- 運営しているクリエイター
#ノンフィクション
読書の秋なので…(宣伝)
(ヘッダー画像:うちの猫と、猫の「枕」のスターリンの伝記。高さ(分厚さ)がちょうど顎を乗せる枕にいいらしい)
本日、渋谷のテレビ局の前では久しぶりに大規模な右翼?のデモ隊が来ていました。久しぶりです。コロナ騒動以来の大規模?一応、公安もいました。
今回は
「あ、あの件かな?」
案の定でした。尖閣の件でした。でも社員があまり出勤していない日曜にデモって…。
それはそうと、九月に入り
「国籍が修正されました」*ボヘミアの輪舞*最終回〜(原爆ドーム)チェコ人建築家ヤン・レッツェルシリーズⅨ〜LOLOのチェコ編⑰
~1952年7月23日のエジプト革命から72年後の日の投稿にて~
今年2024年は、ユダヤ系チェコ人カフカの死後百年目を迎える年です。エジプトのチェコ大使館では、外壁にカフカの絵いくつもが飾られました。(2024年3月6日から5月3日)
北京のチェコ大使館では、カフカ死後百年を記念するイベントにイスラエル大使館とオーストリア大使館も協力しました。
チェコ大使館単独でやるよりも、予算や
チェコ(ボヘミア)の赤いトルコ帽子〜(原爆ドーム)チェコ人建築家ヤン・レッツェルシリーズⅧ〜LOLOのチェコ編⑯
ウィーンの街を初めて歩いていた時、貴族のようなクラシカルな帽子がショーウィンドウに陳列された帽子屋が多いことに、目が留まりました。
ボヘミアの赤いトルコ帽 帽子といえばですが、オスマン帝国トルコとその領土ではおなじみの赤いトルコ帽子の生産地は、AH(オーストリア=ハンガリー帝国)のボヘミア地方でした。
この帽子が生まれたのには、こんないきさつがありました。
1826 年、スルタンのマフ
見よ!これぞ万博パビリオン。オーストリア人とハンガリー人建築家が生んだ「伝説のカイロストリート」(シカゴ万博(1892))〜(原爆ドーム)チェコ人建築家ヤン・レッツェルシリーズⅴ〜LOLOのチェコ編⑬
〜最初に
今回の記事後半の「1893年シカゴ万博」における、オーストリア・ハンガリー帝国の建築家の二名、マックス(ミクサ)・ヘルツとエドゥアルト・マタセクの手掛けた「エジプト・カイロストリート」にかなり力を入れて書きました。
よってどうか後半のその部分だけでも、読んで欲しいなあと思います。
エジプト君主もスポンサーも現場には一切口を挟まず、二人の建築家を信じすべて任せました。これこそ、
中国人のアレクサンドリア、多言語都市のアレクサンドリア
「僕はアレクサンドリアで生まれました。父は山東省出身の中国人で、孔子が生まれたところです。母はギリシャの島出身です。僕はずっとアレクサンドリアに住んでいます」
いきなり何のこと?という感じですが、アレクサンドリアの生まれ育ちの中国人とギリシャ人のハーフの男性の話です。なぜこの方の話がでてくるかといえば、私の書いた歴史小説「エジプトの狂想」に関連しています。
小説は三つのパートに分かれ、
1
「ネフェルティティの胸像を返して!」 エジプト国王のベルリンとイギリス訪問(1927)
「エジプトの輪舞(ロンド)」で少しだけ触れたのですが、1927年に(ドイツが不当に持ち去った)「ネフェルティティの胸像」の返還を求めて、当時のエジプト国王(ファルークの父親)がベルリンに乗り出しました。
ここまで盛大におもてなしをしておいて返さなかったという、その時のベルリンの写真です。
ネフェルティティの胸像とはツタンカーメンの黄金のマスクとギザのピラミッドと並ぶ古代エジプト三大代表作
カイロの伝説のカクテル
土曜日です。今宵はSuffering Bastardのカクテルでもいかがでしょうか?
レシピはブランディーコニャック、ジンジャーエール、ジン、ライムジュース、黒砂糖シロップか白砂糖、アロマティックビター、ジンジャービアー。
このカクテルは第二次大戦中にカイロの英軍にいたイギリス人老人たちが
「ああSuffering Bastardが飲みたい、懐かしい」
というようなことを呟いていたものです
鳥の集会The Conference of the Birds
知り合いイラン人(本人は絶対イラン人と名乗らず「ペルシャ人」と言うけれど)がテヘラン空港の本屋で買って来てくれました。ハードタイプのケースに入っており、中のページは色々見開きになったりします。こういう本は電子書籍では不可能です。サイズはとても大きくて紙もかなり上質で手触りがいいです。
タイトルはThe Conference Of the Birds(鳥の集会)。
知る人ぞ知るです。
この