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"危険"な女ふたりの旅(ヨルダン)② -長距離バスの個性的な顔ぶれ

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【タイムトラベラー】


テトリスでもやって時間潰しをしよう...

一回目の休憩を終え、またバスが動き出した時だった。ゲーム機をかばんから出そうしていると、

「ねえ、君たち日本人だろう?」

私の真ん前に座っていた白人の青年が突然振り返って、話しかけてきた。

「君たち日本人は、イタリアやスペイン人のような時間を守らない人種をどう思う?

あいつら、出発の時も大幅に遅刻して、休憩の後もまた大幅に遅刻!  飛行機と違ってバスは待ってくれるのが分かっているから、ナメているんだ。

まったく、イタリア人とスペイン人たちはルーズだ。いらいらする。俺はルーズな人種が大嫌いだ」。


その青年はノッポさんのような三角帽子を被り、色褪せたカルバン・クラインのタンクトップ、そして男なのにホットパンツをはいている。

猫も杓子も下着までもカルバン・クラインを着る時代だったので、それはよしとしてもオイオイ...タンクトップとホットパンツは普通じゃない。

特にホットパンツは日本でも成人男性は普通はかないが、イスラム圏内では非常識にもほどがある。エジプトのような国では、男性も二の腕や膝は必ず服で隠す。

だから、公共の海水浴場やプールでも、男性はTシャツと膝が隠れる長さの短パン姿のままで泳ぐものだった。(外資系ホテル所有のプライベートビーチ&プールは除く)

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↑途中のサービスエリア。一緒にいるのは"ホットパンツ"。(撮影by ヒロミさん)


以後、このタンクトップ&ホットパンツ君を...略して『ホットパンツ』と呼ぶが、非常識ななりもアレである上、そもそも貧乏なヒッピーの風体だ。関わりたくない。

しかしこれが外なら逃げられるが、あいにく長距離バスの車内で声をかけられた。ああ、逃げるのが難しい。


そのホットパンツ青年は、イタリア人とスペイン人の悪口をべらべらまくし立てた。席は離れているので、彼らには全然聞こえていない。

ちらっと横の窓際に座っているヒロミさんを見ると、『地球の歩き方』を開き、観光案内のあれこれを熱心に蛍光ペンで引いていた。


「本当にああいう国の奴らは何事にもルーズで、いらいらするね、君たちは日本人だろ? なら僕の気持ちを分かってくれるだろ?」

そして彼は私とヒロミさん両方に目をやったが、ヒロミさんはガイドブックを眺め続け顔をあげない。

英語がとにかく分からないというのが大きかったと思うが、いちいち通訳するほどじゃないな、とヒロミさんがぽつんとしているのを私は気遣わなかった。


「ええ、私たちは日本人だけどあなたはどこの国の人? 北欧かドイツかしら?」

私が尋ねた。

「違う、僕は北欧人でもドイツ人でもないよ」

あれ? どうみても顔がそっち系だし、話す英語もドイツ語的な訛りにしか聞こえないのに...


「僕はタイムトラベラーだ」。

「へっ?」

「僕はいろいろな時空間を旅しているんだ」。

真剣そのものの顔だった。


ちなみに、後でエジプトを出国する時にホットパンツのパスポートを見たら、やっぱりドイツ人だった。

が、本人はかたくなにタイムトラベラーと言い張る。そしてタイムトラベルの方法だとか、自分が見てきた将来だとか宇宙のあれこれをリアルに語り始めた。

非常によくできたストーリーで、信じなくとも耳を傾けていると、その不思議なSFじみた話に引き込まれる。


「ふぅ。話し疲れた」

身振り手振りで熱弁していたホットパンツは突然、話すのを止めリュックサックの中をごそごそし出した。

ミネラルウォーターでも出すのかな、と思いきやビニールに入れたハシーシを取り出した。

そして大きく揺れているバスの中で、非常に器用にそのハシーシを手で紙に巻き始めた。

日本でも、揺れるバスの中で上手に綺麗に自分の眉毛をペンシルで描く女性がいるが、あれと同じくらい器用だ。

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※良い子は真似しちゃダメよ!✋

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煙草の箱に製作済みハシーシを入れて持ち歩く人は、普通にいっぱいいました。エジプトでも違法でしたが...


