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マジャール人カップル、そして私の緊急入院~LOLOのチェコ編㉒

 それにしてもミロシュ氏はどんな高度な医学通訳、法律専門用語通訳、政治の議会の通訳もこなし見事でした。
 多分、ここまでのレベルの日本語通訳は当時のチェコではほかにいなかったのではないかな?と思います。

 ただし会社の共同経営者の若いジョディー(仮名)と一緒に同時通訳のブースに入り、英語通訳を交互に十分おきぐらいに行うのを見ていると、明らかに彼女に負けていました。

 やはりジョディはまだ二十代で若いので活舌が良い上、アメリカで学んでいるため英語力のレベルも高い。

 一方、ミロシュ氏はもう中年である上いかんせん、のん兵衛なので呂律がいまひとつ回っておらず、咳払いや「ええっと」が多い。あと氏は実際に英語圏に住んでいません。

 ところで、プラハではやたらと色々な国際会議や学会が開かれていました。

 国際的な学会や国際会議などの開催など、めったになかった(むしろ全然なかったかも)カイロとは大違いです。カイロが何かの舞台になるとしたら、中東アフリカなんとか会議またはイスラエルとアラブの橋渡し役の会談など。

 近年は分かりませんが、かつては世界中の医者や学者が集う大規模な学会が開催されることはなく、つまり多国語の通訳の出番もほとんどなかったと思います。

 プラハでは次々と様々な学会など開かれていたのは、私の想像ですが、出席予定の医師や学者らがプラハに来たかったからだ、というのもあったのでは?

 というのはです。民主化になりまだそんなには経っていませんので、プラハに行ったことがない外国人が多く、そこで学会をこの街で開き、ついでに観光もできるぞというわけだったんじゃないでしょうか。

 ちなみに、ハーバード大の同窓会も毎年、世界各地で転々と行われていますが(東京の時は雅子様がハーバード出なので、皇太子時代の今の天皇陛下御夫婦もご出席されていたそうです)、やはりハーバードの同窓会も旧東欧諸国で早速開いたりしたそうです。

 話は戻り、ミロシュ氏は通訳に関しては「師匠」だったので、前にも書きましたが無料でレクチャーしてくれ、第一線の通訳現場にも私をどんどん連れて行ってくれていました。

 なので
「ユダヤ系マジャール(ハンガリー)人のトマーシュと、その若いガールフレンドが泊まりに来る。日本食を作ってくれませんか?」
と頼まれた時、断ることができませんでした。だけどもです。

「息子さんのルドルフが中国から恋人を連れて来たんですよね?彼女に中華料理をお願いしたらどうですか?中華の方が食べやすく喜ばれると思いますよ」
「もちろん、既にお願いしました。しかしです。『私はコックでもメイドでもない』と怒られました。それに息子と二人で森の別荘へ行ってしまったんです」

 ああ息子はすっかり現を抜かしているな、大學の単位は大丈夫なのかな?思わず心配になりました。いやいや、人の人生の心配をしている場合じゃない…。

             §

 一、二週間ぶりですがミロシュ氏の自宅へ伺うと、犬のジェームズボンドは相変わらず丸めた布に乗っかり、はあはあ言いながら腰を動かしていました。本当に去勢してあげればいいのに。

 一心不乱に布にカクカクし続けるボンドの横を素通りし、台所へ入るとびっくりしました。
 使いかけのキッコーマンの醤油が隅に追いやられ、代わりに中華醤油がでーんと置いてあり、コンロのところにも中華鍋に大きな中華包丁があるではありませんか。

「よくこんな包丁、持ち込めたものだなあ」
 びっくりしましたが、よくよく思えばそういう私もいつもどこの国に住む時にも日本の包丁を持ち込んでおります。手荷物でなければ問題ないし、日本の包丁が世界一キレがいいと信じていましたから。

