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ドンキー(ろば)はエジプト版ジャガー🚗!?

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カイロに暮らした十年近い日々は、タクシーとの戦い(!)で始まりタクシーとの戦いで終わったといっても過言じゃない。


まず、最初にカイロ国際空港に到着した時。

空港の入国ゲートをでるやいなや、文字通り突然、客引きのタクシー運転手たちにもみくちゃにされかかった。

なんとかそのうちの一台に決め、それに乗って街の中心まで行くことにしたのだが、いざそのタクシーの扉を開けた瞬間ギョッ!

ドアごと外れちゃったのだ、タクシーのドアごと全部パッカリ取れたのだ!


タクシーといおうか、車に乗ろうとして扉全部が外れたのは、私の人生でこれが初めて!

ア然としたが、荷物はもうその車に積んでいた上、先払いをしてしまっていた。(本当は後払いが普通)

運転手は外れた扉をタクシー仲間に託し、そして私を強引に席に座らせ車を出発させた。繰り返すが、後方席の扉は一つ取れちゃっているままだ。


それでも最初、運転は順調だった。ところが砂漠ロードを抜ける前に、突然エンストか何かで動かなくなった。

運転手は片言英語で私に言った。

「すまないが、ほかに乗り換えてくれないか」。

そうするしかあるまい、と私も思ったのでコックリ頷いた。

「乗れたら何でもいいかね、ドンキーでもいいかね?」

と運転手のオッサンは言った。

ドンキー?ろば??

まさか本物のろばを指してとは思えなかったので、私はこう考えた;

「イギリスにはジャガー(豹)という車がある。

だからエジプトにはドンキー(ろば)という車があるのだろう。」

私が日本人だからトヨタしか乗らないとでも思って、ほかのメーカーの車でもいいか?と聞いたのだな。

なので「ドンキーでもいい、どんな車でもいい」と答えた。運転手のオッサンはよし、と頷いた。

そのタイミングでたまたま野菜を積んだ本物のろばが通りかかった。オッサンはそのろばを止めた!!!!

えっ、えっ!!?? ポカンと私は口をパクパク。

ま、まさか本物のろばだったとは!

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(追記: むろん、ろばに乗るのは断り、結局後から来た、相乗りタクシーで街中まで向かいました。)

後日談だが、このジャガー車/本物のドンキーのエピソードは、その後私の人生に役立つことになる。

エ○レーツ航空とグー○ルの採用試験でこの出来事を書いた。それぞれの採用担当者(イギリス人)に馬鹿ウケ(!)し、二社とも見事、筆記は合格できました✨

災い転じて福となす、人生何が役立つか全く分かりませんな、あの時のろばよ、ありがとう!


話はカイロのタクシーに戻す。

もしかして今でも同じかもしれないが、90年代のカイロの街の移動手段はタクシー頼りだった。

ちょうどフランスがパリを走る地下鉄そっくりのメトロを、カイロにも完成させたところだったが(下の写真はその地下鉄通路)、空港からは通っておらず、運行距離も不十分だった。

(余談だが同時期に、日本のODAはカイロにオペラ座を建てた。約60億円以上かかった費用は日本側の負担で、エジプトは一億円のみ負担した。

フランスは庶民に役立つメトロ(地下鉄)を造ってあげたのに、日本は富裕層が喜ぶだけのオペラ座を建設したのか、と当時は在エジプトの日本社会でもバッシングの嵐だった。)

34地下鉄通路


フランスからの贈り物の地下鉄の他には、路面電車もあった。だけどもこちらも街全域を走っていたわけではなかった。あまり役立たずだったなあ。

ちなみに、このカイロの路面電車は日本からの引き下げで昔、実際に日本で走っていた路面電車だった。

だから、日本語の落書きを車内で見つけると、「あっ!」とびっくりしたものだ。

そしてヘリオポリス地区付近を走る路面電車を見かけるたびに、私の友達の子供達(エジプト人と日本人のハーフの子供達)が、よく走る路面電車の屋根上に乗っていたっけなあ。


