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新蘭・コ哀について思うこといろいろ

名探偵コナンについて。
思ったことを雑多につづっているので駄文です。
そして長いです。個人記録用といったところ。


昨日の放送から使用されているEDの映像がどうやら一部で物議を醸しているようで、それらの動向を見たうえでちょっと考えたこと
& 前から思ってたこと
(EDに関しては私は未視聴。Xに上がっているポストや公式YouTubeのサムネで概略を把握した感じです。この後見ます。)


どうやら今回の騒動、新EDが収録されたCDのジャケットが新蘭の後ろ姿で、CDの購入特典のアクリルスタンドも新蘭だったことから、アニメのED映像も新蘭がメインなのだろうと思っていた人が多かったが、
蓋を開けてみると灰原メインで
「思っていたのと違う!」ということらしい。

これでED映像が別の人物がメインだったならきっとここまで物議を醸すことはなかったと思う。

新蘭とコ哀は新一が分裂でもしない限り同時にカップルとして成立できないペアなので、このようなファン内での対立が引き起こされているのも無理はない。

でもそもそも、原作者の青山剛昌氏は新蘭推しなのにも関わらず、なぜ原作以外のアニメや映画では新蘭はあまり描かれていないのだろうか。
アニメや映画は原作の副産物のようなものなのだから原作者の意向を遵守するべき。これは絶対。原作者の権利は守られなければならない。


ちなみに私の立場を明確にすると、
私の立場としては
江戸川コナンが推しで、
コナン(新一)は蘭ちゃんと結ばれるべきだと考えており、(新蘭好き)
哀ちゃんとコナンの関係は共に黒ずくめの組織に立ち向かう仲間のでもありその中でも特に連携の取れている相棒のような関係であり、また幼児化という同じ境遇を経験したよき理解者であると認識しています。
あくまで哀ちゃんの恋愛感情は一方向の片思いだという認識です。


アニメに関しては、まず不満なのはアニオリ回多すぎる!原作の更新頻度が少ないので毎週放送するとなるとアニオリ回が多くなってしまうのもしょうがないとは思うのですが、本当に原作回が少なすぎる。

原作者の意向から、アニメ・映画の路線が外れているように見える原因としてはアニオリ回が多すぎることも少なからず関わっているのではないかと思う。アニメを作っている人たちからしてみれば、
アニオリ多くね?俺たち原作じゃね?今のコナン俺たちのおかげじゃん!という感じなのかもしれない。
俺たちの推し前面に出そうぜ!なのかもしれない。
(すみません。ただの勝手な妄想です。)
ただアニオリ回が多すぎることは少なからず、「名探偵コナン」という作品の売り出し方がアニメ・映画に依存していることに関係していると思う。

映画だって大概。大半の映画(初期の作品やその他一部作品を除く)では蘭の存在意義はクライマックスでコナンが「らぁぁぁぁあん!」と叫び、間一髪防ぐというおなじみのシナリオの舞台装置としての役割しか与えられていないことも多い。
メインヒロインなのに!

そもそも「名探偵コナン」という作品においてメインヒロイン論争ということが起こること自体おかしい。
メインヒロイン論争とは主人公の心が揺れているときにのみ起こるものであり、名探偵コナンのように主人公が相手を心に決めていてブレなさそうな状態で発生するって変。(圧倒的偏見だがここは譲れない)

