ナゼ、アニメやマンガなのか…?
「生きづらさや苦悩を抱え選択肢を見失っているヒトとは…」
こんな疑問に立ち返ることから始まったのかもしれない。
「専門的介入は専門家に任せる」
自分が持っている信念とも云うべき思考や判断の軸である。
とするのなら「自分は専門家が必要となったときに、その人が自分の状態や心の声を伝えられるようにアシストすること」と云う概念へとつながっていく。
では、生きづらさや苦悩を抱え選択肢を見失っている対象者には、ナゼ、専門家の言葉や溢れかえる選択肢が届かないのか…
果たして、その人たちはどのような状態にあるのか…
言葉が届くとは…
行動へと突き動かすには…
おかれている状況とは…
阻んでいる障壁とは…
心の状態とは…
意識や思考の状態とは…
自分の経験で参考となる経験とは…
ふと気づく…
「頭で理解しようとしても、追い詰められた状態では、どれ程、効果的で簡便な取り組みやロジックもその人には届かない。
そう、自分がそうであったように…
その人自身の否定的な思考や観念が意識と心を埋め尽くしているのだから…
「ナゼ、意識は効果的な提案を受け入れようとしないのか?」
そう、これも知っている。
どれ程、自分を苦しめる思考や観念であったとしても、それは、自分の心のバランスを保つためには必要なのだ。と云うことを…
それは、無理やりこじ開けるべきモノでも、塗り替えることの出来るようなモノでもない。心の余裕の無さもまた、大切なプロセスなのだから…
思考と心の緊張を緩めるには、まずは、思考の関門を潜り抜けなければならない。ラポールに通じる。
思考が関門を、壁を作る前に言葉や思いを届けるには何が必要なのか…
ひとつのビジョンが浮かび上がる。
母親が子どもへ向けて絵本を読む風景
子どもも安心感と物語や母親からの想いやメッセージを受け取り、母親もまた、知らず知らずに絵本に込められたメッセージを自分の心へと届けているのだ。という気づき。
答えは、すぐそこにある。既に目の前に存在していたのだ…