「なんか、短い間で台所が中国っぽくなりましたね。棚を開ければ、日本の烏龍茶も奥にやられ、中国茶があるし。リンリンさんはどんな人ですか?」

「ああ、性格がきつくておっかないこともあるけれど、でもしっかりしていていい子ですよ。料理も上手です。でも、彼女はこの大きなオーブンを見た時、邪魔だと言って、どっかにしまえと言ってきてねえ」
 ふとミロシュ氏が目の前のオーブンを指差し、言いました。

「えっ?オーブンが邪魔?」
「『アジア料理ではオーブンは使わないので、いらない』だそうです。やれやれ、誰の家の誰の台所だと思っているんだろうかねえ」

「聞けば聞くほど、リンリンさんは強烈といおうか興味深いですね。ぜひ会ってみたかったなあ」
 私は残念そうにそうぼやきながら、さくさくとリンリンの中華しょうゆ、中華鍋、そして中華包丁をどかしました。
 代わりに隅に追いやられていたキッコーマンしょうゆと氏が日本で買ってきたお好み焼きミックスの粉をどんと出して、日本の包丁でトントンとキャベツを千切りにしていきました。

「でトマーシュさんたちはそろそろ戻って来るんですよね?」
「ああ、あいつらは学会の仕事を終え、今日から二人で観光に出ているよ。そろそろ帰ると、さっき電話があった」
「結局、お二人は何泊するんですか?」
「最初2,3日と言っていたくせに、いざうちにやってきたら『やっぱりせっかくだから十日ぐらい泊まらせて欲しい』だなんて言ってきたんだ」

「まあまあ、それは長いですね」
 ミロシュ氏は壁にぶら下げているサラミを顎で示しました。
「ローローさん、見て下さい。このサラミは何だと思いますか?」
「さあ。サラミはサラミですよね」

「トマーシュの野郎が持って来たハンガリー土産です。十日も泊まらせろってずうずうしいことを言ってきたわりには、手土産はなんとサラミ一本だけだったんです。ありえません」
 氏はカンカンです。ああチェコ人もお土産の「セコさ」に激怒するんだなあ、と私はぼんやり思いました。

 しばらくすると、噂のトマーシュ氏とそのカノジョのマルカが外出先から戻ってきました。

 トマーシュ氏に対する私の第一印象は
「アインシュタインだ」
 顔も髪型もそっくりです。同じユダヤ系とはいえ、ここまで似ているとはイスラエルでも見たことがありません。吹き出しそうになりました。

 それにトマーシュ氏は初対面から明るくてフレンドリーで、ああハンガリー人だなと思いました。仕事ですでに何度かハンガリーには行っていますが、私はチェコ人よりハンガリー人の方がとっつきやすい印象を抱いていたからです。

 外のテーブルに食事を並べると、トマーシュ氏はハンガリーのお酒の「ウニクム」を出してきました。ブダペスト空港には必ず山ほど売られている超有名なハーブのリキュール酒です。

「ハーブのリキュール酒とお好み焼き…」
 なんだかシュールな組み合わせです。

 話題はいきなり「蒙古斑」についてでした。食事中にトマーシュ氏がいきなり私に「お尻」のことを尋ねてきたのです。さすがミロシュ氏の友人です。類は友を呼びます。
「生まれたてのアジア人のお尻には蒙古斑があるって本当かね?」
 私はむせました。

「ローローさん、君のお尻にも蒙古斑はあるのかい?」
 むっとしましたが、アインシュタイン激似の顔で舌を出して、茶目っ気のある表情で言われたので、「ま、いいか」という気持ちになり、まじめに答えました。

「私も私のきょうだいもなかったです。私の両親もなかったとのことなので、必ずしも全員に蒙古斑があるわけじゃないのでしょう。それこそマジャール人こそ蒙古斑があるんですよね?」
「ハンガリー人の四人に一人が蒙古斑を持って生まれてくるんだ。もっとも我々はユダヤ人なので関係ないけれどもね、ははは」

「それよりもローローさんの腕のマークは何なんですか?」
 トマーシュ氏のガールフレンドのマルカが怯えたように聞いてきました。年齢は私とほぼ一緒で、茶色の髪の毛はなんと腰までの長さです。

