬でもしっかり前を向いて無駄吠えせず歩けることが多く、これはもう飼い主やトレーナーのレベルが日本とは全然違うからだ、としか思えませんでした。

            §
 飼い主と犬が呼吸を合わせてリズミカルに歩いている…
 プラハでは一般的な光景でしたが、ところがです。ミロシュ氏と息子さんのルドルフと飼い犬の中型犬ジェームズボンドの散歩はてんやわんやでめちゃくちゃでした。

 ボンドは興奮しすぎているため言うことを何も聞かず、全ての雌犬に飛びかかろうとするからです。時には雄犬にもアソコを膨らませ、ぜえぜえはあはあ息遣い荒く突進しようとします。

 この理由は明白です。ボンドが去勢をされていない、異様にホルモンの分泌の多い雄犬だからです。放置しておけば前立せん肥大になるのも確実です。
 よく吠えて発情の多い雄犬はほぼ百パーセント(私の見てきた経験)で前立せん肥大になりますから。

 だから当然去勢をするのが最優先であると思われるのに、ミロシュ親子は
「男として可哀そうだ」
 とむきになって訳の分からない反論をしてきます。この件ではそれまでも獣医やドッグトレーナーと口論してきたそうです。

 ミロシュ氏はボンドを去勢させ大人しくさせることをしない代わりに、犬散歩時にSM用の鞭持ってきて、バンと振り回すことをやっていました。

 実際にボンドの身体を鞭で打つことはなかったけれども、当たるか当たらないかのところでそれを振り回し、道路に激しく鞭を叩きつけるのでず。
 威嚇で怯えさせ、恐怖で大人しくさせようという考えです。言うまでもなく、立派な虐待ですし完全に間違っています。

 案の定、何度も近所の人に愛護団体や警察に通報されているものの、実際に暴力をふるっているわけではないのと、息子のルドルフは鞭を振り回していない。そのルドルフがメインの飼い主で、日頃の散歩も息子の彼がやっていること。

 よってボンドを愛護団体に取り上げられるほどにはまだいっておらず、注意だけで済んでいました。

「ミロシュさん、やめてください」
 一緒に歩いている人がSMプレイ用の鞭をぶんぶん振り回しているのも嫌です。
「大丈夫大丈夫」
「大丈夫とかではありません」

 ミロシュ氏と私が口論していると、ゴボウのようにがりがりで青白いルドルフがうっかりボンドのリードを離してしまいました。すると案の定です。

 ボンドはそばにいたラブラドール雌犬に突進し乗っかりました。犬同士が一度合体しちゃうと、もう引き離すのは難しいです。引っ張っても無理なのです。

 向こうの犬の飼い主は年配女性でしたが、当然のごとくカンカンに怒っています。ものすごい勢いでまくしたててきました。
 ただしそっちのメス犬もヒート中だった、、、。ヒート中のメス犬を犬散歩の多い時間帯に歩かせるなんて、どっちもどっち。

 とにかく向こうの飼い主女性はすぐに獣医に電話し、アフターピルの処方の相談をしました。そして電話を切るとぎろっとボンドを忌々しそうに睨みつけました。

「美しい雄犬だったならまだしも、こんな見栄えしない雄犬の子犬を自分の(雌の)愛犬に産まさせたくない」
 ボンドの冴えない容姿のことまで、ぐちぐちとけなしてきました。否定できないところがなんともはやです。

 ミロシュ氏は腸が煮えくり返ったものの、ぐっとこらえ
「あとで多めの現金を持っていきます」
とだけ、その年配女性に答えたそうです。例え向こうにも非があっても、妊娠については男に責任が大きい、とみなされるのもあったからかな?