ホットパンツはバスの窓を開けると、外に向けてぷかぷか吸い出した。

「国境に辿り着くまでに吸いきらないとまずいからね」

とぽわんとした、恍惚な表情で呟いた。

ところで、彼の席は運転席のミラーからは映らないところだった。ちゃんとそれも考えてこの席にしたのだろう。

もし運転手に見つかったら、激怒され砂漠のど真ん中だろうがなんだろうが、蹴落としほうり出される。

なぜならもし警察に見つかったら、立場の弱いエジプト人の運転手が一番とばっちりを受けるからだ。


【スエズ運河横断】


しばらくすると、意識が朦朧としたのか、ホットパンツは三角帽子を深く被ったまま、バタッと眠ってしまった。


今度こそ、テトリスをやろうとかばんの中をもぞもぞ。すると私の目の前にクリネックス(ティッシュ)が飛び込んだ。

通路を挟んだ隣席君だった。私にティッシュを差し出してきたのだ。

「?」 と思ったが、私の目の回りを指されて、はっ。

ホットパンツに"アツく"タイムトラベルの話を聞かされていた時、あまりにもキョトンとし過ぎて、

無意識にまばたきを一億回ぐらいしていたらしく、マスカラが滲んで目の回りがパンダになっていたのだ。

「ありがとう」

うわ恥ずかしい。手鏡を覗きながら、ハンドクリームと受け取ったティッシュで、せっせパンダ目を消していった。


「あの、ずっと聞こえていたけど、『ドクターフー』だよ」

ティッシュ君が小声でささやいてきた。

「はっ?ドクターフー? ドクターフーとはフー?」。

「BBCのドラマで『ドクターフー』というタイムトラベルものがあって、彼はドクターフーの"オタク"なんだろう。君に話していたのはすべてそのドラマの内容なんだ」。

「...」

どうりで面白いストーリーだったわけだ。腑に落ちた。目の回りのマスカラはまだ落ちていなかったけど。

そしてホットパンツのことはどうでもいい。ティッシュ君よ、よくぞ声をかけてくれた。

実は、カイロシェラトンのバス停留所で見かけた時から、「あら素敵❤」と思い、それで実は通路を挟んだ隣の座席を私は選んで座っていた。

ある意味ホットパンツのおかげで、やっとこのティッシュ君と口をきけたのだが、彼の国籍はカナダだという。実際何となく(カナダ出身歌手の)コリー・ハートに似ていた。

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↑ペトラ遺跡でティッシュ君と。グッドルッキングガイでしたが、悪口書いちゃったので、顔を隠しました。(撮影 by ヒロミさん...)


ティッシュ君は身だしなみもパリッとしていて、話し方もマイルドだった。とても感じがいい。

私がカナダに行ったことがあるというと、彼も日本を旅行したことがある、と言った。非常にノーマルな会話が弾んだ。声は穏やかで、口調も話す内容もまともで感じがいい。

しかも、だ。

聞けばカナダの超エリート大学の経済学部を卒業しており、父親は銀行員だという。この世界一周旅行を終えたら、金融機関で働くことになっている、と。

その上、とても大事なことだがガールフレンドとは別れて現在フリーという。


その時、バスはバスごと船に乗りスエズ運河を渡った。

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「わっ!スエズ運河じゃないか! なんて綺麗なんだ!」

ティッシュ君は感激して目をキラキラ。

「でも、あなたの青い目もスエズ運河に劣らなく綺麗ですね」

私がサッとそう言うと、ティッシュ君は照れ笑い。隣のヒロミさんは無言で、窓から見える運河に目をやっている。


バスの扉が開いた。

バスを出て船の上を自由に歩いていいよ、ということなのだが

「一緒に出ないかい?」

とティッシュ君に聞かれ、もちろん「オッケー」。でも私には仲間がいる。だから

「ヒロミさんも行かない?」

と、声をかけた。しかしヒロミさんは

「私は結構です」。

妙に冷めた声だなと思ったが、私はさらりと流してティッシュ君とそそくさバスを出た。

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デッキに出ると、なんと恐山のイタコのように口が勝手に動きだし、

