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麻酔なしで縫われちゃった!プラハの病院~LOLOのチェコ編㉓

「直径15㎝以上にもなっている。よくまあここまで放置し生活できていたものだ。緊急入院し即、手術だ」

 私を診察したチェコ人医師が、片方の卵巣に大きな囊腫ができていると説明しました。

 確かに激痛で眠れないことがあったり、仰向けや嚢腫のある側を上にした横向きで寝そべることもできないとか、背筋を伸ばすのも辛い、月のお客様の訪問も滅茶苦茶になっていたなど心当たりがありまくりでしたが、ここまでおおごととは。

 最初に「おかしい」と感じたのはエジプトに渡って一年目ぐらいの時でした。
 だけども日本大使館の日本人医師には
「妊娠だとか中絶したとかのご経験がありますか?」
としか聞かれず、
「どちらも経験がないなら、メンタルの問題が身体への不調に出たのでしょう」

 一方、カイロのアメリカン病院では確かに嚢腫のことを指摘されたものの、まだ大きさが大したことなかったので、
「よくあること。そんなに気にしなくていい。自然に小さくなることもあるし(そうなのかな?)、ま、でも日本に帰国したら、念の為病院に行きなさい」
としか言われませんでした。

 ところが一時帰国をするタイミングでいつも痛みが和らぎ、また病院に足を運ぶことよりも、友人たちと会って遊ぶことを優先させたので、日本の病院で診てもらうことはありませんでした。

 一般にはまだ子宮筋腫、卵巣嚢腫といった類の病名はメジャーではなく、私も聞いたことがありませんでした。なので軽視していたのです。

 第一、女性特有の病気は
「隠すもの。恥ずかしいもの」
と一般的には考えられていたので、未婚の若い女性は婦人科に行きにくい、という心理的な壁もありました。

 今回、ミロシュ氏の自宅の電話を借りて、日本の母親に卵巣嚢腫が大変なことになっている旨を告げました。すると案の定です。怪訝な声を出されました。
「卵巣の病気?」

 その疑い深そうな言い方が、まるで娘の私が梅毒か何かにかかったかのを咎めるように聞こえました。

 もっとも、AIいわく
「卵巣嚢腫:卵巣や卵管の表層が腫脹し、水分や粘液が内部に侵入したことが原因です。ストレスの影響などで気の流れが滞ることにより、卵巣嚢腫ができやすくなることもあります」

 私の場合は初潮を迎えた時から多量出血など色々問題があり、毎月、激痛に苦しんでいました。しかし母親は
「十代の若い娘が婦人科に行くのはちょっと…」
と娘の私を病院に連れて行くことはなく(実際、当時の多くの母親はそういうものだった)、その母親に私は
「我慢しなさい」
と言われ続けており、実際痛みの我慢に慣れてしまっており「こういうもの」と思い込んでおりました。

 エジプトに住んで以降、劇的にそれらの症状が悪化しました。きっとストレスと睡眠不足、過労、脂っこい食べ物、肉を食べる量と回数が一気に増えたなどのせいだったと思います。

「とにかく今すぐ帰国しなさい。こっちで病院に行きなさい」
事の重大さを悟った母親は流石に
「未婚の女性が婦人科なんて…」
ともう言っていられない状況だと分かったようで、そのようにきっぱり命令してきました。

 するとミロシュ氏が
「電話、代わって」

「初めまして、私はミロシュ・〇〇〇〇と申します」
 と落ち着いた声ですらすらと自己紹介を始めました。

 少年時代を日本で過ごしたこと、両親のこと、会社経営のことななど。受話器の向こう(海の向こう)の母親が萎縮し恐縮しているのが手に取るように分かります。

 とはいえ、さすがミロシュ氏です。ちゃんとジョークも言って笑い声をあげたりし、私の母親を和ませることも忘れていません。天性の「人たらし」です。

 氏はチェコ人医者の診断結果もてきぱきと伝え、今長時間のフライトに乗って日本に帰るのは本人的にも辛いはずである。
 また日本に戻ってもてきぱきとすぐに手術入院できるか分からない。チェコの医療は非常に進んでいて、、、などなどべらべらべら話しました。

「…そういうわけでご安心ください、ローローさんはプラハの病院と私に任せてください。なんでしたらお母さん、プラハに来られませんか?私が空港までお迎えに上がりますし、ホテルの手配も全部行いますよ。
 もちろん我が家にお泊りいただいても構いません。年がら年中発情している駄犬と、気の強い中国人の嫁と、その嫁に尻をひかれている愚息もいますがね、ははは」

