目には目を、歯には歯を①-ヘロドトスが来た、そして日本人グループが来た
「おい、またお前か! どけよっ!」
ルクソールの王家の谷のラムセス六世墓の中で、私がツアーグループの案内をしている時だった。
墓内の壁画に描かれた、『最後の審判』の絵を説明していると、長身ドイツ人グループを連れた、エジプト人ドイツ語ガイドのヒシャーム(仮名)に、ドカンと体当たりをされた。
私がよろめくと、その隙にバッと『最後の審判』の真ん前を陣取り、そして手でしっし、私の"農○ツアー"の小柄なおじいさんおばあさんたちを追い払った。
気のよい農協のおじいさんおばあさんたちは、戸惑いながらも場所を譲る。(←日本人はこういうところがある)
すると、背の高いヒシャームは、フンッと満足げに鼻を鳴らし、
「さあさあ」と、空いた 壁画ど真ん前の位置に来い、と自分の巨大ドイツ人客たちを手招きをした。
「チッ。またしてもこいつにやられた」。私は唇を噛み締めた。
「日本語が足りない」
日本語を話すガイドが全く足りない。エジプト中の旅行手配会社が焦っていた。
2000年初頭までぐらいの話だがエジプト中、日本人ツーリストだらけだった。
成田からカイロまで飛ぶ国際線は、※エジプト航空直行便(といっても給油とCA交替のため、マニラとバンコク経由)だけではなく、他国の航空便も常に日本人の乗客で満席だった。
あまりにも、大勢の日本人ツアーが毎日どんどん到着するため、エジプト人たちは
「日本の国民は必ず、エジプトに来なければならない法律でもあるのか」
と思うほどだった。
(注釈※1994年の関西空港の開港のしばらく後に、関空からもエジプト航空直行便登場。日本航空は第一次湾岸戦争時に、中東方面への就航終了になっている。)
ヨーロッパ人やアメリカ人は、彼らがターゲットにされた、相次ぐテロ事件または第一次湾岸戦争の影響で、エジプトに飛んでくるツアー数が減っていた。
しかし日本は、テロも戦争もどこ吹く風。エジプト旅行フィーバーで浮かれていた。
私が思うに、1980年代のバブル期に日本人ツアーはアメリカ、ヨーロッパに行き尽くした。世界遺産もたいてい見て回った。
さあ、あとはどこに行こうか...そうだ、まだピラミッドを見ていない! ピラミッドも世界遺産だ!
...こんな流れだったんじゃないかな。
エジプトの三大収入源はざっくり言うと、外国の出稼ぎ労働者、スエズ運河通航料そして観光だった。(※何気にベリーダンサーたちがもたらす収益も、これらに負けないくらいの額だともいう)
出稼ぎ労働者は主にサウジアラビアやクウェート、ドバイなどの湾岸諸国に出ていた。
結婚するための結納金を貯めるには、国内の数倍も給料のよい外国に出ちゃうのが一番手っ取り早い。
そこで、特に農村の若者は湾岸諸国で肉体労働に従事し、
また国内とは給料の額が雲泥の差があるため、医者や研究者、教職員たちまでもが湾岸諸国やアメリカ、ヨーロッパに飛び出していた。
意外とエジプト人女医や女教師も、湾岸諸国では引く手数多だった。
何故なら、サウジのような戒律の厳しい湾岸国では、女性患者や女学生には、同性の医者や教師が求められていたからだ。
JETROのホームページによれば、2020年の在外エジプト人送金額は合計296億ドルだったという。
スエズ運河は、かつてはその運航料金をイギリスに持って行かれていた。
しかしそれはおかしい、と時のナセル大統領が噛み付き、1956年、独断でスエズ運河国有化宣言を行った。
その結果、第二次中東戦争が勃発したものの(ソ連の支援を取り付けたエジプト vs イギリス、フランス、イスラエル。最後にアメリカもエジプト側についた)、運河通行料をエジプトが独占できることになったのだが、その収益は年数十億ドルをくだらない。
そして観光業は、年百億ドル前後の収益を得ており、国の三大収入源の一つだった。
だから、国の財政を支えるツーリズムの人間はエリートで(日本では理数系/エンジニアが何となく偉い風潮なのと同じ)、とりわけガイドの社会的地位は高かった。