 それにしても
「この犬を私がひとりで散歩?」

 日本では秋田犬、本物の大きいシベリアンハスキー犬の散歩をしていましたが、これはちょっとあまりにも不安です。

「ミロシュさん、家の留守番は構いませんが、ボンドの散歩は心配です。もっと力のある体の大きい男性やプロのドッグウォーカーに頼んだ方がいいと思います」
「全員に断られたんですよ」
「じゃあ散歩なしでいいですか?」
「ああそれは困ります。一日でも外に出さないと不満で暴れるからです」

              § 
 そうしてルドルフは北京にホームスティに、父親ミロシュ氏は愛人の二号さんと日本へ飛び立ちました。

 するとです。ジェームズボンドの元気がなくなりました。

 大好きな飼い主ルドルフがどこか遠くに行ったのを分かったようで、彼の部屋の窓から外の通りを眺めるばかりで、男性の姿が見える度にはっとし上半身を乗り出します。

 一方、ミロシュ氏が不在のことはどうでもいいようで、全然寂しがっておらず、氏のマツダの車のタイヤにおしっこをひっかけていました。

 そしてふと気づいたのですが
「そもそもなんであの親子は同じ日にそれぞれ北京と東京に出発した?日程をずらせば、私に留守番を頼む必要もなかったではないか」

 あとでそのことを責めたら航空券がどうのこうのだとか、スケジュールがどうしたこうしたと言い訳をされました。

 でも、多分ミロシュ氏は手を焼いているジェームズボンドを自分ひとりで面倒を見るのが嫌だった。
 だからあえて息子の不在期間に合わせて自分も旅行を決行し、自分が一人で犬散歩をしなければならない状況から逃れ、私に押し付けたのだと思います。

 とにかく、私一人でジェームズボンドを散歩に連れて行きました。ドキドキです。

 転んでもいいように足の膝にはサポーターをつけて、お尻と腰もできるだけ守るために長い裾のセーターを着ました。
 運動靴の紐も確認し、散歩バッグは斜め掛けで両手は常にフリー状態に。携帯がかかってきても散歩中には絶対出ないでおこうと決心。ちょっとした戦闘へ向かう心持ちです。

 本当は片手にカフェラテでも持ってワンピース姿でおしゃれなプラハ犬散歩をしてみたかったのですが、そんなことなど言ってられません。

 家を出ました。

 門を抜ける前からボンドは鼻息荒くぐいぐい引っ張ります。人間と歩調を合わせようとさらさら思っていないらしく、私の顔も全く見ないしまるで自分のペースで突き進みます。

 不幸中の幸いは、ジェームスボンドを見るやいなや案の定、どの犬も逃げてくれることです。

 でも鳥や猫はそうではありません。ボンドは鳥や猫にも追いかけようとするし、若くて胸とお尻の大きい人間の女性にも突進しようとします。見境いがありません。この調子だと浮遊霊の女にも乗っかりそうです。

 途中、泥がありました。

 するとボンドはそこでいきなりごろんごろんしだしました。恍惚とした表情で、延々と自分の全身に泥を塗りたくっています。ジャーマンシェパードなどは自分のうんちを自分の身体に擦り付けることがありますが、それに似ています。

 おかげで行きの時は白と黒とグレーの三色の色の犬だったのに、帰りは真っ茶色犬です。

 家に戻ると、直ちに風呂場のぬるま湯で体を洗ってやりました。ところがです。
「ん?」

 背中をごしごししているだけなのに、びっくりです。あそこがどんどん膨張して大きくなったのです。
「なぜ背中をごしごし泡立てているだけで?」

 そもそも常に発情状態なのが異常なのですが、さて翌日。

 もうこっちは散歩に必死です。ダブルリードは当たり前で、私がちょっとよそ見をしたりうんちを拾っているすきに、常に雌犬を探し、見つけ次第サッと勝手に暴走しようとするので、油断も隙もありません。

 それから嫌がらせに違いないのですが、わざと汚いところで入り全身を汚し、また私が洗うと、あそこを大きくし興奮し、それを私の太ももや腕にこすりつけてくるし、または下半身をふりふりし始めます。

 三日後。
 ボンドの散歩にてんてこ舞いな私を見て、近所の犬飼い主たちが手を差し伸べてくれました。

 例えば、斜め前の家の男性は自分の犬とジェームスボンドのリード両方を持ち、一緒に歩いてくれました。

 色々雑談をすると
「両親が昔イギリスに移住し(多分、亡命)、僕はイギリスで生まれた。苗字がチェコ人の苗字なので、『お前の苗字はへんてこだ』とイギリス人の子どもたちに虐められた。自分がそういう経験をしているから、外国人には常に親切でいようと思っている」

