言葉のリズム
たいした話ではないのですが。
言霊というのを割と信じている。Twitterでつぶやくとかでも同じで、その言葉を脳に認識させることで行動が変わってくるのだと思う。
「今日は疲れたからこの辺で」みたいなことをTwitterに書くと、その後「もうちょっと進めておこうかな」と思ってもいざやろうとすると全然やる気が出なくて「やっぱり今日はこの辺で」となりがち。
なので「自分の脳に認識させる言葉」というのは色々と気をつけなければいけない。「死にたい」と思っても言葉にしてはいけない。死んでしまうから。
そんな言霊について考えていた時に、ちょっと別のことを思い出したのである。
大学時代の先輩に、「逆に言うとね」が口癖の先輩がいた。
当時バカだった僕は(今でもバカなのだけどレベルが違う)、「逆に言うとねと言いながら特に逆になってないな」と思っていた。
僕の場合は文頭に「まあ」をつけることが多い。別に斜に構えてるわけじゃなくて、「まあ」から始めないと次が出てこない時ってのがある。
人によってはこれが「アレなんすよね」かもしれないし、「ほうほう」かもしれないし、「とりま」かもしれない。
なんでもいいのだけど、そこにおそらく意味はなくて、その言葉を入れることによってその人ならではの言葉のリズムを作ってるんだと思う。
ロックバンドでドラムが曲前にカウントするようなものです。それがないと始められない曲ってのもあり、その言葉がないと始められない話があるわけ。
そういう口癖をからかったりする「この人中学生時代にいじめられてて高校あたりからイジる側に転じたんだろうな」みたいな陰湿なタイプの人がいるんだけど、死ねばいいと思う。
僕はよく「死ねばいいのに」と思うんだけど、これも気をつけないといずれ誰かを殺してしまうかもしれない。これはよくない。死ねばいいじゃなくて「無期懲役になればいいのに」に変えようと思う。
話を戻すと、その文頭の口癖は、言葉を綴る、会話をする時のその人のリズムを形成するものなので、妙ちきりんなことを言っていてもバカにしてはいけない。「ちんぼ」とか言ってたらさすがに突っ込んでいいと思うしなんなら友達辞めてもいいと思います。
とにもかくにも、文頭の口癖はリズムであり、あなたとコミュニケーションを取ろうとしてくれているのだからありがたく受け流すのが筋である。
なんとなく「意味はないけどよく使う文頭後」ってリズム的な意味で大事だなあと思ったのでした。
今日は金曜日なので晩御飯はカレーです。