 ちなみにミロシュ氏の息子はまだ入籍はしていなく、中国から連れて帰ってきたガールフレンドとは父親の家で同棲しているだけです。

 でも上の世代の日本人には「同棲」という言葉はあまりいい印象を与えないので(*今から25年ほど昔の話ですので)、それを知っているから、氏はあえて息子たちのことを「結婚している」と言ったようでした。

 はっと私が気づけば、二人で母親の渡航話をしています。慌てた私は受話器をバッと奪い取りました。
「ミロシュさんはそう言ったけど、来なくていいからね。言葉の問題もあるし、冷たく聞こえるかもしれないけど、お母さんに来られた方が逆に私は心配で、気がおちおち休まらないからね。」

 一瞬間があったと、母は震えた声を出しました。
「…でも、生きてまた会えるわよね…?もしお母さんがプラハに飛ばなければ、このまま生き別れっていうことには…」

 驚いたことに、母親は受話器の向こうで泣いています。何を大袈裟なと思われるかもしれませんが、繰り返すと、当時はまだ卵巣囊腫や子宮筋腫などメジャーな病気ではなかったこと。実際にまだ手術して日帰りまたは一泊だけで済む程度ではなかったこと。

 その上、私の囊腫の大きさが良性とはいえ、異常な規模の大きさになってしまっていたこと。しかも遠い外国にいること。

 受話器越しで私も「お母さん、お母さん」とおいおい泣き、それを見ていたミロシュ氏も涙ぐみ、そして再び氏が受話器を握り
「お母さん、大丈夫です。必ずローローさんは良くなります。その時は私がローローさんと一緒に日本へ行きますよ。え?お礼?気にしないでください、彼女には仕事でどれだけ助けられているか。その恩返しですよ」

 その夜、日本の母親は私の入院手術の件はもとより、娘とミロシュ氏の関係が気になって眠れなかったとのこと。
 でも後に
「25歳くらい年上で、離婚の件で揉めている別居中の奥さんがいる既婚者で20代の子どもが二人いて、既婚女性の愛人もいて、自身の会社経営はビジネスパートナーの20代の女性にほぼ丸投げの人」
と話したら、大衝撃を受け唖然としていました。

              §

 入院は一、二週間を予定していました。長いのですが、今とはその手の手術のリスクが違ったことと、如何せん巨大囊腫なので、病院も余裕を持ってみたのでしょうか。

 となると心配なのが貴重品です。パスポート、チェコのグリーンカード、クレジットカード、銀行カード、保険証、大きな現金、高額なアクセサリーの類。誰もいない家に置いておいて大丈夫なのでしょうか?

 何しろエジプトでは私の不在中に、大家の息子に合鍵で黙って入ってこられ、ウォークマン、ゲーム機など盗まれた経験があります。チェコはエジプトではないけれども、一度そういう経験をしてしまうと、疑心暗鬼にもなります。

 よってミロシュ氏にそれらを全部預かってもらいました。氏の自宅の金庫に入れてもらったのです。盗みなどは絶対するわけがないという信頼はありました。


 入院する部屋は個室を取ったのですが、予想以上に簡素でした。そもそもベッドは錆びついています。でも大きいので、そこはさすがにチェコ人サイズだなと思いました。

 なお「入院中の寝間着は好きなのを着ていい。患者がリラックスできるのが一番」とのことで、慌てて寝間着を買いました。
 というのは一人暮らしの団地では、エジプトのガラベーヤを寝間着にしていたからです。
「流石にこれを着て入院するわけにいかない」

 そこでシルク100%の金色と銀色のパジャマを二つ購入しました。なぜシルク素材の金色銀色を選んだのかというと、
「看護師や医者に人種差別されないように、せめてお金持ちっぽくみえるようにしたい」笑

 そのシルク100%のパジャマは一着5000円でした。当時のチェコ人にとっては高価ですが、日本人の感覚だと安い。

 のちに本郷の東大病院に別の病気で入院した時、この時のシルク100%の金と銀色のパジャマを身に着けたら、日本人の看護師さんにびっくりされました。
「こんな目立つ派手なパジャマの患者さん、初めて見た!」