哀ちゃんはとても魅力的なキャラクターだ。彼女がこれまでコナンファンや別作品の創作者に与えてきた影響は計り知れない。
ファンが大勢いるのも納得のキャラクターだ。

だが、ここまでコ哀強火が多いのは異常だと思う。
私はこれを焚きつけたのはアニメ・映画なのではないかと思う。

原作を読んでいる限り、哀ちゃんのコナンへの恋愛感情は本物だが、本人も自分の恋が成就するとは思っておらず、恋心を心の中に秘めている状態。新一と蘭の関係についてはコナンをからかうことはあっても、基本的にはノータッチという状態。
個人的には哀ちゃんは自分の恋がかなうことは半ばあきらめていると思う。「季節外れのハロウィンパーティ」などを経て、蘭に対しては姉のような親しみを感じているし姉を亡くした灰原的には姉に似ている蘭には幸せになってほしいと思っていそうだし、新一君はどうせ蘭さんのことしか見てないし…などと思っていそう。
蘭と宮野明美は似ていると灰原が感じているのは、新蘭は結局くっつくし哀もそれを望んでいるという描写なのではないかなと思う。
でもこうして子供の姿で自然に近くにいれるうちは、ちゃっかり近くのポジションをおさえとこうみたいに思っていそう。

ただ、アニメ・映画では哀ちゃんのコナン君への恋愛感情描写が多すぎる。もちろん原作にも恋愛感情の描写はあるがあそこまで多くない。
(データとかがあるわけではないので反論されてもしょうがないけど)

そもそも、アニメ・映画は売れる方向にもっていきすぎ。
安室さんが人気だからってここ最近の作品は、しょっちゅう安室さんが出てくるし。
そもそも年ごとにメインキャラみたいなのが決められているのも謎、メインはずっとコナンでしょう!(江戸川推しなので・・)
初期の作品の雰囲気が好きなのだけれど、今のメインキャラ制度みたいなので興行収入も増加しちゃったのでしばらくはこの体制が続くかな、、
恐らくコ哀を強調するような描写が映画で多く描かれているのも、コ哀ファンの視聴を狙ってのことなのでしょう。

別に、興行収入を狙った作品作りをやめろとは言いません。
作品とは言え、ビジネスなのですから。興行収入は大事ですよね。
ですが、大げさに言えば公式の二次創作ともいえるアニメ・映画が原作にそぐわない表現をしすぎるのはいかがなものかと。
さらに言えば、コナンは原作未履修でアニメや映画だけを見る人もいるのですから影響力も莫大です。時には、原作をも変えてしまっているのではないかと不安に思います。

その点、黒鉄の魚影は私的には素晴らしかったと思います。
コ哀がメインすぎる!ヒロインは蘭ちゃんなのに!と騒いでいる人もいましたが、私的にあの映画は久しぶりの新蘭メインの映画だなと思いました。
電話しながら解毒薬見つめるシーンとか最高すぎます。解毒薬、出してくるかー、と思いました(笑)。解毒薬、きっとこの後原作でも重要なカギとなってくるのでしょうね。誰が大人の姿に戻るのか、、メアリーさんかな?
もちろん、黒鉄の魚影のメインキャラクターは哀ちゃんです。そこは確実です。ではなぜ新蘭メインだと言うのかというと、あの作品は哀ちゃんの恋愛感情を直接的に描いているというよりは、哀ちゃんが自分はコナンを好きだということを再確認したうえで、やはり姉のような蘭には幸せになってもらいたいと願う様子が描かれているのではないかと感じました。
私の原作の解釈とほぼ一致していて、映画館では哀ちゃんに共感しまくりでした(笑)というか脚本家の方と気が合うのか。

一方、百万ドルの五稜星は私的にはイマイチ・・。無理やりコ哀の相棒感を詰め込んだという感じで、あまり描写が好みではありませんでした。(アクションはとっても良かったけど。)

何が言いたいかというと、結局アニメも映画も脚本を担当されている方が話によって違うので内容も原作よりだったりそうではなかったりするんですよね。
個人的には原作リスペクトの方がもっと増えてほしいな~。
今年の映画とか、長野県警がメインで原作読み込んでないと作りにくそうだから割と原作よりなのではないかと期待してみたり…。


結局グダグダな文章になってしまいましたが、ため込んでたこと全部吐き出したのですっきり!
作品の解釈は人によって異なりますし、私もアニメや映画の批判がしたいのではなくただ感想を述べただけなので、解釈違いだなと感じても過度にたたくのは勘弁していただけるとありがたいです。

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