でもそう言うと、鼻で笑う日本人もいるのだが、根本的に日本人とエジプト人ではツーリズムに対する見方が全く違う。
まず、エジプトの歴史は途方もなく長いもので、ほとんどの国よりはるか前に文明も栄え、世界一の先進国だった時代もあり、そしていまだに素晴らしい遺跡の数々もたくさん残っている。
つまり自国の歴史観が、一般的な日本人とはまるで次元が異なる。
だから「たかがツーリズムでしょ、重要な業種じゃないでしょう?」と言われると、話が噛み合わなくなる。
日本人の感覚と、こういう歴史を持つエジプト人では、ツーリズムへの畏怖の気持ちがまるで大きく異なるのだ。
そもそも、はるかはるか大昔からエジプトでは観光業自体も盛んで、紀元前にはすでにギリシャ人の外国観光客が訪れている。
そう、歴史の長さだけではなく、ツーリズム自体の長さも、やっとインバウンド(外国人観光客の受入れ)が本格的に始まった日本の旅行業界とは、レベルが全く桁違いなのだ。
↑ギリシャ人の旅行者、ヘロドトスは紀元前454年に、エジプトのアスワンまで旅行に来ています。
それだけじゃない。
旅行(レジャー)に対する概念も全然異なる。
日本では旅行は"余暇"に見られがちだが、その概念も全然違っていて、フランスと深い関わりのあるエジプト人は、バカンスのために仕事をする、というフランスの考え方の影響を受けてきている。
だから、エジプトでは観光ガイドはとても尊敬される仕事で、ガイドライセンスの国家資格取得は難関だった。
何度も試験に落ちるエジプト人はざらにいたし、観光ガイドには高学歴者が多かった。
それも当たり前の話で、弁護士や医者になるのと難易度が同じなら、多くの優秀なエジプト人は観光ガイドの仕事を選ぶ。
エジプトの歴史への想いが深い上、ツーリズム業界のシステムも確立されており、まあまあ働きやすい、さらにガイドの方がずっと稼ぎがいいからだ。
ちなみにでは、なぜエジプトでは、先進国のように弁護士や医者の地位が低く、稼ぎもパッとしないのか。
あくまでも私個人の見解だが、
エジプトでは、そもそも身内の年長者の言うことが絶対だ。何か身内の揉め事が起きても、弁護士なんぞに相談するのではなく、長に仲介してもらう。
エジプトに限らず、アラブでは、紅茶を何倍も飲みながら「まあまあ」で、仲介者に入ってもらいながら、のらりくらりと話し合いで解決するものだ。
そもそも、一般的に法律よりも、イスラムの戒律の方を人々は守る。
国民"全員"が信号無視していることから分かるが、法律や規則を軽んじている。
それに、最高裁判所長官とは別に、発言力の大きい最高イスラム法官が存在している。最高裁判所長官より権限は絶対だ。
その上、賄賂がまかり通る社会だ。
先進国では、実刑30年と申し渡されたら、30年刑務所に入る。(あくまでも"例えば"の話です)
が、エジプトの刑務所では、コネや賄賂があれば、これは非常に極端な例だが、30年の実刑でも三日で出て来れることもある。(実際、私も見ました)
医者も、なかなか難しいのが、保険制度が全然確立されていない。
また、病気になっても「アラーの思し召し」で治療を受けようとしなかったり、死ねば永世を得られる天国に行ける、という信仰があまりにも強い。(繰り返しますが、これらは私個人の意見です)
だから、結論として弁護士や医者になっても、いまひとつパッとしない。本当に弁護士、医者でやっていきたいエジプト人は外国に出るのも、優秀な若者が収入もよく華やかな観光業を選ぶのも致したかないのだろう。
実際、エジプトでは観光ガイドは「ドクトール(男)/ドクトーラ(女)」と呼ばれていた。"博士"だ。
私も方々でドクトーラと呼ばれていた。爆笑
さて、ここから"tricky"な話になる。
エジプトでは、エジプト国籍を持つエジプト人しか、観光ガイドになれない。外国国籍だと、観光ガイドの国家試験を受けられない。
だけど、日本国籍の私は、エジプトで観光ガイドもやっていた。
しかも日本大使館の依頼を受け、エジプト人SPをぞろぞろ引き連れ、同行していたエジプト人の某大臣の目の前で、堂々とガイドもしたことすらある。どういうことかなのか?
