先日掲載された『ペーパーマリオRPG』のコラムの中身がトンチンカンだったので一つ一つ反論してみる
先日、IGN Japan誌にて「『ペーパーマリオRPG』は「魅力的なキャラクターや状況」を作りすぎたせいで自分の首を締めたのではないか」と題したコラムが掲載された。
「ペーパーマリオ」シリーズおよび『ペーパーマリオRPG』は、「マリオ」というIPに対してギャップのあるブラックジョークなどが見られることが評価軸の一つとなっている。しかし、そんな本作の表現は今遊ぶと古く、一部の表現は「一線を越えている」と感じられた。という趣旨のコラムである。
▽以下の記事にはゲーム内の描写のネタバレになりうる記述が含まれるが、記事内には警告がないので注意
私自身の所感として、この記事は極めて内容が薄いと思っている。ぱっと遊んだ筆者の表層的な好みと感想を、筋道も立てずに掲載したもの、という印象を受けた。なので、主張の中で筋の通っていない部分を指摘しつつ、本作に対して対称的な意見を持つ筆者の考えを記しておこうと筆を執った次第である。
なお、本記事にも『ペーパーマリオRPG』の描写に対するネタバレになりうる記述が含まれるため留意いただきたい。
まずは、件の記事の最初の主張である「本作のマリオは不自然にモテモテである」ということについて見ていく。
本当にマリオは「異世界転生もの」かのようにモテているのか?
『ペーパーマリオRPG』では、たびたび本作の主人公「マリオ」にアピールをしてくるキャラクターが登場する。
各ステージで登場する、女怪盗のようなイメージの「チュチュリーナ」というキャラクターは、ひと目見てマリオをイイ男だと思った様子で、去り際にキスをしてくる。元女優の「クラウダ」や、その他いくつかのNPCも同様にマリオをイイ男だと考えているような発言がある。元々敵キャラクターだった「ビビアン」というトランスジェンダー女性のキャラクターも、とあることからマリオに惚れ込むことになる。まるで「異世界転生もの」の主人公かのようにモテまくるのは、マリオというキャラクターにはあまり似つかわしくないのではないかというのが記事の主張だ。
私自身は、プレイしていてその部分には気にもとめていなかったので、筆者の着眼点に面白いと思いつつも、いくつかの違和感を覚えた。
ひとつは、マリオに対して好意をほのめかしてくる女性たちの一貫性について言及されていないことだ。たとえば、旅の途中何度か出会うことになるNPC「マダム・ローズ」は名前の通り大人びた女性で、マリオのことを「ダンディーなお方」と呼ぶため、マリオの壮年な雰囲気に惹かれていることがわかる。
チュチュリーナの年齢は若いとも取れるし大人びているとも取れるが、マリオを「ステキなヒゲのミスター」と呼ぶことから、マリオのどこに惚れたのかといえば「ヒゲ」であり、これも壮年な雰囲気への好意であると受け取れる。クラウダも、元女優で今は引退し隠居の身ということから少なくとも若くはなく、年相応な恋愛対象としてマリオを見ている可能性が高いだろう。
つまるところ、マリオに対して最初からアピールをしてくるキャラクターには大人な女性が多く、マリオに対しても「大人な男性」としての魅力を感じているということだ。高齢同士の恋愛のような積極的な雰囲気であり、少なくとも異世界転生ものやハーレムものとはだいぶ様相が異なる。
マリオは世界一有名と言っても過言ではないゲームキャラクターだが、見た目は謎の赤いぼうしと赤い服、そして青いオーバーオールを身に着けたヒゲ面デカッ鼻のおっさんである(年齢は25歳前後だが)。「ペーパーマリオ」シリーズには、そういうマリオの容姿をイジるテキストがたびたび登場する。大人の女性たちにアピールされるのは、そういった「実際には若いのにダンディーな高齢の男性として見られてしまう」というイジりの一つという面もあると思っている。
明確な例外はビビアンである。彼女は「カゲ三人組」という三姉妹の末っ子であり、発言の雰囲気からしても他のキャラクターのような大人な雰囲気のキャラクターではない。
しかし、ビビアンの場合は、他のキャラクターのようにマリオの大人な雰囲気に惚れたわけではなく、ヒゲに惚れたわけでもない。ビビアンがマリオに惚れることになるシーンにおいて、マリオは「名前と体」を奪われており、ビビアンはマリオの姿を正確に認識できていない。そんなピンチの状態にあっても自らを省みず、自身を助けてくれたマリオの「行動」に惚れたのである。
ビビアンはもともと姉にいじわるされるという立場にあり、人に優しくされた経験に乏しいことは容易に想像できる。このシーンにおいてマリオに惚れるというのは自然な描写であり、他のキャラクターたちがマリオに好意を抱く描写とは差別化されている。
本作において、明確に「マリオに恋心を抱いている」と断言できる描写のあるキャラクターはビビアンのみである。依然として「やたらと大人の女性にアピールされる」という描写自体は残るが、少なくともマリオに似つかわしくないというほどの描写だとは思えない。
何をもって「やりすぎ」とするのか?