「スエズ運河の長さは..幅は...建設が始まったのは...」

ときびきびガイドをしてしまった。恐るべき職業病だ。

おかげで全然ロマンチックな雰囲気にならなかったが、ティッシュ君はすっかり運河の光景に感動しきって

「運河を超えてアフリカ大陸から、アジア(=シナイ半島)に横断したんだ! なんて素晴らしい!」。

「...」

ちなみに、既に何度もスエズ運河を見ている私には、全く感動はない。

(船で運ばれる)バスがスエズ運河を超えるなんて小田急線が多摩川を、舎人ライナーの電車が荒川を超えるのと何も変わらない。もうそういう感覚だった。

富士山だって毎日毎日みていれば、いちいち「おおっ!」と歓声をあげなくなるのと同じ。

でもティッシュ君がこっちを振り向き、笑顔で同意を求めている。だから、頑張って私も目をキラキラさせ微笑み返した。目の回りのマスカラをちゃんと落としておいて良かった。



スエズ運河を渡りシナイ半島に到着するまでに、またバスの中に戻った。

今回だけはさすがのイタリア人もスペイン人たちもちゃんと帰ってきた。

船の中でバスに乗り遅れたら大変だ、と思ったからだろう。やればできる、ちゃんと時間内に戻れるんじゃん...


【"神とは?"】


バスの中で、ティッシュ君との会話は続いた。

脳内ではすでにコリー・ハートがカバーして大ヒットさせた、プレスリーの『好きにならずにいられない♪』が流れている。

ところが、「シナイ半島って言えば、モーゼの十戒の山だよねえ」 の話から、ティッシュ君が"豹変" してしまった。

モーゼ→宗教→神...


突然、

「God...」

「えっ?」

嫌な予感がした。


「神とは何だろうか」

「ぬ!?」

「神とは何だろう、そして君は神を信じる?神はどこにいるのだろう、神はどうして辛いことも授けるのだろう。

なぜ神は見えないのだろう。神はそもそもどうして人間を創造したのだろう。神は、神は、神は...」。


ひ、出た...

私のその脳内レコード『好きにならずにいられない』の回転が突然止まった。

まさか、爽やかなティッシュ君からそんな話をされるとは意外だった。一気に百年の恋も冷める。


エジプトに住んで以来、耳にタコができるくらい、げっぷが出るくらい、蕁麻疹が出るくらい辟易している"God"の話。

テレビを付ければイマーム(説法師)があれこれ神の話をしており、タクシーに乗れば初対面の運転手に「神を信じているか」と不意打ちに聞かれ、

道を歩けば赤の他人に神の素晴らしさを唐突に語られる。

もっとも、エジプト人の言うGod(アラビア語でアラー)は、大前提でイスラム教の神を指しているのだが、もうこれだけ日々、"God"話されていると、何の宗教の何の神様であれ、もううんざりだった。


やはりこんな地球のはての砂漠で白馬の王子に巡り会うわけがないのだな、あーあ...

しかし、顔をしかめる私の反応なんぞお構いなしに、ティッシュ君は熱にうなされたように、早口で宗教の話で饒舌になり始めた。

どんどんヒートアップする。

「僕は幼い時から、ずっと神への疑問を抱いていた。今、世界を回っているのもその答えを探しているからだ。

そして自分は狂信的なクリスチャンなんだけども、しかし同時にキリスト教に迷いがあり宗教そのものにも懐疑的になっており、とても混乱して苦しんでいるんだ」。

...