エジプトは観光業にも頼り、そしてバンバン飛んできて、どしどし買い物(絨毯とゴールド)もしてお金をガバガバ落として行ってくれる、日本人を大事に思っていた。(欧米人は"ケチ"だからこんなに買い物しない。)
ところが、日本人ツアーについての唯一であり最大の問題は"日本語ガイド不足"だった。日本語ガイドが全然足りなかった。
いきなり一気に日本語ガイドが必要になっても、日本語が堪能で日本人の接客方法を心得ているエジプト人ガイドがたくさんいるわけがない。
歴史的にも長い深い付き合いのある、フランス人やイギリス人とは違い、ポッと派手に登場した日本人ツアー軍団の"扱い"を心得てなどいやしない。
第一、毎週、エジプトに飛んで来る日本人ツアーの本数が100だとすると、日本語ガイドは10人くらいしかいなかった。
「日本語を話す人間をどんどんスカウトしろ!」
エジプトの各旅行会社は血走った。歴史の知識有無は二の次だ。日本語さえ話せば、誰でもいい!
そこで、ガイドの資格はおろか、肝心な日本語もおぼつかない、日本語初級者のカイロ大学日本語学科の一年生たちまで、ガイドにかりだされた。
めちゃくちゃだった。
案の定、日本の主催旅行会社側から「待て」がかかった。
「何を喋っているのか、全く分からないガイドを手配するな。土産店ばかり連れていくような、がつがつしたガイドを雇うな。常識をわきまえているガイドを出せ」。
...
エジプト側は弱った。なぜなら、日本語レベルのみならず、ハイレベルなガイド/サービスができるエジプト人はたった数名しかいなかった。
そう、ガイドは語学のスキルも大事だが、日本人の"ツボ"を心得ていることも重要だと思うのだが、
例えば、日本人新婚ツアーならば、がっちり長々しく遺跡説明をするより、もっと二人きりの時間を持たせてあげるようにするだとか、
田舎のシニアツアーならば、歴史の説明なら英語はあまり混ぜないで、紀元前紀元後の説明を日本史に例えて伝えるようにし、
カメラ愛好家ツアーなら、説明より撮影時間を多く割いてやるというように、それぞれの客層に合わせた案内、時間配分をせねばならないなど、気配りや気が利くことも大変必要だ。
ところが、大半(といっても元々少なかったが)のエジプト人ガイドは日本語を話すだけで精一杯で、それ以上の痒いところに手が届くサービスは出来ていなかった。(国民性もあるだろう)
第一、片言の日本語で難しい歴史の解説を一週間聞かされ続けると、お客さんたちの耳がたいそう疲れるものだった。
結果、エジプトツアーから戻ってきた添乗員及びツアー参加者から、苦情が相次いだ。
日本の各旅行会社は頭を抱えた。
日本側としては、アメリカ、ヨーロッパに比べて、手配料金が安いため、利益率が高いエジプトツアーをもっと大々的に売っていきたい。
同時に、エジプトの政府も旅行会社も、大金を落としまくる日本人ツアーには、もっともっと来てもらいたいから、日本の要望を応えていきたい。
でも、肝心なガイドに問題があるときている。
「餅はもち屋、日本人には日本人を」
突然、エジプトは思いついた。
つまり、日本人には日本人のガイドを付けよう、となった。
で、ここで問題になるのが、さきほど述べた、"外国人は観光ガイドになれない"だ。
外国人が観光ガイドの資格は取れない、これはどうしても変えられない。でも急遽、日本語べらべらのガイドを量産するしかない。日本人を雇うしかない。
じゃあ"資格"問題は..
さて、エジプトはこの解決策をどうしたのか!????
つづく
(何故タイトルが"目には目を、歯には歯を"なのか、もう少しで分かるので、よければ最後まで読んで下さると嬉しいです。
そして冒頭の、意地悪ドイツ語ガイド"ヒシャーム"の名前は覚えておいてください。笑)
↑お客さんの女性と。水タバコはシーシャといいますが、レバノンではアルギリだったかな、と呼びました。
↑お客さんの女の子と。私の右のエジプト人は日本語ガイド氏。彼はいい人だった!
↑ツアー客全員に声をかけて、夜のハンハリーリ市場のアホワ(茶店)にもよく連れて行っていました。ノーギャラです、むろん!
↑マリオットホテルのガーデンカフェかな。シーシャは苺味やりんご味などあります。
↑確か男子大学生ツアーだったかな? ていうより、シーシャの写真ばかりで、我ながらア然
↑日本語ガイドさんと。彼もいい人でした。
↑この写真もあの写真も吸っているものばかり...
↑湾岸人たち。一目でエジプト人じゃないと分かります。
(
↑おまけ。有名ですが、ホルスの目は脳みそ!!!!!
続き
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