              §

 バタバタと慌ただしく入院しました。

 忘れられないのが、チェコ人の看護婦さん(当時は看護師ではなく、看護婦さんと普通に言っていたので、あえて「看護婦さん」と書きます)が私の個室に入って来た時でした。

 私の担当になったレンカさんです。ぎょっとしました。真っ赤な唇に真っ赤なマニキュア。しかも爪も伸びています。ピアスとネックレスもしています。

「ミロシュさん、この人は本物の看護婦さんなのですか?」
「はいそうです。チェコ人の看護婦はみんなセクシーなんです。患者さんを癒さねばなりませんからね」

「…」
 呆気にとられていると、レンカさんは何やら大きな機材を引っ張ってきました。心電図の機材です。でも異様に大きい、とにかく大きい。

 こんな巨大な心電図など見たことがなく、さらにです。「ポーランド製」と刻印されてあるではないですか。
「なぬっ!?」

 今の時代なら「ポーランド製」を見ても何も感じないかもしれませんが、まだまだポーランドイコールもろもろ遅れている、貧しいというイメージだった時代です。ぎょっとします。こんな信頼できない機材を使用されるのか、と。

 その上、レンカはミロシュ氏と楽しそうに談笑しており、私の体温、脈を計るのもおざなりです。

「ミロシュさん、看護師さんと何をそんなに楽しそうに話しているのですか?まさかまたナンパですか?ナンパならこの場でそれはちょっと不謹慎ですよ」

「いやだな、違いますよ。そこまで僕は節操がない男ではありません」
「ほお…」
「いやね、どこかでお会いしたことがありませんか?って聞いてみたんですよ」
「つまりナンパですよね?」

「違います、違います。本当に会ったことがあるんですよ」
「どこで?」
「〇〇店です」
「えっ?〇〇店ってミロシュさんの行きつけのSMプレイの店ですよね?」
「彼女もそこの”女王様”なんですよ」
「はっ!?」

「チェコではね、看護婦は給料が悪いので、夜のバイトをしていることも多いんですよ。売春やSMプレイとか。特にSMの仕事はうってつけなんですよね、看護婦は身体のことをよく分かっているから」
「・・・・」

 エジプトでは肩書の立派な博士や教授、研究者も観光ガイドのアルバイトをやっていました。本業の収入があまりにも悪いからです。かたやチェコでは、看護婦さんが売春するのが当たり前?よくあること?

 私が留学したアメリカでは看護師の仕事はとても待遇が良く、そもそも週三日の勤務だけでOKでした。それでいて福利厚生に恵まれ、お給料も気前が良い。ところ変わればですが、ああもびっくりです。

 その後も色々な検査など受けましたが、どの機材も全部ポーランド製か東ドイツ製、USSR製。しかもどれも時代遅れのものばかりだ、というのは素人目でも分かります。ドキドキ不安になります。

「ああ日本に帰国して、日本の病院に入るべきだった。もしくは隣のドイツの病院に入るべきだった」

 ミロシュ氏の言葉を信じたことを深く悔やみました。あとです。チェコで入院手術すれば、保険で全額カバーするので(個室部屋代除く)、費用もかからないというセコい考えを持ったことも失敗でした。

               §
 
 翌朝ー

 ミロシュ氏が私の病室にやって来ました。
「さあいよいよ手術です、頑張ってください」
「あの、執刀医には先に会えないのですか?」
「手術室で会えますよ」

「いや、普通はその前に患者や家族に向かって、執刀医本人が手術の説明をするのでは?」
「ああ、チェコの病院ではそのようなシステムはないですね。それに、すでに最初に診てくれた医者が色々全部説明してくれたでしょ?」
「…」

 手術室に運ばれました。廊下をベッドで運ばれている間、いきなりふと気づきました。
「そういえば麻酔医の説明や診察、問診も何もなかった…」

 いかんせん、それまで入院をしたことも手術を受けたことも全く経験がなく、家族にもその経験者がいなかったため、あまりにも何もわかっていませんでした。

 オペ室に入りました。するとです。にょきっと一人の女性が寝そべっている私の顔を覗き込んでました。執刀の女医です。やっとここで初めて執刀医に会ったのです。

 第一印象は「ぎょっ」

 なにしろ、執刀医は濃厚なマスカラとアイメイクを塗りまくった女医なのです。

 中でも一番目に入ったのは、女医の胸元に光るカルトゥーシュでした。これはフィクションではありません。実話です。出来過ぎた話のようですが、本当に女医の胸元にはカルトゥーシュのペンダントがぶら下がっていたのです。

