
シーン6:札幌でのカフェ巡り(カフェ、コーヒーが好きな理由 ⑤)
先日から自分がカフェ空間やコーヒー好きになった理由を探すため、いろんなシーンを思い出したり、オススメのカフェを紹介したりしている。ちなみに初回のサムネ写真のツタに覆われた古民家は、今回の記事に登場する札幌のカフェだ。(本当は今回の記事のサムネにすればよかった、と後から気づいた)
前回は、ラボや研究室で睡眠不足の朝に飲む冷め切ったコーヒーのことを話した。その肝心の「研究」なのだが、これが私には全くといって合っていなかった。正確に言うと、調べ物や研究のための具体的な調査は嫌いではなかったし、むしろ好きな方だった。また、まちづくり関連の研究をしていたので、研究と直接関係のないイベントにお手伝いとして駆り出されたりするのも悪くはない。
何が合っていなかった、というと、「研究のテーマを探すこと」と「研究の成果を論文にまとめること」である。言い換えると、自分のやりたいことと自分のやってきたことを自分の言葉にすることだともいえるが、この2つは研究における要である。
人からは「文章書くの得意そう」とか「noteの記事とかちゃんと書けてる」と言われることがあって、それは嬉しいことだし、ありがたいことなのだが、こと研究において、このフワフワしたとりとめない文章を書く能力はほとんど役に立たない。自分の研究の目的や意義を客観的に記載し、研究の結果を(変な勘ぐりや論理の飛躍なく)正確に論述する、という才能がまるでないのだ。
2013年5月末、人よりも遅めに就職先が決まり、ホッとしているのも束の間、修士論文のためのメインの調査や論文の構成を考える時期に来ていたのが、思うように進まない。8月頃には研究が嫌すぎて、半分鬱っぽくなっていった。(研究室には行ってたし、ちゃんと寝食はしてたし、本当の鬱病のような深刻さはみじんもなったのですが、、、)
そんなテンションの只中で、9月頭に建築学会のために札幌へ行った。発表が最終日だった自分は折角の機会だと思って、予定を全く決めずに最終日翌日の飛行機をとっていた。(研究室のメンバーの大半が初日とか2日目の発表だったので、最終日まで残っている人は少なく、その日は一人の予定だった)
理由や思考回路は全然覚えていないのだが、学会の発表が終わったあとにホテルに戻ってから急に「明日はカフェ巡りにしよう」と思い立った。そこで「札幌 カフェ おすすめ」とググっていると、1件の古民家カフェがヒットした。円山公園のすぐ近くに有る「森彦」というカフェだ。(今久しぶりにHPを見に行くと、たくさんの店舗が有り、通販もやっているので、かなり商売上手な感じがしますね)
翌日になって、円山という山は1時間くらいでさくっと登れる原生林ということを知って、自分は特に山登りが趣味というわけでもないのだが、何かにすがる気持ちだったのか、呼ばれたような感じたったのか、おもむろに円山を登り始めた。
道中にはたくさんのお地蔵さんが並んでいるのだが、折しも自分は当時、「地蔵盆」という京都のお祭りとまちづくりの関係みたいなものを研究していたので、この山の風景に運命を感じた。ほんの1時間でもキレイな空気を吸って、無心で山を登っていると何となく心が落ち着いてくる。
そして下山して、11時頃お目当てのカフェ「森彦」へ着いた。
古民家カフェのイデアのような佇まい。建物は蔦で覆われ、薪がきれいに敷き詰められている。中に入ると、こじんまりとした空間ではあるが、椅子や照明、コーヒーカップにいたるまで一つ一つのインテリアのセンスで、世界が凝縮されている。
自分はメニューの一番上に書いてある「森の雫」というブレンドコーヒーとベリーのケーキを注文した。
コーヒースプーンがかわいい。というか、コーヒースプーンに目が行くということが今までなかったことに気づく。そしてコーヒーの味は当然再現できないが、一口で「これか!」と納得したのだけ覚えている。
京都から遠く離れた札幌の地で一人でオシャレカフェでコーヒーを飲む自分にただ酔っていただけかもしれないが、当時の自分の荒んだ心、それをほんの少しキレイにしてくれた円山、その山から下りて飲むコーヒー、全てが噛み合って、なんともエモかった。
そして午後には、「森彦」と同系列の店舗である「Plantation」に行った。こちらは、その店名の通り、工場をリノベーションした店舗で、「森彦」の濃縮された世界観とは異なり、大味のおしゃれ空間だった。
2階がギャラリーになっていて、地元デザイナーの作品が展示兼販売されている。工場リノベのカフェといえばブルーボトルコーヒーの清澄白河店なんかが、有名であるが、こういったがらんとした空間とコーヒーの焙煎機や大ぶりなカウンター、テーブルは納まりがよくて、おおらかな気持ちになる。
全然タイプの違う2つのカフェであるが、「カフェ空間」でどういった思想を体現しているか、という哲学みたいなものを強く感じた。(そのへんが、商売上手=マーケティングやブランディングがうまい、の所以だろう)
札幌から戻ってからは嘘のように順調に研究が進んだ、と言いたいところだが、実際には相変わらずであった。しかし、札幌というカラっとした街で、一人で山に登って、カフェ巡りをして、ずいぶん気持ちが晴れたし、以前よりは落ち込むことが減ったと周りに主張していた(おそらくプラシーボ効果)。そして、これを機会に、京都に帰ってから、ドンドンと一人カフェ巡りが加速していくきっかけとなった。