難解な苦悩を延々と聞かされた挙げ句、ちょいちょい「どう思う?」と聞いてくるのも困った。

エジプト人なら、イスラム/コプト教話を振ってきても、一方的に弾丸トークをしてくるだけだ。だから、聞いている振りだけして、適当に相づちを打つだけで済む。

しかしいちいち、私の意見を求めるティッシュ君よ、ウザい...しかも専門的な神学を難解な英語でべらべらまくしたてる。めまいを覚えた。


「...そんな訳で僕は"真実"を探しに世界一周の旅に出たのだが、どこに"真実"はあるのだろうか。そもそも真実とはなんなのだろうか」。

「え、真実とはなんぞや、って私に聞いているの?」

ティッシュ君は真剣な眼差しでこっくり頷いた。

...

答えようがない。

いますぐヨルダンではなくバチカンに行き先を変えて、バチカンでその質問して来なさいよ、と思った。本当にそう言おうかと思ったのだが、なぜかとっさに口から出たのが

「ケセラセラ」。


ケセラセラ、をどうして発してしまったのか。これもエジプト人のせいだ。

彼らはちょっとでも難解なことを言われると、すぐにインシャアラー以外には、「ケセラセラ(なるようになる)」だの「セラヴィ(これが人生)」と言って誤魔化す。

さんざんそれにげんなりいらいらしていたはずなのに、どういうわけかエジプト人がよく口に出すこの言葉が、唐突に私の口から発しられてしまったのだ。

「ケセラセラ」...


長々と聖書や哲学、精神論を熱く語ったあとに、私から返ってきたのが「ケセラセラ」...マヌケ過ぎる。

ティッシュ君は固まって黙った。

そして数秒後に静かに

「話の相手になってくれてありがとう」。

そして彼は本を手にとって読みかけだった『Godがどうこう』というタイトルのペーパーバックを再び読み出した。


ふと横に目をやると、ヒロミさんは日本円と米ドル、どちらをヨルダンディナールのお金に替えた方が得をするのか、電卓をいじりながら、ぶつぶつ計算していた。

その時、彼女の席の『地球の歩き方』も視界に入った。ギョッとした。だって付箋だらけになっているのだ。

「うわっ! まさかたった一週間の旅行で、それら全部回るつもりじゃないでしょうね!?...」と私は心の中でのけ反った。


気付くと、いつのまにか紅海が見えてきた。

紅海の向こうのヨルダン港町アカバも、そしてイスラエルもサウジアラビアも視界に入った。肉眼で一気に三カ国が見えるのだ。

いよいよエジプト(シナイ半島)を出て、バスごと船で紅海を渡る。いざアカバ(ヨルダン)へ! 


「Everyone! Arrive soon. Please ready」

運転手のブロークンイングリッシュのアナウンスで、ずっとグースカ眠っていた前席のホットパンツが起きた。

そして紅海が目前だというのが分かるやいなや、大声で

「I shall be at Aqaba!」

と叫んだ。

アカバへ行くぞ...『アラビアのローレンス』の有名な台詞だ。でもオイオイ、ホットパンツよ、君はドイツ(軍)だろう...


乗客誰もが下車の準備をし始めた。

ヒロミさんはミニテーブルを折り畳み閉じて、付箋だらけの『地球の歩き方』をバッグの中にしまった。

ところが数秒後に、またかばんからそれを出した。そしてしばらく何かを考え、また『地球の歩き方』をかばんに入れた。でもやっぱりまた手に取った。

正しいガイドブックの持参の仕方など『地球の歩き方』には書いていないから、

かばんにしまっておいた方が邪魔にならなくていいのか、いや脇に挟んで持って歩いた方が便利でいいのか、

どうも真剣に考えあぐぬいているようだった。


つづく

紅海-01

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映画『アラビアのローレンス』










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