公共バスはカイロとギザ全域を運行していたが、バス停がとくにあるわけではなかった。

道端で適当に人を乗せ降ろしていたのだが、これが非常に難しく、

バスが走っているまま飛び乗ってそして飛び降りなければならなかった。

エジプト人は普段は決して走らない。待ち合わせ場所に人を待たせていても、寝坊して仕事に遅れそうになっても絶対走らない。

だけど、バスだけは別で、バスに乗る時だけは必死に走るのだった。

バスは決して停車しないだけでなく、常に人であふれていた。

走るバスから人間が実際落ちる光景もよく目にしたものだが、乗車率500%ぐらいだったんじゃないかな。

また、外国人が乗るとスリに狙われ、外国人女性の場合は痴漢のターゲットにもなった。そして必ず蚤に刺された。カイロのバスは蚤だらけだった。


なので、車を持っていなかった私のような外国人は、タクシーを利用するのが最善策だった。

ところが、このタクシーが『クセモノ』で、一番厄介だったのは料金メーターが動いていないことだった。

最初は正確な料金が分からずドキドキしたが、長年カイロに住んでいると、次第に身体の感覚で「いくら払うべきか」が見えてくる。

しかし、中にはガメツイ運転手もおり、外国人が相手だと相場の金額よりもはるかに高額料金を強気で請求する。

だからいつも私はタクシーを捕まえ、中に乗り込むと

「アッサラームアレイクム」とアラビア語でこんにちは、と低い声で挨拶をした。そしてアラビア語で目的地を告げる。

これで運転手には私が観光客ではなく、カイロの居住者だというのが伝わるからだ。つまり料金相場も知っていますよ、という暗黙の通告だ。

目的地に到着すると、先にタクシーを降りる。そして窓の外からお金を渡し(絶対お釣りは出さないように、ちょうどの金額を払う)、そそくさ立ち去る。

誤解がないように言えば、ローカルの人々のエジプト人よりは、必ず結構多めに払っていた。

だけどそれでも「もっと払え払え!」としつこい運転手も大勢いたため、ごちゃごちゃ揉めないように先にタクシーをでてしまい、サッと払い、サッと去るのが最も賢いやり方だった。


とは言え、強烈に強欲な運転手もいるもので、例えばザマレックのマリオットホテルから、タハリール広場まで乗った時だった。

本来は(当時の価格で)エジプト人のローカル料金なら1ポンド、私のような外国人なら外国人料金で、3ポンドで十分な距離だ。

橋を超えただけだし。でも私は8ポンド、一般的な外国人料金より二倍以上支払った。

が、呆れることにその時の運転手は大声で叫びながら、「30ポンド払え!」とドカドカ追いかけてきたのだ!

運転手と私はタハリール広場のど真ん中で口論になった。すると「なんだなんだ、どうしたどうした」とやじ馬があっという間に集まってきた。

そこで考えた私は群集向いて大声で演説をした。

「皆さん、聞いてください。私はエジプトに留学に来ました。皆さんの喋る美しいアラビア語を学ぶために、この国に来ました。アラビア語はとても素晴らしい言語です」。

やじ馬のオッチャンたちはタバコをくわえだし、オバチャンたちは地べたに座り込みだした。子供たちも私の顔を見つめている。全員、私に注目していた。

私は続けた。

「ひとりで頑張って生活して勉強しています。大変なこともいろいろあるけど、エジプト人の皆さんは親切で協力してくれています」。

みんなはウンウン頷いて聞いている。涙ぐみだして拍手をしてくるお婆さんまでいる。

「ところが..」私は悲しそうに泣く真似をした。

「この運転手だけはムシュクワエス(悪い奴)で、

この運転手はそんな私からタクシー料金をぼったくろうとしています。

皆さん、どう思いますか!?」

やじ馬集団は一斉に息を呑んだ! そして全員でこの運転手を睨みつけわめきだした!