「母は日本に二回も原爆が投下されたのはおかしい、と言っていた。でも日本は経済大国世界一になった!ミラクルな国だ、と驚き褒めていた」

 彼は当時のチェコ人にしては非常に珍しく、日本のことや世界に詳しく、それに性格も至ってジェントルマンで、話す内容も思慮深かった。

 近所の他の犬の飼い主たちとも会話をしました。この地域は高級住宅街だったので、中流以上の層のチェコ人たちが住んでおり、年寄り以外は皆さん英語を話せました。

 比較的恵まれた生活を送る人びとでしたが、それでも口をそろえて
「日本だなんて遠いし、物価も高いから到底無理」
といいました。

 確かに日本の物価はチェコの五倍以上は高かったので、チェコ人にとって日本旅行だなんて気安く行けません。
 そういう意味でもミロシュ氏が頻繁に日本へ旅行に出かけていたのは、凄いことでした。よほどのお金持ちでもあり、特殊だったという意味です。

 それはともかくです。心外だったのは、マルチーズのような犬を連れている近所のおじさんのひとりに、ある質問をされた時でした。
「で君はミロシュ氏と、彼の息子のルドルフのどっちのガールフレンドなんだ?」
「はっ?」

 皆さんが興味津々で知りたがっていると言います。
「ああ確かに色目でみられるだろうなあ」
 誤解されるのも分からないでもないと思いました。だけども「屈辱」です。

 その後これを機に、せきを切ったように近所の色々な人から、一気にミロシュ家のことをあれこれ質問されました。
「あの夫婦は離婚は成立しているのか?」
「いつも来ている愛人女性(二号さんのこと)はどういう女性なのか?」
「ミロシュ氏の父親が大物政治家という噂もあるが、本当なのか?」
「妻の女友達全員に手を出し、娘の女友達ともそういう関係になったっていうのは本当なのか?」

 などなどでしたが、最後の質問はほぼ事実だと、後で本人が言っていました。
「全員ではないけれども、妻の女友達数名とは深い関係になりましたよ。ある時は街のカフェでナンパした女性が、たまたま女房の友達だったこともあったなあ。ははは」
とか、
「うちに遊びに来た娘の同級生の女の子を口説いて、そのまま処〇を奪った」
だのだの、驚愕です。

 にもかかわず
「あーあ。なんで女房も娘も出て行っちゃったのかなあ」
と心底理解していない様子です。呆れて何も言えません。

 私の留守番が始まり、アッという間に二週間が過ぎました。
 犬のジェームズボンドの世話は大変でしたが、私の勤め先つまり都心部から近いので通勤も楽でした。

 居間のテレビではNHKもBBC、CNN、MTVまで見れたし、一度ミロシュ氏のお母さんが様子を見に来てくれ、その時、日本人の知人からもらったという白味噌とキッコーマンのお醤油(外国用のキッコーマンではなく、国内向けの方)を持って来てくれました。

 そこで一緒にお味噌汁や肉じゃがなど作り、白いご飯も炊いて食事をしましたが、ミロシュ氏の母親の日本研究話や、昔の東京時代の思い出ばなしは非常に興味深く面白かった。

 つくづく
「こんな知的なお母さんから、なんであのミロシュ氏が生まれたのか…」
 不思議でなりませんでした。

 ちなみに、ミロシュ氏のお母さんと私がほのぼの一緒に和食を食べていた頃、隣家では
「あの家から変な匂い(お味噌汁とにくじゃがの醤油の香り)がする。なんだなんだ。こんな匂いは初めてだ」
と鼻をつまんでいたそうな…。

             §
「ローローさん、ただいま!留守番ありがとうございました」

 ミロシュ氏が帰ってきました。真っ先に日本製のウィスキーを何本もテーブルの上に並べました。
「日本はウィスキーが安い」
と嬉々として買い込んだとかで、ウォッカ以外のお酒も飲むのですね。