 カルトゥーシュとは言わずもがな。古代エジプトの象形文字のペンダントです。通常は表にツタンカーメンやラムセス二世、ネフェルタリ、クレオパトラ七世など王家の人間の名前が象形文字で刻印されています。

 なぜならカルトゥーシュは王家の人間のみ許されているものなのですが、その裏に王家ではない人々が自分の名前を象形文字で入れてもらいます。エジプトの定番の土産です。

「ああカルトゥーシュだ…。これはルクソールのフィリップバザールで買ったものに違いない、いいゴールドだ。でもネフェルティティと書いてある。良くも悪くも怖い王妃だった。そういえばこの女医はネフェルティティに顔が似ているかも…」

 ここで私の意識が飛びました。麻酔が完全に効いたからです。しかしこれ以降、ネフェルティティの彫刻の写真を見たり、その名前を耳にする度にこの時の手術を「悪夢」として思い出すようになりました。
 なぜ「悪夢」かというと…

            §

 目覚めると、ミロシュ氏がいました。
「ああ良かった、目覚めましたね」
「…」
 力がなく、何も答えられません。なお、術前に担当医の医者からでしたが、
「本当は卵巣を全摘出したいが、まだ若いので卵巣はとっておく」という話や腹腔鏡下手術なるものの説明も受けています。

 腹腔鏡下手術などそれまで聞いたこともなく、まだ出始めた新しい手術でした。日本ではこの数年ほど前にに初めて行われたばかりでした。

「ゆっくり眠ってください。また明日の朝来ます。なあに、すぐに元気になりますよ」
 ミロシュ氏はそういうと去って行き、私はまた深い眠りに入りました。時間は夕方ぐらいだったはずです。ところがです。

 手術を終えたその夜遅く。
 激痛で目が覚めました。しかし身体が動かない、声も出ません。ナースコールを押したくても、腕すら動きません。意識がもうろうとしているので、何も考えてすらもいません。

 どれくらい経ってか、見回りの看護婦が私の個室にやって来ました。レンカです。

 彼女は生真面目でちゃんと仕事をこなすタイプだったので、横着せず
「ああ寝ているな」と
一瞥してすぐに去ることをせずに、ちゃんと私の様子を確認しようと顔を覗き込んでくれ、ポーランド製の心拍数モニターも見てくれました。これが良かった。

「まずい!」
気づいてくれました。本当にもし彼女が怠慢で、灯りをともしてちゃんと私の寝顔やモニターを確認していなければ、多量出血で翌朝、私は遺体になっていたかもしれません。

 レンカが私の毛布をめくると、腹腔鏡下手術で縫った下腹部…おへそのそばの小さな穴の糸がほどけ!、そこからどばどば出血し、血まみれになっていたのです。結構前から出血をし続けていたようで、それまでの見回りの看護婦も見過ごしていました。

 レンカはすぐに医者を呼び、担当医の若い男性と数名の男性女性看護師がどかどかと慌ただしく部屋に入って来ました。そしてその場でその穴を縫い直しされました。

 時間がない、もたない、やむを得ないということで無麻酔状態です。

 痛いというレベルどころではありません。中世の時代の拷問はこういうのだったのでしょう。私は複数の看護師に暴れないように腕脚など押さえつけられ、舌も咬んでしまわないように、何かを口にくわえさせられました。本当に完全に拷問の苦しみです。

 ようはあの女医の腕がなかったということなのですが、4~6人のチェコ人看護師に押さえつけられ、無麻酔ですから、意識がある、痛みを感じる最中下腹部を縫われた…!

                §

 その後、一週間以上入院を続けました。なかなか歩けるようにならなかったからです。

 徐々に体力を取り戻していくと、今度は暇になりました。手持無沙汰です。部屋に持ち込んだテレビを見るしかないのですが、おもしろくありません。

 その週末ー
 どの患者にも大勢の人々や家族が見舞いに来て、楽しそうに会話して笑っています。両隣の部屋からも談笑が聞こえてきました。

 個室の窓から見下ろすと、患者とお見舞い客の面々が散歩したりしています。

「いいなあ」
 ものすごく寂しくなりました。異国の地での入院は本当に寂しかった。やはり母親に飛んで来てもらえば良かった。

 唯一、毎日来てくれたのはミロシュ氏。あとは意外にも会社のチェコ人の女の子たちでした。そんなに親しくもないのに、花や英語の女性雑誌、お菓子を持って来てくれました。

 日本人は一人だけでした。A子さんです。彼女ともそんなに親しくなかったのに、いっぱいお土産を持って来てくれました。嬉しかったのは日本の雑誌や小説、お菓子です。意外でした。人は分かりません。