 彼女はトマーシュ氏の秘書だったのだけども「(関係が)できちゃった」そうで、
「もしかして不倫カップルなのかな?」
と思わないでもなかったですが、聞けませんでした。

「ああ、この痕は今までいろいろな国でも必ず聞かれましたが、ハンコ注射(BCGワクチン)の痕なんです」
「…」

 マルカはショックを受けたような顔になりました。虐待のように見えたのだと思いますが、実際にこんな醜い痕が残る予防接種の注射なんて、酷いものです。

 ちなみに、その痕はなぜか三十代の時に自然に綺麗に消えました。
あったはずのほくろも完全に無くなったり、不思議です。ピラミッドに百回以上入ったせいでしょうか???

「話は変わるがミロシュ、ところで今度僕たちをコノピシュチェ城見学に車で連れて行ってくれないか?」
 トマーシュ氏がニコニコしました。

「えっ?」
「だめなら、車を貸してくれるだけでもいいよ」
 トマーシュ氏は相変わらず微笑んでいます。

 ミロシュ氏は引きつった笑顔を見せ
「ははは、私も仕事でマイカーを使用しているし、会社が忙しいからちょっとスケジュールを確認しないと」
「じゃあ週末に城観光に行くことにするよ。週末なら、車は空くだろ?」
 トマーシュ氏は至って穏やかに笑っています。

 ミロシュ氏はくるりと私に振り向きました。
「最初は2,3泊といっていたのに、実際に来た後にやっぱり1,2週間泊まらせてほしいだとか、人の車を当てにして城観光に行くとか、なっ、本当に図々しい人種だろ?それでいて、お土産がサラミ一本だぜ」
 
 トマーシュ氏が見ているので、ミロシュ氏は普通の口調の日本語でそう吐き出しましたが、「ああ、これはかなり怒っているな」と私は借りました。

「ところで、八月末なのでもう寒いですね」
 私がストールを羽織りました。この頃の東欧では、冬の足音が八月下旬には聞こえてきていました。

           §

 その約ひと月後の九月三十日の木曜日。

 某VIPの日本人のお客様のアテンドで、私はブダペストにいました。ハンガリー人の英語ガイドが登場し、一緒に市内の観光地を回っていたのですが、ランチをとるのに市内のレストランに入った時です。

 店主のハンガリー人のおじさんが日本人の私とVIP氏を見るやいなや、憐れむ顔をし、私たちに同行している同じハンガリー人の英語ガイドの女性にハンガリー語でなにやら早口でまくしたて始めました。

 するとです。ガイドの女性の顔がみるみる蒼白になり、強張りました。
「どうしたんですか?」
 VIP氏がお手洗いに席を離れている間に私が声をかけると、彼女はいきなり私に抱きつき、そして私の両手をぎゅっと握ってきました。

「ローローさん、東京ご出身と言っていましたよね?もう故郷には帰らないほうがいいです、ずっとプラハに永住すべきです」
「は?どうしたんですか?」
「日本時間の今日の午前に茨城県というところで原子力事故、臨海事故が起きたんです。もう東京も住めないとこちらのニュースでは大きく報じています」

 彼女は興奮し早口であれこれまくし立て始めました。後で思えば、チェルノブイリ原発事故をリアルタイムで知っている東欧の人々は、この手の事故への反応が早く、非常に敏感になっていました。

 とりあえず私は公衆電話のテレカをレストランのレジで購入し、トイレのそばにある公衆電話から東京の親に電話をかけました。

 するとです。父親が出たのですが
「元気か?どうしている?今度いつ帰国するんだ?」
と平和そうな声で聞いてきました。

「公衆電話からかけていて、おそるべき速さで(テレカの)度数が減っているのであまり話せないんだけど、茨城で原子力事故が起きて東京も住めない状況になったと聞いたんだけど?」
 ドキドキしながら一気に質問しました。