「なんだか家が片付いていますね、ありがとうございます」
 そして私にお土産を渡してきました。私が指定していた、成田空港の免税店で購入してくれた日本製のたばこのワンカートンです。

 その頃は私がスモーカーだったからですが、チェコでは日本よりたばこが安かったものの、あまりおいしくはありませんでしたから。

 ちなみにプラハでは喫煙者が多く、パリの街中のように歩きタバコをする人々の姿も一般的でした。でも、ミロシュ氏はたばこを吸いませんでした。
「身体に悪いから」
とのことでしたが、毎日ウォッカのボトルを2瓶空けている人が何を言っている…。

「東京では、さてどこを二号さんに案内してあげたのですか?」
 日本で購入したというゆかりせんべいをバリバリいただきながら、私が尋ねました。でもまあ普通に考えて浅草、原宿青山、銀座辺りかなと思いました。ところがです。

「歌舞伎町のハプニングバーと、SM小屋での縄のショーです」
「えっ?ハプニング?縄?なんですかそれ?」
「ハプニングバーにはドイツ野郎たちが来ていて、縄の方はフランス人の連中が来ていましたね」
「…」

 何となくどういう所か想像がついたので、それ以上追及しませんでしたが、やっぱり二号さんもそういう所が好きなのか…。それに帝劇でも歌舞伎座でもなく、歌舞伎町のハプニングバーとSMの縄何とかショーとは、、、。

「ところで、実はもう一つ頼み事があります」
 ミロシュ氏がふと話題を変えました。
「なんですか?翻訳ですか?」

「いいえ、実はですね、僕が日本に行っている間に携帯電話に留守番電話が入っていてね、ブダペストのトマーシュが近々プラハにやって来て、うちに泊まりたいと頼んできたんですよ」
「トマーシュ?誰ですかそれ?」

「ユダヤ系マジャール人の通訳仲間です。奴も通訳翻訳の会社をブダペストで経営しているんですが、今度プラハで開催される国際〇〇会議で、ハンガリー人政治家の〇〇の同時通訳に抜擢されたとかで、こっちにやって来るんですよ」
「はあ」

「それでね、最近二十歳年下のガールフレンドができて、その小娘がプラハに来たことがないから、一緒に連れて来るというんです」
「それで?」
「でもプラハのホテルはどこも高いから、俺の家に滞在したいと言ってきたんです」

「ん?会社経営者ならば、そこそこ裕福なんじゃあ?」
「金は持っていますよ、奴は。でもユダヤ系のマジャール人なんで、けちなんですよ。
 泊まらせてくれというお願いの電話をとったのが、僕がプラハの空港に到着した時だったでしょ、時差ぼけなのと機内で浴びるように酒を呑んだので、頭がぼうっとしていてね、ついうっかりいいよ、泊まってどうぞって返事しちゃったんですよ」

「ではトマーシュさんたちを泊めてあげるしかないですね。私はもう今から自分の家に帰るし、私には関係がありませんね」
「いや、問題は奴が若いガールフレンドをひけらかす、見せびらかしてくることがシャクに触るんです」
「つまり?」

 ミロシュ氏はコッホンと咳払いをしました。
「つまり彼らがプラハに滞在している間だけ、ローローさん、僕のカノジョになってくれませんか?」
「はっ?」

「ローローさんなら20代で、僕より二十歳年下です。それに日本人です。あいつに張り合えます。話せば長くなりますが、あいつと俺はいつもなんでも競争してきたライバルの関係でもあってね、そもそも俺が通訳翻訳の会社を立ち上げた後に、あいつも真似しやがったんだ」

 そしてミロシュ氏はトマーシュさんという人の悪口をまくしたて始めました。
「なので、俺のカノジョのふりをしてください。ギャラは支払いますよ」
「…」

「なんなら本当に三号さんになってくれてもいいし、ローローさんの頑張り具合によってはローローさんを二号にし、今の二号さんを三号に降格してもいいと思っています。新旧交代ってやつですね、ははは」