 逆に普段親しくしていたB子さんは、一回も来てくれませんでした。理由は
「婦人科系の入院にはお見舞いに行ってはならないもの。逆に失礼にあたる」

 もう一人親しくしていたはずのC子さんは、むしろ
「絶対中絶でもしたんだ」と言いふらしていました。

 実際、まだまだ日本では、婦人科系の疾患とは堕胎や性病と結び付けて想像する人が多い時代でした。だけども、C子さんは私よりも全然年上の頼もしいキャリアウーマンです。それなのに…。私の人徳のなさのせいだったのか、、、。

 なお、お見舞いに来てくれたチェコ人の女性同僚たちに
「チェコでも婦人科系の病気は口にしてはいけないとか、お見舞いにも行くべきではないとか考えられているの?」

「はっ?ありえない」

 チェコに来て1、2年。当初は色々馬鹿にしていたこともあったけれども動物愛護が進んでおり、保護犬猫も当たり前だとか、保険システムも日本より恵まれており、さらに婦人科系の病気への偏見差別もない。これまた色々唸らされました。

 余談ですが、ミロシュ氏は私を入れた病院を「プラハの最先端の病院」と言っていましたが、実は最先端の医療設備と技術を持った病院は別の病院であったこと。
 また決して当時のチェコの病院が進んでいたわけでもないことを、後になって知りました。

             §

 退院した後。
 やっぱり腹腔鏡下手術した箇所がなんだか痛いということで、一時帰国したタイミングで都内の大きな病院に行きました。

 すると
「ドイツ語の診断書なんか読めない」
とけんもほろろ。

 しかしK応病院の某医師だけは、すらすらどれを読んでくれ、結局この病院で再診察してもらいました。

 だけども、チェコだと言っているのに、
「チェコスロバキア」と言われ続け、
 チェコではチェコ語だと言っているのに、
「ドイツ語」をむやみに口にされ、ドイツ語まじりの説明をされました。

 知ったことは、一般的に外国の病院でよそで手術を行ったケアをするのを日本の病院は嫌がるものなのだ、ということです。

 再びプラハに戻ると、まだ日本人の年上C子さんが
「婦人科系の病気って、遊んでいる子がかかるんだよね~」
と言いふらしていました。

 もちろん、それを知ってもやっとしました。例え私のことを嫌いでも、同じ女性として最も嫌な思いをする中傷を根拠もなく、なぜ吹聴しまくるのでしょう。

 その一年後くらいのことでした。
 日本の歌姫の宇多田ヒカルが卵巣嚢腫を患い手術を受けたことを公表しました。

 これは大々的に日本のワイドショーもとりあげ、連日医者たちが出演し、それがどういう病気なのか正しい知識を解説していったといいます。

 おかげで大勢の女友達の見方ががらりと変わりました。
「ローローさんがかかった病気に宇多田ヒカルもかかった!どういう病気なのかちゃんと分かった。色々と色目で見たり、偏見のある発言をしてごめんね~」

 これまでも実はその手の病気になり手術を受けた有名な女性スターたちはいたらしいのですが、婦人科系の病気はイメージが悪いので公言するべきではない、ということだったそうです。

 しかし宇多田ヒカルはアメリカ育ちなので、考えが進んでおりちゃんと大きな声でカミングアウトしてくれました。まだ19歳だったのに。

 実際、これ以降子宮や卵巣の病気は恥ずかしいことではない、という風潮に一気にがらりと変わったように私は感じました。

 
 ところで退院後、通訳をしてくれるミロシュ氏とその病院に再度訪れました。

 これもそれも、麻酔無しで荒っぽく縫われた箇所が痛むせいです。もしそれがなければ、こんなにすぐまたこの病院に来ることもなかったのに。

 でもそれもいまひとつだったので、前述したように一時帰国の時に、日本の病院で改めて縫直しした箇所を診てもらったのですが、それはさておき、再度プラハのその病院に足を運んだ時です。

「あ、〇〇さん」
 ミロシュ氏の仕事(通訳)のクライアントだった〇〇氏(チェコ人ではありません)と偶然、病院の待合室でばったり出逢いました。

「ローローさん、紹介します、この人は〇〇さんといって…」

 その〇〇さんとその2,3か月後に電撃入籍しました。人生どう転ぶかわかりません。笑

            つづく


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