「えっ?ああそういえばそんなニュースもあったねえ。でも何も問題になっていないよ。一切大丈夫、外国には大袈裟に伝わったのだろうねえ」

 ほっとしました。それをハンガリー人の英語ガイドさんに伝えると、「ええっ?」と唖然とされました。
「何事もないわけがないです。なぜならー」
 とドバっと色々まくし立ててきました。だけども私はまだぴんときません。

「ローローさん。チェルノブイリ原発事故の時のように、報道規制が入り正しい報道がされていないのです。
核分裂が連続して起きる臨界の状態が誤って作られるという事故がぼっ発したのですよ。そこの土地ではもう住めないし作物も取れないし、距離的に見ると、間違いなく東京も汚染されました」

 私はぽかんとしながらも、VIP氏には英語ガイドさんの言ったことと、自分の父親が話したことの両方を伝えました。氏はすぐに日本に連絡をし、そして安堵の表情を浮かべました。

「大した事故ではなく、何も問題ないようだ」
 これを英語ガイドさんに通訳すると、彼女は溜息をこぼしました。
「隠蔽されましたね。そんな有様ならいずれ遅かれ早かれ、日本でも大きな原発事故が起きるでしょう。それはもう隠しきれない規模の事故になるでしょう」

            §

 東海村の事故については、チェコでも大きく取り上げられていました。しかし日本から来る人の誰に聞いてもぽわんとしています。あまりにも反応の差がありました。

 それはともかく、それから間もなくたった日のこと。
「ローローさん、もしかして胃かお腹が痛いのではありませんか?」
 オフィスでミロシュ氏が声をかけてきました。

「え?なんでですか?」
「いつも無意識で胃の辺りや子宮、下腹部の辺りを手でさすっているし、最近前かがみの姿勢で歩いているからです。これは調子が悪いに違いありません」

 当たっています。エジプトにいた時から、謎の胃痛、下腹部痛が始まり、カイロの日本大使館の日本人医師にまず診てもらいました。
 すると
「いますぐお腹をぶち開ける必要はありません。原因不明です」
と言われました。酷い言い様でした。実際、なんか頼りなさそうな医者だったので、カイロのアメリカン病院にも行きました。しかし原因不明でした。

 エジプトの市民病院には行くつもりは毛頭ありませんでした。いかにめちゃくちゃなレベルで不衛生か、よく聞いて知っていたからです。

 それに第一、大きな病院はテロリストのアジトになっていると言われており、特にギザ病院はそうだと噂されていました。多分、実際にそうだったんだろうなとは思います。

「病院に行きましょう。安心してください、チェコの医療レベルは非常に高度です」
 ミロシュ氏が胸を張りました。

 しかし
「本当?」

 信じられません。チェコの医療水準が高いだなんて、聞いたことがありませんでしたから。

「ありがとうございます、でも年を越したらまた日本に一時帰国するので、その時に病院に行きます」
「いやいや、一刻も早く病院へ行くべきです。もしかしたら、本当はおおごとなのに、ローローさんが痛みに我慢することに慣れてしまっている可能性もあります」

「でもちょっと前に日本に戻ったばかりなので、すぐにまた帰国はできません。会社が許しませんよ」
「ですからプラハの病院に行きましょうと言っているではありませんか。会社の保険が全額カバーするので、治療費は一切かかりませんし、ご存じのとおり、私は医療通訳の第一人者でもあります。もちろん、ノーギャラで引き受けます」

「…」
 心が動きました。確かに痛みが悪化しており、ベッドで寝ていても体を曲げて左向けにならないと眠れない、身体をまっすぐにして仰向けの体勢になれないのです。
 それに歩いていても座っていても「いたた」とふいに激痛が走ることも増えていました。

「チェコの医療のレベルの高さはチェコスロバキア時代から有名で、優れているんです。それに〇〇病院なら間違いないし、そこの腕のいい医者もよく知っています。私の家族もみんなお世話になった医者です。とにかく一度行きましょう」