「想像するだけで気持ち悪いので、この話は例え冗談でも止めましょう」
「じゃあ誰か日本人の女友達を紹介してください」
「いやいや、無理無理。ミロシュさんに日本人女性を紹介など無理です。そんなことをしたら、苦情が入り恨まれるだけです」

 私は無視し、まとめた荷物を玄関先に運び、最後にジェームズボンドに別れの挨拶をしようと思い
「さよなら、またね」
とハグしようとしました。
 でも、はたと思いとどまりました。また発情されてもややこしいので、手を振るだけにしておきました。

「さあ、そろそろ車で私を家の近くまで送ってくれませんか?」
と私は頭を下げミロシュ氏の運転するマツダの車に乗り、自宅へ戻りました。

 そしてふと隣家や向かいの家などの二階の窓を見上げると、散歩を協力してくれた人々がそっとこちらを見て手を振ったり微笑んだりしてくれました。本当にいい人たちでした。

          §
 その約一週間後です。
 ミロシュさんの会社に訪れると、片足を痛そうにしています。
「あれ?どうしたんですか?」

「息子が帰ってきたんです」
「えっ?息子さんが戻ってきて、ミロシュさんの足が怪我した…」

 ついこの間は別居中の妻を強姦しようとし警察に捕まり、今度は家庭内暴力事件?

「でもルドルフは大人しい学生じゃないですか?一体何があったのですか?」
「いやね、ルドルフが北京のホームスティから戻って来たんだけども、中国人の女を連れて帰ってきたんですよ」
「はっ?」

「運命の出逢いだ、お互いに一目ぼれをしたとかで、結婚を前提に連れて帰って来てね、家に一緒に住むと」
「でも彼は北京にたった三週間しか滞在していませんよね?その短い間に恋人を作って連れて来たのですか?」

 唖然です。ちなみにルドルフの祖父つまりミロシュ氏の父親が広い人脈を持つ大物高官だったので、多分その関係でばばっとその女性のチェコ入国ヴィザが下りたのかもしれません。

「つまりミロシュさんとルドルフがその女の子の件で激しい親子喧嘩し、それでもみくちゃになって怪我を負ったのですね?」

「違う、そうじゃないんです。確かにその件で大声で怒鳴り合いの口論をしましたが、息子も俺もお互いに手は出していないんです」
「じゃあどうして片足を打撲したのですか?」

「息子の連れて帰ってきた中国女はローローさんよりも若い21歳でね、リンリンっていうんですが、リンリンにもうじき泊まりにやって来るトマーシュたちの話をしたんです」

「それがなぜ暴力沙汰に?」
「俺がリンリンに
『俺のガールフレンドのふりでいいからやってくれ』て頼んでウィンクをしたんですよ。そしたらリンリンはいきなり大声でわめきだし、強い蹴りを入れられたんです」

「ええ?息子のガールフレンドにそんなお願いをするミロシュさんもおかしいですが、リンリンさんもいきなり本気で蹴ってきたのですか?」

「ジェームズボンドもリンリンに乗っかって腰をふったら、思いっきりおしのけられ、挙句にリンリンに『駄犬め、犬シチューの具材にしてやる』と脅迫されました」
「うわっ、えぐいことを言うなあ…」

「今朝は朝っぱらからニンニクを炒めだして、家中がニンニクの匂いで充満し、隣家のババアからは苦情がきました。
『この間は変なソイソースの匂いがして、今度は早朝からニンニクの匂い。いい加減にしろ』と」

「あっ…」
「世界にはいろいろな料理がある。なじみではない料理の匂いが漂ったぐらいで、文句をいってくるのはおかしい。隣家ババアにはきっぱりそう反論しました。
 それよりもです。明後日には我が家にトマーシュと奴の若いカノジョも泊まりにくるでしょ、もうしっちゃかめっちゃかですよ。あーあ、嫌になっちゃうなあ。俺、厄年なのかなあ」

 これを聞き、私が真っ先に思ったのは
「早朝からニンニクを炒めるリンリン、それからユダヤ系ハンガリー人のオッサンと小娘のガールフレンドも泊まりに来る…。ああ近所の人たちがまたミロシュ家の噂で盛り上がるだろうなあ」

 見ものです。

                     つづく


                    

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