この記事のもう一つの主張は、「本作のセクシャルな要素やブラックジョークはやりすぎではないか?」ということだ。記事内では、いくつか筆者が「やりすぎ」だと感じたシーンが列挙されている。しかし、問題はそれらがなぜやりすぎなのかについて具体的な記述がほとんどなされていないことだ。
たとえばピーチ姫が透明になる薬を飲んで潜入捜査をするシーンについて、ピーチ姫が事実上の全裸徘徊をすることになるのは「やりすぎ」だとしている。なにがやりすぎなのかは明記されていないが、文脈からして「やりすぎなセクシャル描写」ということだろう。たしかに、セクシャルな意図のある描写であることは間違いないと思う。
とはいえ、これを「やりすぎ」とまで論じるのは難しい。全裸徘徊というシチュエーションはたしかに思い切ったブラックジョークだが、結局描写的には記事にもある通りセクシャルな要素はほとんどなく、淡々と任務をこなすことになるだけだ。
もう一つ似たシーンとして、ピーチ姫が仕切りごしにシャワーに入るさい、ドレスをすべて脱いで仕切りにかけるという描写があるが、これも本質的には「プレイヤーの見えないところでは全裸」というセクシャル描写である。
「服を着る前に透明の効果が切れたら…?」、「その仕切りさえなくなれば…?」という考えを一定のユーザーにあおる意図があるセクシャル描写という意味では、この2つはほとんど同じものだ。結局、「見えないところでヒロインが脱いでいる」という程度のセクシャル描写はありふれており、『ペーパーマリオRPG』だけが「やりすぎ」だと言える理由は薄いと感じる。
なお、本作のレーティングは「CERO:B(12才以上)」となっている。コンテンツアイコンに記載があるのは「犯罪」のみで「セクシャル」はついていない。セクシャルアイコンはかなり明確なセクシャル描写がないとつかない場合が多いが、少なくとも任天堂とCEROはそれをつけるほどの描写は本作にはないという判断を下したようだ。
セクシャルな要素を抜きにしても、まだ本作には多くのブラックジョークがある。これらの描写もまたやりすぎだというのが筆者の主張のようだ。しかし、記事では筆者がやりすぎだと感じたシーンを挙げて腐しているだけで、結局それらの何が問題なのかという一貫した指摘ができていない。そのため、ただ好みに合わなかったギャグを列挙しているだけかのように見えてしまう。
私自身は『ペーパーマリオRPG』のギャグが大好きで、私が「ペーパーマリオ」シリーズを遊んでいるのはそういったギャグやテキストが見たいからだ。そのため「好みでない」という意見に対しては、「自分は好きだ」としか言いようがなく、フラットな反論は難しい。むしろ、筆者は何を目当てに『ペーパーマリオRPG』を遊んだのだろうか?