「うーん、でも…」
 いくらそういわれても、どうしてもチェコの医療に不安がありました。これが隣の先進国ドイツやオーストリアの病院ならば、すぐに信用できたのですが…。

 第一、痛い部位が胃だとか卵巣、子宮の辺り全てです。デリケートな場所なので、余計に悩みます。

「ローローさん。それにですよ。来年は2000年です。ミレニアム問題がどうなるか分かりません。なので1999年のうちにちゃんと診てもらったほうがいいですよ」

 医療機器も2000年のミレニアム問題で不具合を生じるのではないか?とメディアなどでは危惧する声が出ていました。

「…分かりました。ではとりあえず一回診てもらいます。お手数をおかけしますが、ミロシュさん。私はミロシュさんの通訳のレベルの高さだけは信用していますので、どうか宜しくお願いします」

 そしてその日のうちに一緒に大きな〇〇病院へ向かいました。正直言って、保険で全額カバーというのも、「よし一応行っておこう」という気になった要因でした。

 先に氏が電話をしてくれていたので、待合室には大勢の患者が待機していたのにも関わらず、全員すっ飛ばして割り込んですぐに診てもらいました。コネと賄賂を使ったからです。

 もちろん、そんなことまで私は頼んでいませんし、知らなかったことです。これが日本ならば、こっそり裏から入室できるものです。東京ディズニーランドや万博、遊園地でも長蛇の列に並ばないでアトラクションに乗れるように、必ず裏口がありますし。

 しかしミロシュ氏は待合室の大勢の待機する患者らの目の前を、堂々と私を連れて横入りしました。心なしか皆さんの視線が痛い…。

 担当医は何となく老人を想像していたのですが、意外やまだ40代ぐらいのハンサムなドクターでした。べらべら英語を話しだしそうな顔をしていましたが、実際は一切喋らなかったので、私一人だったら診察を受けても意思疎通は全く無理でした。

 そう、通訳なのでミロシュ氏も一緒に診察室に入りましたが、自ら背中を向けました。私が服をめくったりするからです。つまり医者と患者の私に背中を向けたまま、それぞれのチェコ語、日本語を聞いて同時通訳をしていってくれました。

 氏はすらすら通訳をしました。日本語の医療専門用語、そしてそれを私のような素人に分かり易くかみ砕いた説明も、日本語で話しました。いつものおちゃらけた言動とはまるで違います。

 結論を言いますと、かなり危険な状態で
「よく我慢していたものだ。それに来るのがあと一週間遅ければ、命に関わる大ごとになっていた。今日からこのまま即入院。手術は明日入れましょう」

えっ?

「さあ今すぐ車でローローさんを団地まで送りますから、到着したらすぐに入院に必要なものを鞄に入れてまとめてください。そして一緒にまたこの病院に戻って来ましょう」

えっ?

 状況に頭が追い付かない私をよそに、ミロシュ氏は二号さんに電話をし、この日のデートのキャンセルを申し出ていました。

 あれよあれよでその日のうちに本当に私は入院しました。個室代は会社の保険でカバーしなかったので、その分は自分で出したものの、一泊プラス千円から三千円程度でした。後は手術費用含め全額保険のカバーです。

 何はともあれ、こうして私がまだ生きていて、こうしてノートにこの話を書いているのも、ミロシュ氏のおかげということになります。


               つづく

通勤で家(団地)を出る時。一応、全身は当時、日本で流行っていたカルバンクラインですが、チェコでは誰も知りませんでした。
確かロケハンの時。紙の資料が多く、黒い鞄を二つ持っています。紙時代は本当に重たかったことよ…。ワンピースはブラチスラバのベネトンで購入(笑)。
モスクワもスリが多いとのことで、あえてシンプルな恰好にしたのですが、やはり赤色を着ておくべきだったと後悔。やたらとカザフスタン人に間違えられました。
これはチェコからロシア横断ツアーを担当した時。写真はロシア国内の鉄道で、駅ホームのないロシアのどこかで下車した時。





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