「お前最低だな、お前はなんてことをするんだ!」。

結果、運転手は目が泳ぎアワアワして逃げて行った。

ああよかった、と私は皆さんに感謝を述べ立ち去ったが、ここで言いたいのはここまでしないと、ぼったくりタクシー運転手には勝てないこともあったということ。本当に苦労したものだ!


そもそもカイロのタクシー運転手にとって、お金をぼったくるのは朝飯前という感じだった。

「10ポンドでいいよ」と言いつつ、実は10エジプトポンド(300円)じゃなく、10イギリスポンド(2000円ぐらいだったかな?)のことだったり、油断もスキもあったものじゃなかったものだ。

また運転手の8,9割が私(といおうかほかの日本人女性も)を乗せると、ミラー越しで

「ヤバネーヤ(日本人)か?」と聞いてきて、二番目の質問は決まって「アンディックカムサナ(何歳か)?」。

(エジプト人というのはタクシードライバーに限らず、初対面で女性にガンガン年齢を平気で聞いてくるのが普通だった!笑)


そして三つ目の質問も100%「エンティミットガウザ?(結婚しているのか)?」。

未婚だと答えるようなら、必ず「俺と結婚しよう!」。

ちなみにもちろん、毎回「いいえ、私は既婚者です」と嘘をついていた。すると

「旦那は日本人か?それともマスリー(エジプト人)か?」と聞かれる。私は「主人はエジプト人です」と絶対答えるようにしていた。

というのも、夫はエジプト人というとどの運転手も必ず同情して(爆笑)、

「そうか、亭主はエジプト人か。

それは気の毒だな。じゃあ苦労しているだろう。

タクシー料金まけてやるよ」と言ってくれたから!!!


とにもかくにも、好奇心旺盛でおしゃべり好きのタクシー運転手が多かったが、たまに出会った、タクシーの仕事を副業にしている学校の先生や大学教授たちの場合は、やっぱりマトモだった。

エジプトは教授(教師)も医者も弁護士もクラシック演奏家も給料がよくなかった。外国人観光客相手の観光ガイドの仕事より、ずっと給料が低い。

なので、副業でタクシー運転手をする大学教授、医者、弁護士もいたのだ。やはり英語が上手で、どこか品があって知性的だったので、こちらもすぐに「インテリだな」と分かった。

一度、ハーバード大学帰りのエジプト人博士のタクシーに乗ったことがある。彼は車の中でビバルディの『四季』のオーケストラ演奏テープを流していた。

カイロのタクシー中でクラシック音楽を耳にしたのは、この時限りだ。

十年近く住んで、タクシーでクラシックが流れてきたのは後にも先にももうない。

(普通はカシャカシャ賑やかなエジプシャンポップスを大音量で流している)


カイロのタクシーを語ればまだまだ思い出(愚痴)たくさん、ネタたくさんなのだが、タクシーのことでこんなに語れるのはほかの国の都市ではありえないんじゃないかな。

ところでコロナの前、私はちょっとニューヨークに行った。JFK空港でタクシーに乗った。やたらとべらべら話しかけてくるフレンドリーな運転手だった。

もしや?と思って聞いてみると、やっぱり案の定エジプトからの移住者だった! 

名前もモハンマド。(みんなモハンマド!)

エジプト人モハンマドはハイスピードで荒っぽい運転をしながらずっとしゃべり通しだった。本当にエジプト人の男はよく喋る!

そして突然こんなことを聞いてきた。

「お前は日本人か?」

そうだよ、と私。すると

「ジョンがオノヨーコに初めて会った時、なんて言ったか知っているか?」。

知らないと首をふると、

「オー、NOって言ったんだよ、わっはっは!!!」。

...

ニューヨークでまさか不意打ちのエジプシャンジョーク、エジプシャンハイテンション!! 

心構えもなく身構えていなかったので(笑)、ノックアウトくらいました!笑

それにしてもエジプト人タクシー運転手、どこの街でもいろいろな意味で飛ばしていますな。

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