なので一応対極する意見として、記事内でも言及されている「あいしてる100回」の感想を書く。これは、NPCのカップルの彼女側が「100回あいしてるって言って!」とワガママをいい、彼氏が実際に100回「あいしてる」というまでテキスト送りをさせられるというブラックジョークである。もちろん記事の筆者のようにストレスに感じるユーザーも一定数いるかもしれないが、少なくとも私は爆笑しながらテキストを送っていた。もちろん、いい意味で「やりすぎだ!」と思いながらである。
縛りに苦しんできた「ペーパーマリオ」シリーズの今後
最後に、記事でも言及されている「「ペーパーマリオ」シリーズがオリジナルキャラクターを出せなくなったこと」について、私の考えを書いて終わろうと思う。
記事で筆者が指摘しているとおり、『ペーパーマリオRPG』の次回作の『スーパーペーパーマリオ』はそもそも全くの異世界を舞台にしたタイトルであり、ストーリーの本筋的にもマリオは蚊帳の外だ。登場するキャラクターも敵キャラクターも、ほとんどオリジナルキャラクターである。
遊んでいて、たしかに「このゲーム、マリオじゃなくてもよくない?」と感じる場面もあるが、「ペーパーマリオ」シリーズの特徴である起伏に富んだイベントやブラックジョークはさらに毒気の増した魅力的なものになっていた。
その次回作である『ペーパーマリオ スーパーシール』制作時、外部制作の「マリオ」シリーズに対して、極力オリジナルキャラクターを出さず、マリオのキャラクターだけで完結してほしいという指示が下った。件の記事は、「これは「ペーパーマリオ」シリーズが“やりすぎた”から起こったことだ」という主張をしているのだと受け取れる。
※追記(5/30/23:17)
『スーパーペーパーマリオ』がこの指示の直接の原因であるという公式の明言はないものの、その可能性は高いのではないかと個人的にも考えている。ただ、「極力オリジナルキャラクターを出さず、マリオのキャラクターだけで完結してほしい」という指示の内容から考えられるとおり、本作の問題点というのはブラックジョークそれ自体ではなく、マリオを蚊帳の外にしてしまう世界観とキャラクターだ。
記事では、『スーパーペーパーマリオ』でマリオが蚊帳の外になったことと、筆者が『ペーパーマリオRPG』で好みでないと考えているブラックジョーク、セクシャル描写が一緒くたに「やりすぎ」という極めて主観的な単語にて論じられ、この縛りの原因として結論付けられてしまっている。
『ペーパーマリオ スーパーシール』は、途中でプロジェクトが大幅にやりなおしになったことから、出来の粗い部分の残るゲームで、その上オリジナルキャラクターが出せなくなってから1作目ということもあり、ファンからは快く受け取られなかった。
その次回作である『ペーパーマリオ カラースプラッシュ』の開発では、「スーパーシール」のような回り道はなかったと思われる。そのため、ゲームとしての完成度は決して低くなかったが、「スーパーシール」を踏襲した戦闘システムや、どこへいってもキノピオしかいない体験への評判はあまりよくなかった。
シリーズ最新作である『ペーパーマリオ オリガミキング』でも、依然キノピオの登場頻度は『ペーパーマリオRPG』と比べると多い。しかし、オリガミをテーマにした他のマリオ作品にはない独特な世界観は魅力的で、戦闘システムも大幅に見直され、シリーズらしい起伏に富んだイベントの数々が味わえる良質なアドベンチャーゲームへと生まれ変わった。それに、「文房具を見た目そのままに擬人化」するという、オリジナルキャラクターが出せないことへの反撃かのような暴挙が、逆に新鮮な体験を生んでおり、インテリジェントシステムズの底力を感じさせるタイトルになっている。
近年、マリオ作品は徐々にオリジナルキャラクターを出せる流れに戻ってきているように感じる。たとえば直近では『プリンセスピーチ Showtime!』が発売したが、劇場を舞台としたこのゲームは敵キャラクターからボス、相棒キャラまで、ほとんどのキャラクターはオリジナルキャラクターだった。
ユービーアイソフトの「マリオ&ラビッツ」シリーズは、ラビッツとのコラボタイトルということもあるが、当然オリキャラだらけである。特に続編の『マリオ&ラビッツ ギャラクシーバトル』では、美少女的なビジュアルのラビッツが敵として出てくるほか、ロゼッタが重要な役回りで登場するなど非常に自由に作られていることがわかる。
そして、満を持して発売された『ペーパーマリオRPG』リメイクをプレイしてみて、もうさすがに「ペーパーマリオ」シリーズへの縛りはなくなったのではないか?と感じている。当然、原作にいたオリジナルキャラクターたちはリメイクでも健在だった。
もし、「ペーパーマリオ」シリーズにオリジナルキャラクターを出せないという縛りがなくなったのなら、次回作こそはついに開発チームはのびのびとシリーズの魅力に向き合うことができるだろう。
シリーズに新たな魅力を切り開いた『ペーパーマリオ オリガミキング』を経たうえで、今回の不朽の名作『ペーパーマリオRPG』リメイクがある。だから、次回作はそのどちらもの魅力を凝縮した、シリーズ最高傑作ができるのは必至ではないかと今から期待している。もちろん、次回作の表現も「やりすぎ」でお願いします。